第9話 偽カノが過ごしている世界

 真白さんはフラフラした様子でエントランスから歩いてくる。途中まで歩みを進め、目の前に立っている俺にようやく気づいた。


「あ……真尋くん……」

「おいっ、どうしたんだよっ」


 今にも倒れそうになる真白さんの腕を掴む。


「風邪ひいちゃって……」


 昨日、学校に来なかった理由がわかった。日をまたいだ今日ですらこの様子なら昨日は相当だったのだろう。


「じゃあ、寝てなきゃダメだろっ」

「けど……ご飯が……」


 俺が持っている腕の反対に目をやると、手には赤の長財布が持たれている。


「家族はいないのか?」

「今はいない」


 今はというからには両親が共働き、かつ、兄弟はいないか、あるいは出掛けている――いや、普通なら姉や妹がこんな様子なら出掛けないだろうからひとりっ子か。


「じゃあ、代わりに買いに行くから。お腹の調子はどうなんだ?」

「ちょっと痛い」


 財布を持つ手を腹に当ててさする仕草を見せるあたり、風邪の菌は腹にも来ているとわかる。油ものは当然のこと、こってり系はご法度だ。


「わかった。じゃあ、真白さんは部屋に戻って」


 腕を放し、走りかけた時――


「あ、701だからインターホン鳴らして?」

「了解」


 部屋番号を教えられ、振り返って合図した。

 俺は全速力で大型アーケード商店街を目指した。




 馴染みの牛原うしはら商店街に着いたが、普段のように呑気に構えているわけにはいかない。軒を連ねるその中からスーパーを探して駆けこんだ。


 入り口でカゴを取り、カートは使わずに物色する。

 夜には両親が帰宅するだろうから、とりあえず昼食分だけを買うことにする。

 俺が作ろうとしているのはお粥。炊飯器があるだろうが、精米が残っているかわからず、レンチンご飯をふたつ。4個入りの卵をひとパックと鶏がらスープの素をカゴに入れる。料理酒と塩ならおそらくは常備されているだろう。ついでに体を温める用に薬味ねぎを買っておく。

 それらを持ってレジへと並ぶ。


 馴染みの青の頭巾をかぶるおばさんがニコリとして、カゴの品を読み取っていく。

 俺はズボンうしろのポケットから自前の折りたたまれた黒財布を取り出し、千円札を出した。病気でつらい人間から金をもらう気になれず、別れ際に差し出してきた赤財布はわざと受け取らなかった。


 読み取りが終わり、レジ済カゴの上にレジ袋を乗せてくれたおばさんに支払いを済ませる。

 軽く会釈したあと、横に備え付けられた台にそれを運び、袋に品物を詰めてカゴを戻し、店をあとにする。


 出てからはさっきの巻き戻しのように同じ道程を走った。




 マンションに舞い戻り、エントランスの自動ドアを進むと、二重ドアの間にインターホンの機械が設置されていた。シルバーの、テンキーの特大版みたいなものだ。それを701と順に数字を押していく。そのあとベルのマークを押す。


 しばらく待つと、無言で二つ目のドアが開く。真白さんが開けてくれたのだろう。

 その中を進むと、右手にコンシェルジュのカウンターや左手に調度品が一瞬見えたが、ゆっくりと観察している場合ではなく、最奥に構えるエレベーターへと一目散に向かう。

 上へのボタンを押して到着を待つ。その際、うしろを振り返るとコンシェルジュが不在だということはわかった。土日はいないのだろうか。こんな粋なマンションに慣れておらず、おどおどするばかりだった。


 チンという音に合わせ、エレベーターのドアが開く。中には誰もおらず、乗ってすぐ7を押した。

 その後も途中で止まることはなく、7階へ最速で着いた。


 ふたたびチンと鳴り、外に出る。

 廊下を進むとすぐにそこはあった。701だから何となくはわかっていたが、エレベーターに一番近い部屋だった。

 その部屋のインターホンを鳴らした。


 だが、いくら待っても返事がない。


 ――まさかっ。倒れてんじゃないだろうな?


