第2話 お嬢様の桁外れた常識

 理事長から娘への溺愛は、校則のみならず学園の内装にまで影響を及ぼしている。

 まるでお城の中にいるような落ち着かないロココ調だ。

 天井が高く、廊下も幅広い。

 壁には風景画が描かれている(印刷されている)ため、開放感がある。


 ステンドガラスが多いため日の入りも多く、蛍光灯がなくとも日中は明るい。


 汚れ一つない真っ白な階段を上がり、二年生の教室がある三階へ向かう。

 三年の教室がある二階を通り過ぎたところで視線を上げると、

 ステンドガラスとそれを囲う天使の子供たちが描かれた風景画をバックにして、

 踊り場に一人の女子生徒が立っていた。


 マス目状のモノトーンでデザインされた制服は男女共通。


 多少の改造は目を瞑ってもらえるが、このお嬢様ほど許された生徒はいないだろう。

 露出に関しては一般生徒よりも控えめではあるものの、

 制服の作りがそもそもで特別扱いされている。


 モノトーン調でありながら光を当てると輝いて見えるのだ。

 恐らく、刺繍段階で金色の糸でも使っているのかもしれない。

 他にもポケットの数が多い、校章以外にも購買、学食がタダになるバッジを胸につけているなど、誰が見ても分かる大胆な贔屓であるが、文句を言う生徒は一人としていなかった。


 ……言えない、が正しいだろう。


「はやしだ、おーそーいっっ」


 腰に両手を当て、にっ、と満面の笑みを向けてくる。

 ステンドガラスを抜けた光を浴び、銀髪が強く輝く。

 胸以外の発育が遅れている小さな体は、年下を思わせるが立派な同級生だ。


 これが噂の茜川陽葵お嬢様。

 特徴的なのが、垂れたうさ耳の黒いカチューシャ(ロップイヤーだっけ?)だ。

 ぴんと立ったうさ耳でないのはお嬢様曰く、

「向かい風のとき、うしろにぐいって持っていかれるんだよね」らしい。


「予鈴鳴っただけだから遅刻じゃないぞ」

「そうだけどー。なにしてたの」


 身長差があるのでちょうどいい位置に頭がある。

 すれ違いざまにぽんと手の平を乗せ、


「寝坊」


「うそ! 靴箱に靴、あったもん! 

 八時前には学園にいたってわたし知ってるよ!?」


 階段を上がる俺の後ろをとことことついてくる。

 理事長に呼び出されたことは口外厳禁になっているため、誤魔化すしかないな。


 茜川への贔屓は転入当初からされていたのだが、

 本人はみんなと変わらない一般生徒という認識だ。

 昼食がタダでもらえるバッジはともかく、

 それ以外に関してこのお嬢様はおかしいとは思っていないらしい。


 分からないなら、知らない方がいいんだろうけどな。


「あー、まあ、色々としてたんだよ。

 いいじゃんかよ別に。俺がいなくても友達ならもうできただろ?」


「うんっ。この学園のみんなはすっごい優しいよね! 

 親切にしてくれるし、困っていたらこっちが声をかけなくても助けてくれるんだもん!」


 ほらほらっ、とスマホの画面を近づけてくる。

 はいはい、友達の数が多いっすね、俺はこの学園で十人もいないけどな。


「友達が増えたなら俺の役目は終わりだろ? 

