愛おしい世界で。愛しい人と。

ダメダメ従者、王の秘密を……

 うと、うと……。

 あたしはまだ、微睡みの中にいた。気持ちよくて、中々起きられずにいる。眠気にはどんなものでも勝てないのだ。

 

「はっ……!」

 やっと目を覚ました。あたしは壁掛け時計を確認する。

 午前九時……午前九時……午前九時ィィ?!!!

「嘘でしょ??!!」

 困惑しながらもベッドから飛び起きて、急いで準備する。

 ブラウンのブラウス、ピンクのプリーツスカート。膝上は規則違反だけど、まぁいいや。ヨレヨレのハイソックス、膝まであるブーツを履いて部屋を飛び出した。

 顔も洗ってないし、髪も整えていない。

 とんでもない出で立ちだけど、しょうがない。寝坊したんだから。うん。


「遅れましたぁー!!」

 叫びながら滑り込む。

 正面を見ると、リーダーがおっかない顔であたしを見下ろしていた。手にはグッと押しつぶされそうな程になった万年筆が握られていて、いかにも怒ってます! って感じだ。

「今、何時だと思ってんの? レウェリエ・クリース」

 ひいい、すいません。あたしは必死に頭をペコペコ下げる。が、それが逆効果だったようで、リーダーは顔を鬼のようにして万年筆をグシャッ!!! っと折った。

「何、その謝り方!!! それに九時よ、九時。あんた、今月何回遅刻したか判ってんの???」

「15回……くらいでしょうか」

 あたしはおずおずとそう答えるが、リーダーは「あぁん?!」と怒鳴って、更に凄い表情になった。おっかない。

「31回! 毎日よ?! 毎日!! どう思う?! 従者にお仕えする身として、どうなんでーすかー?! こ、れ!!」

 怖い怖い。しかしリーダー。そうこうしている間にも時間は過ぎまっせ。さっさとした方がええんちゃう? 

「もうこんな時間!! はい! 今日の業務開始!! 私語厳禁! ぱっぱとやりなさい!! ぱっぱと!!」

 どことなくヒステリックなお母さん感凄いんだよな、このリーダー。

 まぁいいや。仕方なくあたしは窓拭きを始めることにした。

 下っ端は窓拭きくらいしか仕事がない。他はただひたすら先輩のお茶を淹れるとか。

 あたしは前日に言われていた仕事内容を思い出す。

「窓拭きと……あとは……」

 ……へ?? 

 あたしは自分の記憶を疑った。窓拭きの次に言われたのは、確かに「アネラ様の来客時間を聞いて、お茶を用意する」だったのだ……。

 アネラ・アンナ・フェルナンデス様。この世界「エステラ」の王。

 信用している従者以外誰にも姿を見せず、カーテンに覆われた椅子に座って日々を過ごしている。

 最近は王女であるマリア様も生まれて、幸せそうだ。

 アネラ様と話すだなんて、こんな下っ端の役目でいいのか? ん? 

 まあ、こんな重大な仕事を与えられたということは、それだけあたしの重要性に上が気づいたということ。やっとか。

 このチャンスはもう巡り会えないかもしれない。だからしっかりと、悔いのないようにしよう。

 あたしは階段を駆け上がる。

 アネラ様のいる部屋は十五階。だから着く頃にはあたしの体が酸素を欲して過呼吸を起こすであろう。

 あたしのブーツがカッカッと音を鳴らしながら動いている。

 十五階に着いた。

 コンコンコン、しっかりと三回ノックする。先輩たちによると、これで中からアネラ様の威厳に溢れたいかにも「女帝」って感じの声が聞こえる……らしい。

「入りなさい」

「失礼いたします」

 ね、やっぱり。本当に威厳に溢れていて、少し身震いした。

 部屋の中は、絢爛豪華な客用のソファやテーブル、本棚、本読み台のついたテーブル、天蓋付きのダブルベッドが置かれている。決して広い訳ではないこの部屋だが、清潔に、清楚に飾られていて、アネラ様の上品さを感じた。

 部屋の奥には、シルクのカーテンで覆われた、古代エステラより伝わる王のみが座ることの出来る椅子、「ディオサ・シーリャ」がある。それに座っているのが……アネラ様だ。

 カーテンが窓から入ってくる風によって揺らされる。アネラ様のお姿が影となってカーテンに映し出されるのは、少し不気味さを感じた。

「お客様がいらっしゃる時間をお訊きさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 あたしがアネラ様に訊ねると、カーテン越しに頷いてくださった。きっと、外からアネラ様のお姿は見えないけれど、アネラ様の瞳にはしっかりとあたしが映っているのだろう。

