第27話 交渉の材料

 陽翔は今日は安静にしておきなよ、とエレンに言われたので、俺は研究室でゴンゴさんと一緒に魔素について話をしていた。


 俺は、火を点ける簡単な魔道具をテーブルの上に置く。俺がどれだけ触ってもうんともすんとも言わない、かわいげのない機械だ。


「うーん、やっぱり陽翔さんは魔道具を使えるわけじゃなさそうですね。魔素を道具に流し込むことも出来ないとなると、本当に魔素を体内に取り込むだけみたいです」


 ゴンゴさんが腕を組んで唸った。俺は「そうだよなあ……」とうなだれる。


「残念そうですねぇ。気にしなくてもいいじゃないですか。陽翔さんには、すごい魔法の使い手のメアさんがついているんですし。わざわざ自分で魔道具を使う必要なんてないんじゃないですか?」

「そうなんだけどさ、なんていうかな……。やっぱロマンじゃん。俺も魔法とか使ってみたいの」


 俺は指先で魔道具をつつく。こんなファンタジーな世界に来たからには、一回は魔法を使ってみたいと思ってしまうのは仕方ないと思う。


「そういうものなんですか? 私だったら、出来るだけ働かずに暮らしたいですけどねえ」


 ゴンゴさんは俺と価値観が違うらしく、不思議そうに呟いた。それから、不意に「そうだ!」とデカい声を出して手をたたく。


「魔素を先に充填しておくタイプの魔道具なら使えるかもしれませんよ! それなら陽翔さんが魔素を流し込む必要がないので」

「そんな便利なのあるの?」

「便利……うーん、私達の中だと不便だったので、最近はあまり見かけなくなりましたね。旧式ってやつです。今度探しておきますよ」

「やった、ありがとう」


 まあ、日常的に魔素をやりくりできるこの世界の人たちにとっては、先に充填しておく必要なんてなかったってことか。


 納得したところで、ぐるるるると腹が鳴る音が響いた。一応言っておくけど俺じゃないよ。

 ゴンゴさんを見ると、恥ずかしそうに頭を搔いていた。


「すみません……。いやあ、お恥ずかしい」

「そういえばもう昼だな。ゴンゴさん、昼どうする? 俺料理できないけど、今日は外出も出来ないんだよね」

「心配には及びませんよ。実はもう、昼ごはんの配達を頼んであるんです。最近流行ってるんですよー」


 ゴンゴさんが自信満々に胸を叩いた。こんなに自信のあるゴンゴさんは珍しいので、俺は「おお」と声を上げた。


「準備万端だ」

「はい。もうそろそろ届くんじゃないですかね。入り口まで受け取りに行かないと」


 ゴンゴさんの話に、俺は少し首を傾げる。


「あ、魔法とかで届くんじゃないんだ?」

「魔法で届けてもらうのもあるんですけど、研究所は普通の場所より警備がしっかりしているので、直接受け取りに行かないといけないんですよ」


 ゴンゴさんはそう言ってめんどくさそうに立ち上がり……すぐによろめいて、椅子に座り込んでしまった。俺は焦って椅子を支える。


「え、ゴンゴさん? 大丈夫?」

「……はい、大丈夫です。昨日の酒がまだ抜けきっていないみたいですねぇ」

「みたいですねぇ、じゃないよ。俺が取りに行くから、ゴンゴさんはここで待ってて」


 フラフラで取りに行かせるのも気が引けるし、部屋の中にずっと閉じこもってるのも窮屈だったところだ。ちょっと外の空気でも吸いに行こう。


「ありがとうございます。空腹が限界なので、出来るだけ早くお願いしますね」

「はいはい」


 食欲は相変わらずのゴンゴさんを置いて、一人研究室を出る。

 研究所の入り口まで行くと、見覚えのある人物が立っていた。俺は思わず声を上げる。


「あれ、ヘルムさん?」


 間違いなくヘルムさんだ。しかし、ぼうっと心ここにあらずといった様子で立っている。もう一度名前を呼ぶと、ようやく反応した。


「は、陽翔くん? その顔……や、この注文は君の?」

「はい。頼んだのは別の人ですけど」

「そういえば研究所がどうたらとか言ってたなあ。あ、本日はご利用いただきありがとうございます。こちらが商品です。熱いのでお気をつけて」


 仕事を思い出したかのように、ヘルムさんは急に改まった口調で箱を渡してきた。結構重い。俺は箱を抱え直してから、ヘルムさんを見た。


「疲れたーって感じの顔してますね。また忙しくなったんですか?」


 ヘルムさんは、前よりも少しやつれたように見える。ヘルムさんは怨念がこもっていそうなため息を吐いた。


「そんなところかな。でも、君の方も大変そうだね。それどうしたの」

「ちょっとやらかしただけですよ」

「……………」


 ヘルムさんはしばらく俺の顔を見ていたけど、突然キョロキョロと辺りの様子を窺い始めた。特に異常はないことを確認してから、こっちへ歩み寄って聞いてくる。


「突然で悪いけど……陽翔くん、『星雲団』って聞いたことあるかい?」


 セイウンダン、と小さく呟く。まったく聞いたことがない。


「いや、ないです。それって何ですか?」

「実は僕も知らないんだ。ただちょっと気になって……。ごめんね、変なこと聞いて」

「全然いいですけど」


