第12話 大いなる正午の再来

「あ、秋君、何だか怒ってる?」

 ここで否定するのも、肯定するのも、そして黙秘するのも、いずれの選択肢を選ぼうとも僕はと感じて、彼女の見抜いた通り怒っていることになってしまう。

 であればこの時、怒ってないと示すにはどうすればいいのか。論理学では解決できないのならその反対を行えばいいとするのもまた逆説的に論理学の手法だ。

 無視するのではなく、回答権を行使できないようにすれば良いのだと僕は苦し紛れにそう感じ、全力疾走で自動販売機へと向かい、温かい缶コーヒーを二本購入した。

 これによって逃げた訳でも、かのの存在を表面上は疎ましく思っているようには見えないのである。まさに画期的方法なので、世間一般の恋に悩むカップルは是非とも使ってみるといい。比喩ではなしに、振り向いてらもうそこには彼女がいなかったとしてもそれは僕のあずかり知らぬことだ。

 そもそもそんな妙な手を頼るという点で遅かれ早かれ。その勢いで別の誰かに缶コーヒーをおすそ分けしてやればいい。


「………ありがとね」

 これは照れているんだ。どうして僕が奇人に、奇行だと怯えられるのか、そんなはずはあるまい。正体不明の好意を寄せているのが何よりの証拠だろう。ほんの数メートル走ったからといって、ドン引きされる筋合いはない。

「あはは、おいしい………」

 きっと先輩なら『きも』とだけ言って二本とも受け取るのだろうが、そんな傍若無人な美人さんであっても、要らぬ気をきかせてどこかへと去っていった。

 まあどうせ今夜会うのだし、かのは焼肉ディナーのスパイスだとでも思っておこう。今の時代、そんな事を言えばどこからともなく袋叩きされるのが目に見えているが、それを期に僕も改宗してみようかとさえ時折思う。


 何かに闘魂を燃やし、一筋に生きるのは、たとえその信条理念が理解できなくとも、やはりどこか憧れる。むしろ、憧れるがために、理解できないのをよいことにこちらも対抗するのかもしれない。

 僕が読書するのは己のバイブルを持っていないからだ。それを否が応でも実行しようとしたのがミニマリストであるのかもしれないが、そこには教典の民とはまた異なる人工性がどことなく漂う。

 自らを独身貴族とするのは容易い上にある種、幸福でさえある。だがそれは愛する者を持たないが故の価値であって、ここ数日の出来事にしても、僕はかののように一心に誰かを欲する勇気がない。だからこそ妙なヤツだと煙たがる。

 まさに在りし日の如く、彼女は水であって、僕は些末な火に過ぎず、火には確かに輝きはあれど、水の柔軟さを前にすれば、炎はなんと放縦な存在であるのかと気づかされる。


「秋君!? 顔真っ青だよ!?」

 我ながら、嫌に思索に耽るなと思ったのも束の間、かのが慌てるのを一瞬、視界にいれた後、僕は彼女の黒で統一された洋服に倒れ込んだ。意識が薄くなる寸前に感じたのは、彼女の真っ黒なリボンが僕の目に当たる不快感であった。

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