第五話 絶体絶命

 良晴は信奈と二人で森の最奥部へと分け入り、信楽焼再捜索を開始した。

 傾斜が急でほとんど「山」と言っていい森林の中を「きゃー! ヒルよ、ヒルだわー! 良晴助けてー!」「ギャー! 蛇よ、蛇だわー! 良晴助けてー!」「待って、これはツチノコだわ! 捕獲して高値で売り払うのよー! テレビ局に持ち込むのもアリだわ!」「あーっ、カマキリだわ! ちーっすカマキリ先生、昆虫について今日は実地体験で学ばせていただいていまーす!」と(主に信奈が)大騒ぎしながら捜索すること三十分。

 河を降っていくうちに、二人は水車小屋の正面まで辿り着いた。小屋の中は無人らしく、呼びかけても返事がない。窓から内部を覗き込んでみると、どうやら厨房らしい。

 信楽焼が流れていった河の流れは、途中で分岐していなかった。つまり、必ずこの水車を経由する。かなりの大きさだから、この水車を通過できるとは思えない。

「信楽焼が水車のどこかに引っかかっていないか、信奈?」

 ところが朝ご飯を食べていなかった信奈は騒ぎ疲れたのか、「ちょっと小腹がすいたからキノコを詰んでくるわね」と呟いてふっと姿を消した。

 良晴は「おいおい、信奈が詰んでくるキノコって高確率で毒キノコなんだからやめておけよ」と制止した時には、もう信奈の姿はない。

「やれやれ。戦国武将をやってない信奈って、ほとんど学級崩壊児童だな。まあいいか、それだけ自由で平和な人生を手に入れられたってことなんだから……いや、今はぜんぜん平和じゃない。気を抜くな俺。殺されなくてもみそに感染して支配されたら狸の尖兵だぞ」

 急いで水車を調べ、良晴は信楽焼を発見。ついに確保した。あとは狸を封じるだけだ。

「お待たせー! いっぱいキノコ詰んできちゃったー!」

 信奈が戻ってくるまで、わずか三分だった。凄まじいスピード、と良晴は感心した。

「途中で池に落っこちて、びしょ濡れになっちゃった……溺れるほど深くなくて助かったけど、くちゅん! ふ、服を干して乾かしていいかしら?」

「って、信奈っ!? おおおおお前、わわわワンピースを脱いでししし下着姿ににににって、ちょっと待ってくれ! 不意打ちすぎて目のやり場がない! さっきの小早川さんは偽者だって言っただろー、張り合うことないって! だいいち、そんなあられもない姿では、みそを投げられたら一発でアウト……」

「あ、あんたこそなに意識してんのよ! このエロザル! 仕方ないでしょ、この戦場のど真ん中で風邪ひいたら脱落じゃん。さっさと焚き火を起こして!」

「わわわわわかった。たたた焚き火だな? 厨房に入ろう! 竈があるし、風よけにもなる!」

 戦国世界ではさんざん信奈の見せブラを見てきたというのに、この学園世界で唐突に見せられると(うわっ)と戸惑ってしまう。

(まずい。まずい。見慣れているはずなのに、シチュエーションひとつでこうもインパクトが違うのか。理性が働かない……しかし浮かれすぎだろ、なに考えてんだ信奈は)

 落ち着け落ち着け今は狸にだけ集中しろと深呼吸しながら、良晴は信楽焼を抱えて厨房に入った。続いて、下着姿の信奈が――。

「昭和の厨房って感じでいい雰囲気。なんだか純文学の恋愛イベントみたいねー良晴。ね、ねねも梵天丸もまだ到着していないし、ど、どうかしら? き、き、キスくらいならば……その……」

「ののの信奈っ? 本能寺でのあんなことやこんなことを思いだすからストップ!」

「んー? 本能寺って、なーにー?」

「いやそれはそのっ……って、どうしてみそ漬けの壷を手に抱えてるんだ?」

「えーと、それはねえ……あんたを裸に剥いて全身にみそをぶっかけるためよ」

「高度なみそプレイっ!? 信奈にそんな性癖がっ!? 日本に五人くらいしかいなさそうだな!」

「違うわよーっなにが高度なみそプレイよーっ! 良晴、あんたってば女に誘惑されたらまるで耐性がないんだから! わたし相手に浮気した罪、万死に値するわ!」

 ドーン!