 転校初日に、しばらくの間、学園の案内とか授業の進み方とか教えてくれって言われた契約はもう既に切れてるはずだけど」


「はやしだは、契約しないとかまってくれないの……?」


 俺の制服にしわを作りながらしがみつき、上目遣いで見つめてくる……。

 垂れたうさ耳が子犬のしょんぼりとした尻尾に見えて、罪悪感が湧いてきた。


「そういうわけじゃ……、分かったよ。もう好きにしてくれよ。

 ……わざわざ俺なんか選ばなくてもよりどりみどりのはずだけどなあ」


「友達はたくさんいるけど、でもわたしは、はやしだがいーの」


 好意を寄せられているのは嬉しいけど、このままだと後が恐いな。

 かと言って突き放すとそれはそれで文句を言われるし……。


 進むも地獄、退くも地獄だ。



 遅刻認定三分前になんとか教室に辿り着き、自分の席の椅子を引く。

 窓側から二列目。いちばん後ろの席だ。


 教室内は、デザインはともかく、大きさは至って普通だ。

 三十人前後が机を並べて授業を受けられる程度の長方形の箱である。

 でも、少し天井は高いか。小さなシャンデリアが四つ、ぶら下がっている。


 廊下もそうだが、教室内には土足でも踏んでいい絨毯が敷かれていた。


 最初は変な感じがしたが、慣れてくると学園の外に出た時の方が違和感だった。

 予鈴も過ぎたこともあって、クラスメイトはほとんど席についている。


 空席は俺と茜川だけだったようだ。

 右隣に茜川が座る。

 左の席で、いつものように「よう」と、親友が声をかけてきた。


「重役出勤じゃん、モテ男」

「モテてねえよ……パシられてるだけだっての」


「自覚してるなら迂闊に頷かなければいいのに。

 反射的に引き受けるから厄介で面倒なことに巻き込まれてるんだろ」


 あんたの場合は巻き込まれにいっているのか、と親友が呆れていた。


 スカートにもかかわらず椅子の上であぐらをかいて、親友はスマホをいじっていた。

 一応、言っておくが、こいつは女子だ。

 女装趣味の男子生徒ではなく、俺の親友はれっきとした女子生徒で間違いない。


 茜川と違って、胸も含めて発育が遅れた、

 中学生どころかランドセルを背負っても、

 まだギリギリ通えるんじゃないかってくらいの未発達な容姿をしている。


 肩まで伸びた黒髪は、

 明らかにこいつが自分でやったわけではないアレンジがされていて、

 くるんとカールしている。

 そう言えば、妹がいるって言っていたな。

 休みの日に遊ぶ時、こいつの私服はなぜか毎回、気合いが入っているのだ。


 相手が俺だって言うのに、だ。

 妹の趣味であるゴスロリ衣装は、意外にもこいつには綺麗に似合ってしまう。


「っっ、クソ! また出なかった!! 確率おかしくないかこれ!?」

「またガチャ回してるのかよ」


 親友がスマホを地面に叩きつける寸前で――思いとどまって手を止めた。


 スマホが壊れるからどうこうでなく、机の前に貼り付いていた茜川を見つけたからだ。


高科たかしなちゃん、課金する?」


 茜川陽葵はお嬢様だ。

 俺らとは比べものにならないくらいのお小遣いをもらっているし、

 あの理事長に一言、甘い声でお願いをすれば軽く三桁万円くらい、

 ぽんと出してきそうなものだ。


 そのお金で課金すれば、そりゃ欲しいアイテムくらい引けそうなものだが……、


「いや、それだとつまらないでしょうよ」

「そーなの?」

「なんでもかんでもお金で解決してたら虚しくなるだけでしょ」


 お嬢様は首を傾げた。分からないのも無理はない。

 抑圧の上で手に入れたものに比べると、大金を積んで手に入れたものは、

 やはり前者と違って価値が変わっていく。


 それはどちらも経験した者だからこそ分かることで、

 未だに苦労してなにかを手に入れたことがないお嬢様には、

 異世界のように現実離れした感覚なのだろう。


 苦労しないで欲しいものを手に入られたらそれに越したことはないのだろうけど。


 過程であるならまだいいが、それが結果なら一気に興味を失う。


 武器を作るため、出現確率の低い素材を簡単に買えて集められるなら、

 金を積むのもやぶさかではないけど、

 じゃあラスボスを一撃で倒せる権利を買うとなるとそれは違う。


 そんなものに感動は覚えない。ただの作業になってしまう。


 俺も高科も、そっち派の人間で、課金するにしても制限を設けている。

 互いに上限金額を越えずにどう強くなるのかを競い合っているのが最近のブームだ。


「わたし、コンプリート済みなんだ」


 この前に紹介したばかりで、既にレベルも上限で、

 レアアイテムもコンプリート済みだった。

 ……そこまでいくともはやなにをすればいいの? と指が宙を泳いでしまう。


「みんなすごいすごいって褒めてくれるの。でもこれ、なにが楽しいの?」


 純粋な目でお嬢様が訊ねてくる。


 茜川が楽しいと感じているのはゲームを通して人間関係を作れることで、

 ゲームの内容自体はどれだけレベルが上がっても分かっていないのだ。


 ……コミュニケーションツールとして使っているに過ぎない。

 遊び方は人それぞれだから決して間違いではないが、

 金を最も落とす相手にいちばん理解されていないというのは、開発者が報われない……、

 と思ってしまう。経営者としてはこれ以上ないってくらい成功なんだろうけどな。


「課金しないでやってみれば?」

「でも、そしたら欲しいアイテムが出ないよ?」

「だから出た時に嬉しいんでしょ」


 ……声の調子から、高科が苛立っているのが分かった。


「え。でも、課金して出たって嬉しいよ!」

「じゃあもう知らねえよ……」


 高科の一言にクラスメイトがざわつき始めた。


 それもそうだ、だって相手はあの理事長の娘、茜川陽葵なのだから……。

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