第2話 兄妹との出会い

 走って走って、走り疲れて。俺はヘロヘロになって森を歩いていた。

 最近は走ってなかったから、全盛期に比べて体力がかなり落ちてる。そんなに距離を走っていないはずなのに、ここまで疲れるとは。


「喉渇いたな……」


 思えば、俺は今何も持っていない。ポケットにはハンカチやら小銭やらが突っ込んであるはずだけど、ここは別世界らしいし、日本円が使えるはずないだろう。

 森だし、どこかに水でも湧いてないかな。湧いてないか。


 俺は僅かな希望を抱いて、辺りを見回した。あったのは、すぐ近くで実っていた何かの実だけ。キツめのピンク色で、ミカンに似た形をしている。色は奇抜だけど、それなりに美味しそうだ。何より、ずっしりしていて水分を多く含んでいそうなところがいい。


 俺が爪を立てて分厚い皮を剥こうとした、まさにそのとき、


「それ、食べるの?」


 突然声がかかった。ハッと顔を上げると、いつの間にか俺の正面には少女が立っていた。赤みがかった肌で、俺より年下だろう。青色と赤色のピアスが顔の横で揺れている。

 ぐいと顎を上げ、眉を吊り上げてこちらを見ているその表情は、いかにも気が強そうな感じだ。


 突然の登場に驚きつつも、聞き返す。


「食べようと思ってるけど……なんかマズかった?」

「それ猛毒よ」

「マジか!?」


 俺は咄嗟にピンク色の実を地面に落とした。少女は「知らなかったの?」と眉をぴくりと上げる。


「有名じゃない。ここら辺に住んでるなら、みんな知ってるでしょ」

「実は俺、ここら辺の人じゃないんだ。えーっと、知ってるかな。日本っていうところ。こことは別の世界らしい」

「……は?」


 少女は俺の話を聞いて、露骨に顔をしかめた。初対面なのに、なかなか攻撃的な少女だ。変なこと言った俺も悪いかもしれないんだけど、でもさっきのおじいさんは日本を知っていたどころか日本語まで喋ってたしな。


「別の世界ぃ? そんなのホントにあるの?」

「あるよ。実際に俺が来てるし。ほら、これを見てもらえば一発」


 俺はポケットに手を突っ込むと、小銭を一枚摘まんだ。取り出したのは十円玉。それを少女に突き出して見せると、少女は食い入るように見つめた。


「……確かに、見たことないわね」

「だろ? そうだ、水持ってないかな。俺喉が渇いちゃって」

「持ってるわよ。ほら、あげる」


 少女は斜めに提げていた鞄から、水筒を取り出した。コップにコポコポと注ぎ、俺に突き出してくる。


「おっ、ありがとう! 助かります」


 俺はコップを受け取ると、そのまま一気に飲み干した。独特の風味がするけど、嫌いな味ではない。


「美味しかった。ごちそうさま」

「……アンタね、ちょっとは警戒した方がいいんじゃない? もしアタシが毒入れてたらどうするの」

「え、入れてないだろ?」

「そりゃ入れてないけど」


 まあいっか、と呟いて、少女はコップを鞄の中に仕舞った。鞄を漁りながら俺に問いを投げかけてくる。


「ねえ、アンタどうしてここにいるの?」

「幼馴染を探して……。今はとりあえず、この近くにあるっていう村に行きたいんだ」

「ふうん。じゃあ、ちょっとアタシについてきてよ」


 少女は俺の手首をむんずと掴んだ。意外と力が強い。少し驚いた。


「ついてきてって、どこに連れてく気だよ」

「アタシの家、その村にあるの。ちょっとアンタに会わせたい人がいて」

「そういうこと。それなら大歓迎」


 ちょうど迷いかけていたところだ。案内人がいるなら、これほど心強いことはない。

 笑顔を浮かべる俺に、少女はため息を吐いた。


「やっぱりアンタ、疑うことを覚えた方がいいわよ」

 

 もちろん、まったく疑っていないわけじゃない。不審に思う気持ちも当然ある。でも、さっき俺がビビっていた紫色の肌や赤色の肌も、ここでは普通だということがわかった。そうしたら、ただの少女に怯える必要はない。


「じゃあ、村に案内してもらおうかな」


 俺はそう言って、もう一度少女に笑いかけた。





 少女と一緒に歩くこと、一時間。俺たちは小さな村に到着した。家々の周りを柵で囲んでいるだけの、本当に小さな村だ。畑があり、今も何人かの人が農作業をしている。ただ、少し活気がないような……?


