謁見


「緊張するなあ」

 隋の皇帝・楊広ようこうに謁見する日、大広間の扉の前で大和がぽつりと呟いた。彼はとうに人間の倍は生きているが、外国に来たのは初めてだった。やはり自国の大王おおきみに謁見するのとは訳が違う。

 大和は緊張を押し出すように息を吐いたのだが、ふと隣に目を向けて眉をあげる。そこには明らかに手を震わせている妹子がいた。自分よりも顔を強ばらせている彼を見て、思わず同情の目を向ける。

 以前、彼に問いかけたことがあった。何故隋へ渡ることを承諾したのかと。ここは言葉も常識も通じない遠い異国の地。下手をすれば波にのまれて死ぬかもしれない。それなのに彼は船に乗った。それは一体何故なのかと。すると、彼は少しはにかんだ顔でこう答えた。「あの方に恩を返したかった」と。

 あの方とは現在摂政たる地位についている厩戸皇子うまやとのみこだ。いや、皇子は皇子でももう皇太子になっていたか。飛鳥の外からやってきた妹子を上手く取り立ててやったのは厩戸だった。彼は妹子の他にも、品部しなべと呼ばれる低い身分だった福利たちのことも傍に置いている。それはこれまで血縁一筋だった飛鳥では考えられないことだった。それをやってのけた厩戸だからこそ、妹子や福利に慕われるのだろう。だからこそ、妹子は海を渡ってでも彼に恩を返したいと思ったのだろう。

 大和は妹子を見つめると、震える手にそっと自分の手を重ねた。驚いたようにこちらを見る妹子に、にかっと笑みを返してやる。まるで太陽のように眩しい笑顔。彼の手は、もう震えてなどいなかった。

「くれぐれも粗相のないように」

 役人の言葉と共にいよいよ大広間の扉が開かれる。大和と妹子は背筋を伸ばして顔を構えた。

 重々しい音がして目の前が開けた。その先に広がったのは豪華で艶やかな色彩だ。高い天井に施された装飾。美しく朱塗りにされた大きな柱。その芸術性は二人の想像を超えていた。しかし、ここでぐずぐずしている訳にもいかない。華々しさに気圧されながらも、二人は皇帝のいる部屋へ足を踏み入れる。

 たった一歩で急に空気が変わったのが分かった。どこか冷たく、ぴんと張り詰めた圧迫感。外から差し込む数本の光の筋が、鮮やかで華やかな色彩を照らしている。しかしその色合いとは対照的に、決して明るい気持ちになれるような場ではなかった。

 大和は妹子の後ろを歩きながら目だけを四方八方に動かす。思わず漏れた息とともに、ただただすごいと思った。やはりやまととは違う。広間の造りも役人の服も、何もかもが異国の色だ。ただ、前を歩く妹子の服だけが見慣れた緋色に染まっていた。それがせめてもの救いだった。

 妹子や大和を先頭に、ぞろぞろと広間に入ってきた倭国の行列はたったの十名弱。船には約八十名ほどが乗っていたのだが、そのほとんどが船を操縦する人員であったし、何より隋の役人から「謁見は重役と通訳、書記官のみ」とのお達しがあったのだ。そのため大使である妹子を中心に、福利などの通訳と旅の記録係である書記官、そして都の化身である大和だけが集められたのだった。

 一行が広間の中央に進みでると、皆で皇帝に向けて頭を下げた。片膝を床につき、隋の文化に習って拱手をする。一方の皇帝・楊広は玉座で頬杖をついていた。どこか興味の薄い眼差しだと思った。

「この度はお目通りをお許し頂きありがとうございます」

 妹子が楊広に向かって軽い挨拶を述べ始める。声は若干震えているものの、通りの良い美しさを持っていた。やれば出来るではないか。大和は感心して妹子の背中を見つめた。

 彼が挨拶を終えると、しばしの間静寂が訪れた。それを感じとったかのように玉座に座る楊広が首を持ち上げる。

「その稚児は?」

 突然の言葉に妹子は不意をつかれたようだった。まあ一言目がそれでは致し方なかろう。妹子は大和を一瞥すると、まだ固い声で「はい」と答える。

「このお方は我が国の都、大和の地の化身でございます」

「ほう、どこにでもおるものだな」

 楊広は再び頬杖をつく。土地の化身についてはよく知っているようだった。大和はそんな楊広に興味をそそられた。やはり隋に来て正解だと思った。この国には自分のような存在が根付いているらしい。深堀すれば何かわかるに違いない。

「そのヤマトとやらは長安に会いに来たのか?」

 突然楊広が大和に問いかけた。皇帝というのはここまで話しかけてくるものなのだろうか。大和は内心驚きつつ「はい」と答える。

「大国・隋の都に学ぶべく海を渡って参りました」

「そうか」

 楊広は何か続けようとしたようだが、左にいた側近らしき男が耳打ちをして言葉をさえぎる。その役人のふわりとした髪を一瞥すると、彼は正面に向き直った。

「しかし現在長安は出払っておる。何かあれば洛陽の元を訪ねるといい」

 役人から何か聞いたらしい楊広はそう答えた。大和が頭を下げると、今度は右に立っていた男が何やらこそこそと耳打ちをする。肩を過ぎる程の髪。目元の皺。どうやら初老のようだが、その威厳の中にはどこか優しい雰囲気も見えた。

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