 ヘルムさんは、どこか浮かない顔で笑った。肩掛けカバンの位置を直して、俺に背を向ける。


「じゃ、僕はこれで。冷めないうちに食べてねー」


 そういうや否や、ヘルムさんはバイクに跨って走り去って行った。この人を見かけるたびに走っているような気がするから、忙しい人だ。


「星雲団……」


 何だか、妙に頭に残る。少し考え事をしたかったけど、箱の中から漂ってくる美味しそうな匂いにつられて、俺はすぐに研究室へと引き返した。





 日が暮れかかった頃、エレンが研究室に帰ってきた。先に戻ってきていたメアと二人で、「おかえり」と声をかける。エレンは「ただいま」と少し疲れたように笑った。


「遅かったな。久しぶりの研究室はどうだった?」

「みんな元気そうだったよ。ちょっと疲れたけど」


 エレンは自分の席に座ると、大きく伸びをした。メアが待ちきれないというように兄の方へ身を乗り出す。


「それで、何かわかったの?」

「わかった、っていうか……」


 エレンは小さく首を傾げた。


「僕の知り合いの研究員のほとんどは、人間界の遠征計画なんて知らなかったよ。僕たちの研究室は人間について調べているんだから、もっと知っていてもいいんじゃないかと思ったけど。みんな『行けるものなら行きたいなあ』って笑い飛ばすだけだった」

「じゃあ、誰もその遠征について知らなかったってことか?」

「そうは言ってない。室長は知ってたよ。僕が聞いたら、すごい剣幕で『どこからその話を聞いた!?』って。相当焦ってた様子だったから、これは何かあるなって思ったんだ」


 エレンはそこまで話すと、胸ポケットに付いていたバッジを取り外した。それをコトンとテーブルの上に置く。バッジにしては少し大きめのサイズだ。


「上手く録画出来てるかな。これ見てもらった方が早いと思う」

「え、録画してきたのかよ。怒られなかったのか?」

「怒られなかったよ。バレてなさそうだったから大丈夫」

 

 だいぶふんわりとした返事だ。不安はあるけど、とりあえず録画を見させてもらうことにする。

 エレンがバッジを指ではじくと、宙にぼんやりと映像が映し出された。おばあちゃんのロケットペンダントと似たような感じだ。俺は目の前の映像に集中する。



 エレンの胸ポケット視点の映像では、目の前に一人の中年男性が立っている。五十代半ばくらいで、だいぶ魔素に侵食されている。それまで穏やかに会話をしていたようだ。


『ところで室長、人間界遠征の噂ってご存じですか?』


 エレンが何気ない世間話の口調で切り出すと、それまで穏やかだった室長の目が大きく見開かれた。手が伸びてきて、視点が少し上に上がる。胸ポケットからの視点だからよくわからないけど、多分胸ぐらを掴まれたか何かだろう。


『その話をどこで聞いた!?』

『痛っ……室長、あまり動かない方が良いですよ。最近体調がすぐれないと聞きましたし……』

『黙れ! いつ、どこで、誰から聞いたと聞いているんだ! 返答次第で俺は……!』


 確かにすごい剣幕だ。殺しにかかってもおかしくない。隣のエレンをこっそり見ると、本人は特に表情も動かさず淡々と映像を見続けていた。見た目は気弱そうなくせに、意外と肝が据わっている。


 小さなため息の後に、映像のエレンが答えた。


『だから、ただの噂ですよ。この前の星送りのときに耳にしたんです。なかなか面白い噂だと思ったんですが、室長には何か心当たりでもあるんですか? 返答次第で何が起こるんでしょう?』


 どこか挑発するような言い方に、室長は少し眉を上げてから手を離した。しかし、次の瞬間には何もなかったかのように柔和な笑みを浮かべる。


『もしそんな噂が広まっているとしたら、この研究室にも悪影響が及ぶかもしれないからだよ。面白い噂だ。私も……』


 そこで、ドアが開いて一人の女の人が部屋の中に入ってきた。


『室長、こんなところに。みんなが呼んでますよ』

『あー、そうかそうか。それじゃあエレン、私はこれで失礼するよ。取り乱して悪かったね』

『いえ、僕の方こそすみません。久しぶりに室長とお話しできて楽しかったです』


 室長が部屋の外へ出て行ったところで、映像はブツンと切れた。エレンはバッジを摘まみ上げると、「ほら」と笑う。


「明らかに怪しいだろ?」

「怪しいけど、大丈夫だったのか? 怪我とか」

「全然ないよ。陽翔の方が重傷だから」

「確かに」


 現在進行形で腫れてるんだった。俺は自分の頬に手を当てる。

 すると、今まで黙って映像を見ていたメアが、兄へ視線を流した。


「で、お兄はこれで帰ってきたの? そんなわけないわよね?」

「もちろん。伊達にお前の兄やってないさ」


 メアの問いを受けて、エレンは不敵に笑った。なかなか見ない表情だ。反女王勢力を蹴り飛ばしていたときのメアの表情と似ている。


 エレンは笑みを浮かべたまま、鞄の中から一通の手紙を取り出した。

 

「さあ、今からこれを読もうじゃないか」

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