第15話 真っ白な記憶

 幸せな祭りの記憶から、意識を現在に引き戻す。それでも瞼の裏には、花火を見て涙を流す、エミリの横顔が焼き付いている。


 なんとなく、気づいていたんじゃないのか。エミリのおかしなところに。あんな悲劇が起きる前から、俺は感づいていたんじゃないのか。


 花火大会の時の、エミリの苦しげな微笑みを思い出す。


 何も抱えていない人間が、あんな風に笑うはずがないんだ。何か辛いことがあるから、あんな風に笑うんだ。どうして俺はもっと早く動けなかった? どうしてエミリに救いの手を差し伸べることが出来なかった? 答えは、自分でもわかっている。


 ――俺は、エミリとの曖昧な関係に甘えていたんだ。


 ただの幼馴染。恋人とかじゃない。そう言い張ることで守ることが出来る、誰も傷つくことがない曖昧な世界。俺はそう信じ切っていた。

 でも、曖昧な世界に深く踏み入ることは出来ない。少しの綻びで簡単に崩れ去ってしまう世界だ。だから、その曖昧さがエミリを追い詰めていたのかもしれない。俺の甘えのせいだ。全部、全部。


 どんなに後悔しても、悔やみきれない。どんなに悔やんでも、あの幸せな時間に戻ることは出来ない。


 ――だから、俺はもう一度エミリに会いに行く。


 後ろは振り向かない。前だけを見て、望む未来を掴むために手を伸ばす。

 そのためなら、出来ることは何だってする。


「やっぱりエミリさんは大人っぽいね。お前とは大違いだ」

「うっさいわねこのバカ兄! 大体、エミリとアタシじゃ年が二つ離れてるんだから、その差を考慮すべきでしょ。ちょっと、陽翔。起きて」


 肩をトントンと叩かれ、俺は瞼を持ち上げた。長い間目を閉じていたからだろう。視界が少しぼやけている。


 メアは何だか不満そうに、プリクラの中のエミリを指さした。


「アンタ、エミリのこと幼馴染だって言ってたわよね。エミリがアタシと同じ年のとき、どんな感じだった? アタシと比べて大人っぽかった? 子供っぽかった?」

「え? なんでそんなことで張り合おうとするんだよ」

「いいから!」


 質問の意味がわからない。でもこれ以上質問に質問で返すと怒られそうだから、答えることにする。メアは今15歳。15歳ってことは、中学三年生くらいか。


「えーっと、エミリが中3のときは……………………」


 続きの言葉が、出てこなかった。頭の中が真っ白で、俺は呆然とする。


 中3って、何があったっけ。修学旅行とか、受験とか、卒業式とかか。一大イベントが目白押しだ。なのに、その瞬間のエミリの姿がどうしても出てこない。


 言葉が喉に詰まっているんじゃない。そもそもの言葉が見つからない。そんな感覚だった。


「陽翔? 大丈夫か?」


 咄嗟に頭を抱える。思い出せない。中3のときだけじゃない。中2のときも、小学生の時も、保育園の時も。ずっと一緒に過ごしてきたという大まかな記憶以外、何も思い出せない。

 昔のエミリが思い出せない。その恐怖が、みるみるうちに俺の体温を奪っていく。


「わ、わからない」


 そう答えた声は、震えを完全に抑えられてはいなかった。俺はもう一度「わからない」と呟く。


「エミリとの記憶を、思い出せない……」


 え、とメアが小さく声を零した。頭を抱える俺の肩にそっと手を置き、プリクラを差し出してくる。


「これ、見える? この中央の人がエミリよ」

「ああ、それはわかる……。エミリの存在を忘れたわけじゃないんだ。それはちゃんと覚えてて……」

「陽翔、一回落ち着いて。深呼吸してから、もう一度ゆっくりと記憶を辿ってみるんだ。エミリさんのことをどこまで覚えているのか、出来る限りハッキリさせよう」


 エレンが声をかけてきた。俺は頷いて、深呼吸を繰りかえす。そうして少し頭をクールにして、もう一度エミリのことを思い出してみた。


 保育園、わからない。小学校、わからない。中学校、わからない。高校一年生、わからない。高校二年生――。


 そこでハッとした。明確な境界線を見つけた。


「今年の九月より前の、エミリの記憶がない。たぶん、記憶が残ってるのは二学期に入ってからのことだ。大体ひと月前。そこから先はちゃんと思い出せる」

「ひと月か。その時期や原因に心当たりは?」

「……ないことはない、けど」


 俺は戸惑いながら答えた。時期にも合致する仮説が、一つだけある。でも、こんなおかしなこと起きるか……?


 メアが隣で心配そうに俺を見つめている。俺は膝に手を当てると、口を開いた。


「実は、八月の中旬に事故に遭ったんだ。重傷にはならなかったんだけど、その時に頭を打ったらしくて、少し入院させられた。病院の検査では何の異常もないって言われたけど、検査でも見つからなかったのか、それともその後におかしくなったのかのどっちかだろうな。つい最近も、どうして覚えていなかったんだろうってことがあったんだ」


 エレンを捜して森を走っていた時に、思い出した記憶のことだ。どう考えたって忘れてはいけない記憶のはずだったのに、俺は忘れてしまっていた。どうしてなのだろうかと思っていたけど、もしかしたら事故の後遺症だったのかもしれない。


 心当たりといえば、それくらいしかない。


「それって、事故が原因でそれまでの記憶がぼやけちゃったってこと?」

「多分……。タイミング的にもそう考えるのが自然だと思うし」

「エミリさんのこと以外で思い出せないことはないのか?」


 エレンが真剣な顔で俺を見る。


「エミリのこと以外って、たとえば?」

「何でもいい。家族や友達、勉強のこと、陽翔の住んでいた町のこととか」

 

 そう言われて、記憶を辿ってみる。

 母さん。父さん。タク。原先生。小学校の時によく遊んでた公園。今まで取ったテストの最低順位。大会の最高記録。


 大切なことからどうでもいいことまで、とりあえず思い出せるものは思い出してみたけど、その中には思い出せないことはなかった。


 「ない」と答えると、「まあ当然でしょ」とメアが軽く答えた。


「そもそも思い出せないことを思い出せるわけないんだから。アタシたちが何か指定しない限り気づけないんじゃない?」

「それはそうだけど……」


 しかし、エレンはまだ何か引っかかっているようで、じっと考え込んでいる。


「事故の後遺症か、それとも……」

「それとも?」

「……いや、なんでもないよ」


 エレンは少し躊躇うような間を挟んでから、首を振った。それから顔を上げて遠くを見る。


「とりあえず、今は経過観察かな。城下町に着いたら、君の魔素に対する力の調査ついでにわかるといいけど」

「そうね。これ以上頭がおかしくなったら大変だし」

「おい」


 とはいえ、確かに頭に異常があったら大変だ。昔のエミリのことを思い出せないのは、ちょっと……いや、かなりショックだし。


 俺は大きく息を吐きだすと、椅子にもたれかかった。窓の外を眺める。


 城下町に着いたら、エミリを探して、俺のよくわからない力を調べて、記憶のことも調べなきゃいけない。やることが多くて大変そうだけど、どれも気を抜けない大事なことだ。


 スイスイ丸は、真昼の空を泳ぐように進む。窓の外の空は透明な水色だ。


 でも、と俺は俯いた。


 何だろう。この、胸に残る苦い違和感は。

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