「今……九時半だから、恐らく一時間後に来ると思うわ」

「はい、かしこまりました」

 アネラ様との会話は、はきはきとテンポよく進めていくことが大事だと、先輩が言っていた。どうやらアネラ様はかなりせっかちな方のようで、ゆっくり話しかけられるとイライラしてしまうらしい。

「お掃除はどうされますか?」

「そうね……。取り敢えず床磨きだけやってもらえたらそれでいいわ」

「はい、かしこまりました」

 床磨きは、薬草で作った薬液で床に艶を出して、それを専用のブラシで磨く……というもの。あたしはポーチから薬液を取り出し、床に撒いた。くすんでいた床に艶が出てくる。次はブラシを出して、磨いていく。

 開け放たれた窓から、春の暖かい風が入ってきた。それにしても、今日は風が強いなあ。まるで全てが吹き飛びそうなほどに。

 アネラ様のカーテンもさっきより激しく揺れている。クリップ付けた方がいいかな? まあいいか。

 続けて床を磨く。

 さっきより強い風が吹いてきた。本読み台の上に置いてある本のページがどんどん捲れていく。棚の硝子がカタカタ音を立てている。風強いな……窓閉めよう。

 そう思った。が……

 バサッ——

「え?」

 気が付いた時にはもう遅かった。カーテンはグシャグシャになって部屋の隅に飛ばされている。露わになったディオサ・シーリャ。そこに座っていたのは、紛れもなくアネラ様だった。白銀の髪の毛が光に照らされて輝いている。

 アネラ様はじっと俯いたまま硬直。あわわ、どうしよう……。リーダーに見られたらなんて言われるか……。

 落ち込んでいると、高らかで無邪気な笑い声が聞こえてきた。顔を上げると、アネラ様がお腹を抱えて大笑いしている……って、え?  

 眉下で綺麗に切られた前髪。姫カット。低めだけども小さい鼻。薄い唇。真っ白な肌に健康的な細さの四肢。足元には白いヒール。その体を海の様な水色のドレスが包み込んでいた。

 「美少女」を具現化したような見た目。その目元にまた圧倒された。

 一重の優し気な瞳。右目はまるで鮮血のように鮮やかな猩々緋しょうじょうひ色。左目は深海のように深い瑠璃色。その上にはまるで雪のように柔らかくも冷たい、真っ白な睫毛が覆いかぶさっていた。

 あたしがため息をつきながら見惚れいると、アネラ様はにっこりと微笑み、あたしの顔をじっと見つめた。

「ここ数百年で初めてクロエと母親、マリア以外の人に会ったわ!! 新鮮で面白い!!」

 クロエというのは、従者の中のリーダー。さっきのヒステリックババアじゃなくて、幼女みたいなふわっふわのツインテールに緑のクラロリワンピの子。あたしより何百歳も年下なのに、気がよく利いて、料理も上手で、世間のこともよく知っているから、特別ディオサ・シーリャの掃除が許されたり、アネラ様と直接顔を見て話すことができるのだ。まあ、彼女はほぼ王家と同様の身分だから、あたしはそう簡単に会えないけどね。

「瞳、とても綺麗ですね……」

 硝子玉の瞳が光を映して、きらきらと輝く。右目はルビー、左目はサファイアが瞳に埋まっているようだった。

 雪の様な睫毛がその瞳を守るかの様にして覆う。

「ありがとう。でもね、昔は両目とも瑠璃色だったのよ」

 今は鮮やかな猩々緋色をしている。が、昔は違うのか。なぜだろう。

 アネラ様は本棚に寄って、引き出しを開けた。中からは白い砕かれた様な粉の入った瓶が大量に出てくる。その粉は所々鮮やかな赤で染まっていた。これが何だかは触れないでおこう。

「あった!」 

 手には破れかけたボロボロの写真がある。見ると、モノクロの写真で、少女と少年が二人並んで椅子に座っていた。

「これは……」

「左があたし!」

 弾んだような声でキャッキャと喜ぶアネラ様。

 王宮での写真なのだろうか。後ろには先代王のアリナ様が写っている。隣の少年は、何処かの王子かなんかだろうか。アネラ様が王女様だった時、確か大会議があったような気がするし。

「この少年、誰ですか……?」

 あたしが訊くと、アネラ様はスローモーションがかかったようにしてゆっくり振り返る。まずいことでも訊いてしまっただろうか、どうしよう……。

 アネラ様は生気の無い目をこちらに向けて、ピタッと固まった。その瞳は、何かを睨んでいるようで、恨んでいるようで、とても怖い……。

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