2.夕日と絶対

 ムシャクシャしたので夜に家を抜け出し、オレはコンビニのカップ麺を買った。豚骨だの醤油だの激辛だの色々あったが、たぶん一番スタンダードそうな塩ラーメン。

 片喰家に眷属として引き取られて八年、オレはワガママも言わず……むしろ夕日のワガママに振り回され、先生たちの言うことはすべて守ってきた。

 これが初めての掟破りだが、かまうものか。まさかカップ麺一つで追い出されたりはしないだろう。こっちは育ち盛りの中学生だ。


「お湯を入れて三分、っと……」


 CMでよく聞くフレーズを実行。普段はインスタントコーヒーを飲むためぐらいにしか沸かさない電気ポットを、新鮮な気持ちで持ち上げる。

 タイマーをセットすると、妙にその待ち時間が長い。深夜十一時。夕日は部屋でゲームでもしているか、寝ているだろう。

 キッチンからリビングに移動して、テレビをつける。スマホで動画を見てもいいのだが、何を観るのか探すのも面倒だ。


 知らない芸人のトークと、ガヤの音声を聞きながらカップの蓋を開ける。初めて食べるカップ麺は、「まあこんなもんか」という感想だった。

 吸血鬼用の血液入りランチとカップ麺なら、こっちを選びたいぐらいにはウマいと思う。旨味があって、しょっぱくて、脂が夜中の微妙な空腹感を満たしてくれた。

 半分ほど食べたその時だ。


「何してんの、ガク?」


 片喰家は大きな家で、リビングの上は三階まで吹き抜けになっている。その二階にあたる階段のあたりから、夕日の声が降ってきた。


「それ、わざわざ買ってきたの」


 とんとんとん、と焦るでもなく階段からリビングへ移動しながら、夕日は問いつめる口調になる。ブルーの寝間着姿で、にらむように赤い目を尖らせた。

 何やら怒っている気配がするが、オレはそれほど悪いことをしたとは思っていない。堂々と答えてやる。


「ラーメン、食いたかったんだよ」

「そんな下賤げせんなもの、僕は食べないって言ったよね?」


 腕を組んで、はっきりとにらまれた。やたら刺々しい目だ。


「オマエに食べろなんて、言ってないだろ」

「違う。おまえが食べたものが血になって、僕の口に入るんだ。その血は僕のものだ。体を汚すような真似をするな!」

「はあ?」


 こいつマジかとオレは顎が外れそうになった。夕日はゆくゆくは医者になって、父と祖父の病院を継いでいく立場だ。代謝のことが分かっていないはずがない。


「次の検診まで、オレの血にラーメンが残っているワケねえだろ!」

「そういう問題じゃない!」


 夕日はいよいよ顔を真っ赤にして、両の拳を握りしめた。全身を震わせて、もう少しで、子どもみたいに地団駄を踏むんじゃないかと思う。


「僕の眷属のくせに、言うことがきけないのか!!」


 その言い方だ。オレが眷属としてこいつの持ち物になっているのは事実だが、だからって昼間みたいな言い方は嫌だった。

 こうしてカップ麺をこっそり買ってきたのも、ささやかな意趣返しだ。


「そんなに自分の思い通りにしたきゃ、オレに首輪でもつけとけ」


 吐き捨てた瞬間、すーっと夕日の顔が白く戻る。細められた目から、人が暴力を揮う直前の気配が放たれ、オレは思わず後ずさりしそうになった。

 その瞬間には、もう顎をつかまれている。元来人間を狩っていた吸血鬼は力が強く、それは虚弱な夕日であっても変わらない。腕力でコイツにはかなわなかった。

 万力のような力でこじ開けられた口から、夕日はオレの舌をつまんで引っぱる。


「首輪ならもうある」


 そこには〝eat me!〟の文字と、片喰家の刻印。小学校を卒業した時、「もう子どもじゃないよね」と言って、夕日がオレに入れさせたタトゥーだ。

 昔の吸血鬼は、自分の眷族には焼き印や入れ墨で所有の証を入れた。夕日の行動は自分たちの伝統にのっとった、古臭くも正当なものだ。

 痛がらないよう舌に麻酔もされたし、焼き印よりずっといい。でもこれがあるから、オレは人前で大きく口を開けない。吸血鬼が牙を隠すように。

 夕日の手が離れた。


「そう……だな。オマエにとっちゃ、オレは友だちでもなんでもないもんな」


 言葉にすると、胸の中にひんやりと冷たいものが広がる。オレはどこかで、夕日がそれを否定してくれないかと期待していた。けれど。


「友だちなんていらない」


 夕日はオレの肩をつかむと、牙をむき出しにして襟元を引っぱった。まばたきする間もなく、採血針とは比べものにならない太さがオレの首すじを貫く。

 痛みは一瞬で、次に来るのはじわりと染み入る冷たさ。牙から注がれた吸血鬼の毒が全身を脱力させ、頭をにぶらせる。たまらずオレはその場に転がった。


 eat me. イート・ミー。

 オレの名字の糸見とかけて、「私を食べて」。


(ふざけやがって……!)


 視界を、夕日の目が真っ赤に埋めつくす。顔に息がかかる距離。


「おまえも友だちなんかじゃない」


 飼い犬。ペット。家畜。ただこいつに血を飲ませるためだけの。冷え切っていく胸の中が、重く体の奥へと沈んで、穴が開きそうな気がしてくる。

 首の傷口からあふれる血を、夕日の舌が舐め取った。毒の回った体は無抵抗で、オレはされるがままに貪られるしかない。


「ペットでもない。眷属なんて、口実なんだ。おまえは僕の味方でいろ、ガク」


 すとん、と。思いも寄らない言葉が、白羽の矢みたいに胸に降ってきた。


「僕が何をしても、何があっても、絶対に僕の味方をするんだ。そうしたら、僕もおまえの味方をする。二人でなら何でも平気な、一蓮托生だ」


(なんだそれ。いや、なんだそれ。なんだその告白)


 ただの友だちより、ずっとヤバい関係じゃないか。それともこれは、夕日流の友だちになってくれ宣言じゃなかろうか。

 あれこれと言ってやりたいことが次から次へと頭に湧いたが、オレはもうしゃべる力すらなかった。ちくしょう、気楽に人を噛みやがって。

 毒が抜けたら文句を言いまくってやろうと心に決めて、オレは意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る