 厨房の扉を蹴り飛ばして、勝負服のワンピースを着込んだもう一人の信奈が飛び込んできた。

「なにいいい? 信奈が二人っ!? どっちが本物なんだーっ!? わ、わからない! 外見は完璧に同じ! 下着姿の信奈のボディラインも完璧に本物! へその形まで一致している! 肉眼では見分けがつかないっ!」

「なんであんた、わたしのへその形を克明に暗記してるのよーっ? 変態じゃないのお!?」

「キノコを持ってないそっちの信奈のほうが狸よ、良晴! わたしに化けて、みそを奪うつもりだわ! 騙されないで! ほら、わたしに信楽焼を渡して!」

「キノコはねえ、詰みながら同時に食べちゃったのよ! 満腹になったから戻って来たら、なによこれはあああ? 良晴、わたしとの絆が本物かどうか確かめてあげる! 本物のわたしを選びなさいっ! 迷ったり外したりしたらその時は――!」

 俺はねねや犬千代みたいに鼻が利かないんだ! わかんねえよ! と良晴は頭を抱えた。

(もうだめだ、おしまいだ。下着の信奈を選んでも切れられる、着衣の信奈を選んでも切れられる。詰んだ……!)

 相良良晴、絶体絶命。だがその時。

「むーむー! 兄さま、騒ぎを聞き付けてねねがはせ参じましたぞ! 下着姿の信奈姫のほうが狸ですぞ! 池の水で身体を洗って匂いを落としているですぞ、ですがわずかに元康どのの香りがしますぞー! そう――奥三河人特有の森の狸の香りが!」

「ククク、乳母車を押しながら走るのは骨折りだが間に合ったにょだ。相良よ信楽焼を手放すでない、我がただちに呪文を詠唱して狸を封印するにょだー!」

「たぬっ? 鼻が利く虎娘を真っ先に感染させて勝利確定したはずが、この幼女もそこまで鼻が効くたぬかっ? 誤算たぬっ、いったん退却っ!」

「ねね? 梵天丸? 助かったぜサンキュー!」

「結局あんた、どっちも選べてないじゃんっ! 良晴がさんざんわたしの下着姿を眺めて鼻の下を伸ばしてるうちに、また狸に逃げられちゃったわ!」

 貴様らにもはや逃げ場はないたぬと呟きながら下着姿の信奈は、厨房から忽然と姿を消した。だが、かろうじて信楽焼は死守できた。

「ねね? 奥三河人特有の狸の香りなんてほんとうにあるのか? ご先祖は奥三河出身でも、元康は芦屋生まれの芦屋育ちだぜ? 俺にはぜんぜんわからない」

「そんなものはない相良良晴。でまかせなのだ、ククク。我がねねに命じてブラフをかけさせたにょだ。合理的な現代人が相手では通じぬが、中世を生きていた狸の類いならばその手の与太話を信じるだろう、故に過剰反応したほうが狸だと読んだにょだ。中世は現代よりも『香り』や『匂い』に対する感覚が鋭敏な世界だったはずだからにゃー。うんと褒めろ、頭を撫で撫でしろ」

「そういうことですぞ兄さま。梵天丸どのは卓越した妖怪ハンターですな!」

 もしも「埼玉県民特有の池袋の香りがする」と言われていたらわたしもうっかり信じて「やだ、この前上京した時に池袋のアニメイトで『刀剣無双』グッズを爆買いしていたことが良晴にバレちゃう! あの時、埼玉県民の香りが移ったんだわ! 池袋は埼玉の植民地だから!」と動揺していたわ……と信奈が震えた。埼玉県民に聞かれたら抗議されるぞと良晴がたしなめる。なんでよ群馬県民の焼き饅頭の香りよりマシでしょと信奈。こういうキャラだから有馬の山から攻めて来る信玄ちゃんと不仲なんだなと良晴は納得した。

