私たちが人であることを担保しているのは何か

 サイバネティクス技術の発達した未来、体の構成要素のほとんどを人工物に置き換えた人の、とある日々の習慣のお話。
 タグにある通りのサイバーパンクSFです。退廃した未来の世界、どちらかと言えば生きるための必要に迫られて身体の機械化を進めた主人公の、とある一日を描いた物語。
 この主人公の造形を初めとして、世界そのものありようやその実際など、細かく組み上げられた設定にまず驚かされます。登場するもの、目に映るものすべてに説明が必要な(=現実世界のそれとは異なる)世界。それを読者にわからせる手腕の見事さに加え、この世界そのものの密度にクラクラします。心地よく浸れる感じ。SFに求める楽しみのひとつ。
 これら設定部分の堅牢さや鮮やかさもさることながら、より魅力的なのはやはりこの物語の主題そのもの。おおよそ中盤を過ぎたあたりから牙を剥いてくる、「人間性とは何か」という問いの部分です。姿形や機能はおろか、思考そのものさえ後から付け替えた人工部品により変質している主人公が、なにをもって自己を「人である」と認識しているのか。この一見難解そうな問いを、しっかり読み応えのあるお話として語り通してみせる、この物語の組み立てそのものが大変に魅力的でした。
 また、実はよくよく考えてもみると結構身近なテーマというか、なにもSFの世界に限った話でもない、というところにハッとさせられます。姿形や身体機能はまだしも、思考などは経年変化で普通に変化してしまう(脳機能の低下とまで言わずとも、ただの忘却や心変わりだって十分そう)。物理的な姿形については、生きている人間では難しくとも、では亡骸なら? 例えば遺体を火葬して骨にしたり、またその骨を土に還すなり砕いて撒くなり、さてそれらはどの段階で「人であったもの」から「ただの物」に変化するのか? 普段は意識せずにいるふわりとした何らかの線引きを、でもはっきりした姿で目の前に突きつけてくれる、いわば思索の楽しみようなものをたくさん含んだ作品でした。