第7話

 バイト三昧の日々が続き、毎日はあっという間に過ぎていく。田島君は旅先から時々写真付きのメールを送ってくれた。時には電波の届かないところにいるのか連絡が途絶えるときもあるけれど、元気に旅を楽しんでいるようだ。

 天文台の事や旅先で起きた出来事を一言二言そえてくれる。メールが届くたび、まるで私も一緒に旅をして新しい発見をしている気持ちになった。私から送ることは東京の日常や面白かった本、そんな内容ばかりだ。でもメールが返ってくることが嬉しくて、些細なことでも送りたかった。そうしているうちにあっという間に八月も終わりに近づき、とうとう長野に行く日がやってきた。


 新幹線から松本の駅に降り立つと、東京のじめじめした空気とは全く違う、爽やかな風が頬を撫でた。

「おーい留美ー!」

 改札を抜けると、麦わら帽子を被り真っ黒に日に焼けた優が私にかけよってきた。

「久しぶり、元気だった?」

 飛び跳ねながら私の両手を握ってぶんぶん振り回す。私も負けじと、

「元気元気!」

 と再会を喜んだ。ちょっと離れたところで私たちをにこにこ見守っている、ころころとした体形の優しそうな女性がいる。

「お母さん。このこが留美がだよ。留美、こちら私のお母さんです!」

 優の紹介に、私は慌てて姿勢を正した。

「初めまして。山戸留美と申します。優さんにはいつもお世話になっております」

「あなたのこと優からたくさん聞いていますよ。仲良くしてくれありがとうねー。東京行って心配してたけど、良い友達ができたみたいで安心したのよー」

 おばさんはつやつやのほっぺたを真っ赤にして笑っている。

「それじゃあ、立ち話もなんだし早速うちに行きましょうか。みんなお待ちかねよ」

 近くに可愛らしいレモン色の軽自動車が止めてあった。よく見ると、後ろの座席から柴犬が一匹こちらを覗いている。

「可愛い!」

「でしょ? 花っていうの。女の子だよ。人懐っこいからね。連れて来たんだ」

 おばさんが運転席に乗り込み、私たち二人は後ろの席に座った。花ちゃんはおばさんの隣だ。大人しく座っているが、私たちが気になるのかしきりに後ろを振り返る様子がとても可愛い。

 少し緊張していたけれど、花ちゃんのおかげで気持ちが随分と楽になった。

 車は市街地を離れていく。かわりにどんどん山が近づいてくる。

「お母さん、兄ちゃんいつ帰ってくるの?」

「まさき? 明後日には着くって言ってたよ。実験が忙しいからって、ねぇ……」

 休みなんだからさっさと帰ってきたらいいのに、と言うおばさんを優はまぁまぁとなだめている。

「優、お兄さんいたの?」

 私の問いに、彼女はコクンと頷いた。

「六つ年が離れているんだ。先に東京に出てきてるんだけどね」

「頼りにならないお兄ちゃんなんですよ。実験バカっていうんですかね。妹が上京してくるっていうのに。ほったらかしなんだから」

 と、おばさん。

「兄ちゃんが好きなことやってるからさ。邪魔しちゃ悪いかなっと思って」

 おばさんに聞こえないようにコソっと優が耳打ちした。でもその表情は申し訳ない、と思っているそれというよりはどこか凛としていて、本当のところは一人でできるところまでやってみたいという気持ちだったのかな、なんて私は思った。


 やがて、車はまばらな家の間の路地に入っていく。青々とした田圃が続く細道を抜けた先に、東京じゃあ考えられないほど広い家があった。

「さぁさぁ、着きましたよ」

(一体何部屋あるのだろう)

 屋根には立派な瓦が乗り日の光に鈍い光を放っている。そして何より私を驚かせたのは家の後ろ側だ。そこは完全に山だったのだ。

「たまに虫とか入ってきちゃんだけどね。みんな慣れているから、大丈夫だよ」

 車から花を降ろしながら優が言った。

「すごい。こんなに広い家、昔社会科見学で行ったとき以来」

 蝉の大合唱が耳に迫ってくる。優はここで育ったのか、と一人感慨に耽っているとガラガラっと音を立てて引き戸が開き、ぼさぼさの髪に無精髭を生やした眼鏡の男性がのっそりと現れた。

「あれ、まさき。あんたいつ帰って来たのよ」

 おばさんが驚いて素っ頓狂な声をあげた。

「あー、思ったより実験が上手く行ったからさ。夜行バスでそのままきちゃったんだよ」

「あんたって子は。来るなら来るで、連絡くらい寄越しなさいよ」

 おばさんに文句を言われて頭をぽりぽり掻いていた男の人は、悪びれた様子なく大きく伸びをした。

「兄ちゃんお帰り!」

 飛び出していった優に飛びつかれて、はじめて私に気付いた。

「優、久しぶりだなぁ。こちらのお嬢さんは友達かい?」

「初めまして。山戸留美と申します。大学では優さんにお世話になっています。」

「これは丁寧に。こんな格好ですみませんね。篠原まさきです。東京の大学院で農学をやっています」

 差し出された手はごつごつとしている。普段この人が畑でクワをふるっている姿が容易に想像できた。

「優。留美さんを大部屋に案内してさしあげて」

 花の足を拭いているおばさんに言われ、私は優のあとに続いて玄関をくぐった。


外から見て思った通り、中は相当広い。板の間の廊下を歩いていくと窓という窓は開け放され、東京のじめじめしたそれとは違う気持ちの良い風が家の中を吹き抜けている。

「二人とも学校の話を聞かせてよ。優は東京でちゃんとやっているのかい?」

「大丈夫。友達も出来たし学校生活も慣れたよ。バイトも始めた。一人でしっかりできているよ。……兄ちゃんは相変わらず忙しいんでしょ」

 ちょっぴり恨み節を混ぜて優が答える。

「そうだなぁ。実験は予定通りに行かないからな」

 まさきさんは気にすることもなくのんびりとした調子だ。

「まぁ、大学にはいるから遊びに来いよ。留美さんも一緒にね。うちの大学は面白いぞ。東京なのに、豚とか牛が歩き回っているんだから」

 そんなのあんまりこの辺と変わらないじゃん、と優に笑いながらつっこまれている。

「そうだ、兄ちゃん。留美を夜にね、高原に連れて行ってあげたいの。長野の星空を見せてあげたいんだけど。車出してくれる?」

「星? あぁ、今日は雲も少ないから観測に良さそうだね。いいよ。夕飯食べ終わったら、行ってみようか」

 やったぁと喜ぶ優の隣で、私の心もわくわくが高まっていく。

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