 俺が村を見ていると、すぐに声がかかった。


「何ボーっとしてるの? アタシの家はこっち」

「あ、ごめんごめん」


 俺は慌てて少女の後を追いかけた。意外と歩くのが速いし、ついていかないとすぐに怒るからキビキビ動かないといけない。


 少女の家は、村の中だとかなり立派に見えた。パッと見た印象だと、村長の家ですと言われても不思議じゃない。赤と白のレンガのような素材で出来た家は、メルヘンチックだ。


 少女はドアを開けると、「入って」と俺を振り返った。思わず靴を脱ぎそうになったけど、どうやら土足らしい。俺は小さく頭を下げて「お邪魔します」と少女の後に続く。


「ただいま」

「……早かったな」


 少女が顔を出した部屋では、少年が何かを書いていた。眼鏡をかけた、青色の肌の少年だ。案内してくれた少女と同じ、赤と青のピアスをしている。机も椅子もあるのに、それらは使わずに床の上で紙を広げて書きなぐっている。少女は「また」と小さくため息を吐いた。


「あのねえ、せっかくパパとママが机を買ってくれたんだから、使いなさいっていつも言ってるでしょ」

「今、いいところなんだ。邪魔するな……」


 答える声もどこか上の空だ。俺はどうしたらいいのかわからず、二人を交互に見る。


「あーあ、せっかくお兄に良いお土産を持って帰ってきたのに」


 ぴくり、と少年が反応した。顔を上げてこちらを見ると同時に、彼の目がきらりと光る。


「メア、隣の少年は?」

「自称、別世界の住人」

「本当に!?」


 目にも止まらない速さで立ち上がったその少年は、いつの間にか俺の両手を取っていた。俺はその圧に押されて「はい」と頷く。


「黒髪に黒目。確かにこの辺りじゃ見かけないね。そうだ、何か別世界のものを持ってたりしない? あったら見せてくれると嬉しいんだけど……!」

「あれ見せてあげなさいよ。あの錆びたコイン」

「わかった。これとか、これとか」


 俺はポケットをひっくり返して、小銭を全部出した。一円玉、五円玉、十円玉、百円玉。お釣りを突っ込んでいるだけだから、出てきたのはそんなところだ。


 少年は目を輝かせながら、俺の手のひらの小銭たちを見つめている。


「驚いた。こんなの見たことがないよ!」

「喜んでもらえたなら嬉しいよ。あ、これあげようか?」

「いいのかい!?」

「もちろん。どーぞ」


 大した金額じゃないし、どうせ今の俺には何の役にも立たないものだ。俺は一三四円を少年の手に乗せてやる。

 少年は「ありがとう!」ととびきりの笑顔でお礼を言ってくれた。


「まさか、別世界が本当にあるとは思ってなかったわ。お兄たちだけの妄想だと思ってた。ま、今もアンタが詐欺師だって疑ってるところはあるけど」

「失礼なことを言うなよ。彼を見てみろ。痣が一つもないじゃないか」

「それは、アタシも思ったわよ。だから家まで連れてきたの!」

「はあ……。でも、お手柄だよメア。死ぬ前に別世界の住人をこの目で見れて、本当に嬉しい」

「どうも、って言えばいいのか?」


 俺としては全く何の役にも立っていないような気がするから、どんな反応をすればいいのかわからない。そもそも、どうしてこの少年がこんなにハイテンションなのかもわからない。さっきまで書きなぐってた紙、今は思いっきり踏んじゃってるし。


 俺がリアクションに困っていると、少女の方が少年を肘でつついた。


「お兄、まずは自己紹介したら? ソイツ困ってるわよ」

「あ、ああ! 忘れてた、ごめんね」


 少年はポンと手を打った。それから、俺に向かって手を差し出してくる。


「僕の名前はエレン。この世界に興味があって、簡単に言ってしまえば学者のようなものをやっている。よろしく」

「俺は一ノ瀬陽翔だよ。ただの学生をやってる。学者なんてすごいな」

「そんなことないよ。ほら、お前も挨拶しろ」


 少年改めエレンが、少女の背中を軽くたたいた。少女はため息を吐いて、いかにも面倒そうに口を開く。


「メア。一応、この眼鏡の妹。言っておくけど、アタシは学者じゃないわよ。こんな、いつ終わるかもわからない世界研究して、一体何になるんだか」


 その初対面にしてはネガティブな挨拶に、俺は思わず苦笑する。


「はは、なんだそれ。世界が終わるなんて、そんな後ろ向きな――」

「本当よ」

 

 メアが、鋭く切り込むように言った。思わず「へ?」とメアを見る。


 メアは射貫くような真剣な瞳で俺を見つめていた。さっきから僅かに感じていた違和感が、今になって明確にチクリと胸を刺す。


「正確な時期はわからない。でも近いうち、確実にこの世界は滅びる」


 恐ろしいその言葉を、メアは淡々と口にした。

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