「あの竹千代狸、逃げ場はないって捨て台詞を吐いていたけれど、どういう意味かしら」

「それはだな、信奈――この厨房は今や、狸とその使い魔たちに完全包囲されている……」

「な、なんですってえーっ!?」

「厨房の外に、元康どのの姿に戻った狸妖怪が! 犬千代どのと義元どのまで!」

「みそをかけられたSPの大軍団まで集結したにょだ。ゾンビ映画のクライマックスに相応しい修羅場ではないかククク。チェーンソーで撃退するにょだ相良!」

「こらこら梵天丸、チェーンソーとか散弾銃とか斧とかナタとかNGだからなっ! 相手は狸に操られているだけの人間だから!」

「で、でも、じりじり包囲の輪を詰めてくるわよ良晴! 多勢に無勢、突入されたらおしまいだわ! 信楽焼に狸を封じる前にこっちが制圧されちゃう!」

「選択は二つにゃのだ織田信奈。ひとつ、こちらから打って出て包囲網を破り、狸本体すなわち元康を強引に信楽焼に封印する。ふたつ、策を用いて狸本体を厨房へとおびき寄せる」

「打って出ても勝機はないわ。狸を厨房に! わたしを下着姿にひん向いて良晴に見せびらかした罪は断じて許されないのよ! 竹千代の記憶から再現したのかしら……やーねー」

「待てよ信奈。奪吻公は身体能力も凄いが頭が切れる。俺たちの裏を掻いて、すでに誰かに化けてこの厨房の中に今も潜り込んでいるということも……」

「ありえますな、兄さま! 狸は消えたのではなく、誰かを厨房から叩き出すなり隠すなりして、化けたまま厨房に居残っているのかもですぞ!」

「えーっ? いやでも、ありえるわね! あの変化能力は神がかってるから、本人かどうか容易に区別できない! ねね、匂いで誰が狸かをチェックできる?」

「それが……この厨房はみそ臭くて無理なのですぞー! けだもの並みの嗅覚を誇る犬千代どのなら可能なのですが、口惜しいですぞ」

「じゃあ、誰が本物で誰が狸か、見分けられないってこと? いやああああっ!? わたしじゃない、わたしじゃないからっ! よよよ良晴は本物よね? 下着姿のわたしを見ていたあのエロザルの目つきはきっと本物だわ! そうよね?」

「信奈姫がもう一度下着姿になれば、兄さまが本物かどうか、目つきで特定できますな!」

「そんなのやーだー! 恥ずかしいしぃ、脱いだ瞬間にみそをかけられたら終わりじゃん! たぬたぬたぬ、だなんて死んでも言いたくなーいー!」

「落ち着けみんな! 俺が余計なことを言ったばかりに……思えばこの騒動を甘く見て、幼いねねまで巻き込んでしまった。すまない」

「はっ? まさか、この中に狸がいるかもと言いだした良晴が……嫌よ、そんなはずない! 目の前の良晴が本物か偽者か区別できないなんて、そんなの天下布部終身名誉部長失格だわ! 小早川に良晴を盗られちゃうー! やーだー!」

「兄さま、信奈姫。それを言いだしたらこのねねも怪しいですぞ! ここは恐怖に耐えて仲間を信じる時ですぞ!」

「え、ええ。ねねの言うことは正しいけれど、もしも狸が混じっていたらわたしたちは詰みだという事実は変えられない……ちょ。なんでみそ壷を抱えてるのよ梵天丸? 手放しなさいよーっ、わたしがみそを死守するからっ! なぜなら、わたしだけは絶対に正真正銘本物の織田信奈だからっ! わたしがわたし自身に賭けて保証するわ!」

「疑心暗鬼が疑心暗鬼を生むナイスな展開になってきたにょだ、ククク。これだからホラー映画は最高にゃのだ! 絆がぶっ壊れての同士討ち全滅エンドが見えてきたにゃ」

「まずい。SPたちが四方から前進してきた! 疑心暗鬼に陥っている時間はないぞ、みんな! 本体が厨房にいようが外にいようが、今すぐに狸をここに呼び寄せて封印する! 方法はないか、なにかいい方法は……!?」

 良晴たちは今や完全に追い詰められていた。このまま狸の使い魔にされてしまうのか?

「きっと方法はある! この織田信奈が中世の狸に負けていいはずがないのよ!」

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