禁忌:笑ってはいけない
マスターは何を考えたのか、有線放送を止め、
店内にはBGM代わりのラジオニュースが流れ続けている。
気が滅入る程に何一つとして良いニュースは存在しない、
人が死んだか景気が悪くなったかのどちらかだ。
それぐらいならば、
有線放送で喫茶店に合わないアップテンポな曲でも流して欲しいと思う。
もっとも、この厭なニュースの方がよっぽどこの喫茶店の雰囲気には相応しい。
「別に、特別な村に住んでたとか……そういうわけじゃないんです。
千葉県の結構真ん中の方、***って知ってます?そこの生まれです」
世真木晴子の上げた地名は私が知っている程度には有名なものだった。
その土地が呪われているだとか、そういう話は聞いたことがない。
「なるほどなるほど」
私が相槌を打っている間に、彼女は陰鬱な顔でコーヒーに息を吹きかけている。
コーヒーの熱を冷まそうとしているというよりも、ため息を浴びせているようだ。
私は砂糖の瓶を傾けて直接コーヒーに流し込む。
彼女が信じられないものを見るかのように目を見開いたが、私は気にしない。
「だから地域の話じゃなくて、私達……家族というか、一族の話なんですよね。
伝統的に私達はそういうタブーを受け継いでいるっていう話で」
「まぁ、そういうのもありますよね」
「えぇ……それで、まぁ、変わってるっていうのは自覚してるんですけど……
年末特番で笑ってはいけない~って番組をやるじゃないですか」
「えっ、笑ってはいけない?あっ、笑ってはいけないって、あの?」
現在進行系で葬式に参加しているかのような陰鬱な表情の彼女から、
そのような言葉が出るとは思わず聞き返してしまう。
彼女の薄い唇が細い声で紡ぐ言葉としてはあまりにも俗世的だった。
「私達は笑ってはいけない一族なんです」
だが、どうにも彼女には相応しい禁忌のように思えた。
「なんだって、また……そんな……?」
「さぁ……何故なんでしょう」
彼女は苦いコーヒーを含み、ゆっくりと飲み干した。
彼女にとっては良いことなのだろうか、
そのコーヒーを飲んで楽しい気分になることはない。
「笑ったら神様からバチががあたるとか?」
「そういうことは聞いたことがありませんね」
「じゃあ、その一族……?の中で裁かれるとか?」
「そういう話も聞いたことがないです」
「じゃあ、別に笑っても良いんじゃないですか?」
「うーん……まぁ、そう言えばそうなんですけどね。
やるなと言われていることをわざわざする必要は無いじゃないですか」
「そんなものなんですかね?」
「ええ、そんなものですよ」
彼女はやはり陰鬱な表情でそう言うと、鞄からカッターナイフを取り出した。
チキと刃の出る音。収められていた刃が少しずつ外に出ていく。
ある程度の長さの刃が出ると、彼女は顔色を変えずに自身の手の甲に突き刺した。
白く薄い皮を破って、血がこぽと溢れ出す。
「えっ」
突き刺した刃を、そのままぐじゅぐじゅ、ぐるぐるとかき回していく。
血がテーブルを染める。
「ああ、すいません。ついつい笑いたくなっちゃった時は痛みでごまかすんです。
いや、本当にね。笑ってもいいと思うんですけどね。
笑わないほうがいいんですよ。その方が上手くいくんですから」
「あっ、えっ……あの……」
気が動転していたのだろう。
私は救急車を呼ぶのでもなく、あるいはマスターを呼びつけるのでもなく、
ただ、彼女に問いかけてしまった。
「な、何がそんなに面白かったんですか?」
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