 不安で焦る気持ちが、気づけばドアを叩くという行為へと発展させた。

 叩くこと5回ほど、ようやくガチャンという開錠音を耳にする。


 少しうしろに離れて待機すると、ドアは開き、真っ青な真白さんが見えた。


「大丈夫かっ。さっきより顔色悪いぞ?」

「うん……もう……むりぃ」


 玄関先で倒れ込む真白さんを間一髪受け止める。俺の胸にダイブした真白さんは目を閉じている。何度か声を掛けたが無反応だ。意識が朦朧としているのだろう。

 これは運ぶしかないが、お姫様抱っこは少々危険だ。できなくはないが、相手の意識がない状態だと落としかねない。ここは少々雑だが、肩担ぎで運ぶことにする。上下ジャージだから見える心配もないし。

 彼女のお腹あたりに右肩を当て、そのまま一気に持ち上げて絶対に落とさないように足を強く持つ。

 玄関はあとで閉めるとして廊下をまっすぐに進んだ。


 ――ッ!!


 ダイニングに入った瞬間、あまりの情景に声を失ったが、とりあえずはベッドを目指した。

 ふたつあるドアのうち、手前を開けて電気を点けるとベッドが見える。

 だが、ここも凄い。


 足元をよくよく確認して何とか彼女をベッドに仰向けにさせられた。赤く、そして汗をつけた頬の真白さんに優しく布団を掛けた。

 そのあと、また足元を見ながら出口を目指し、ドア横に備わった電気スイッチをオフにして閉めた。


 ふたたび玄関に戻り、受け止める際に放り投げた袋を床から拾い上げ、玄関ドアを閉め施錠した。

 重い足取りでダイニングに戻り、辺りを確認する。

 彼女を担ぎながら見た世界と同じ。できれば夢であって欲しかったが。


 ――汚ねぇ! なに、この荒れようっ。真白さんの雰囲気じゃないっ。


 ダイニングテーブルの上には食べたあとのカップ麺が蓋をペロリとさせながら置かれ、キッチンの流しには皿やコップ、スプーンや箸などが洗われる時をまだかまだかと待っている。皿についた汚れを見る限り、すぐ置かれたものじゃない。IHと冷蔵庫の間には透明のゴミ袋が置かれ、中には大量の弁当容器がご飯粒をつけながら割り箸と一緒に入れてある。


 ――いや、これはプラゴミだからっ。割り箸は燃えるゴミの方だからっ。


 しかし、どこを見ようとも燃えるゴミ用の袋が見当たらない。確か黄色袋だったはずだが。


 あまりの惨劇に目を瞑り、続くリビングへ移動すると、外国製かと思われるシックな革ソファの上に大量の洗濯物が、おそらくは洗われずに積みあがっている。


 ――うそだろ……。


 学内一のリア充姫のイメージがどんどん崩れていく。


 ――真白さんって、家じゃあ干物女なのか?


 考えていても仕方がない。ひとつずつ片付けていくことにした。

 幼少のころから母さんの家事手伝いをしていたため、炊事、洗濯、掃除など一通りにはこなせる。家事の苦手な美羽に、よく炒飯やパンケーキなどを作ってあげていたのを思い出す。


 洗濯機の作業時間を考慮すると、先に行うべきなのだろうが、どうもこの山に手を付けづらい。制服だけはハンガーで吊るされているものの、普段着の大半はこの中だろう。おそらくは……下着も。

 いや、そんなことにこだわっている場合じゃない。ポイポイと放り投げているとしたら最下の衣類は悲惨なはずだ。早く洗ってあげないと。


 ここで少し不安がよぎり、念のために先に洗面所のドアを開けた。だが、意外にも風呂、洗面、トイレは綺麗に使用されていた。とすると、苦手なのは料理と洗濯か。

 ドラム式の洗濯機のパンの溝に目をやると、あまりの綺麗さに逆に異様さを感じる。ほとんど使用していないな、と。

 だって、衣類についた髪の毛などが必ず溝に落ちるからこんな綺麗なはずがないし。


 洗面所から出て洗濯物を一気に担ぐ。それを蓋を開けたドラム式の前で、しゃがんだ膝の上に乗せながら入れていく。


 ――ッ!


 やっぱりあった。上から順々にのけた先に出た下着。ピンクか。美羽と一緒だな、などと少しだけ不埒なことを考えながら極力見ないようにして洗濯機へと放り込んだ。

 すべてを入れ終え、近くにある洗剤と柔軟剤を加えて回す。


 回る衣類を眺めながら、これからの作業を思い、ため息をついた。

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