第8話 夏休みの宿題片付け作戦その1

 思わず、公子は彼の横顔を見つめた。秋山は前を向いたまま、続ける。

「少なくとも、僕は」

 まだ秋山の言葉は続きそうだった。黙って待つ公子。

 しかし、邪魔が入った。

「なあ、こんなんじゃ遊べないぞっ。何でこんなとこ、来るんだよ」

「……」

 秋山は公子の方を向き、肩をすくめた。

「ここで昔、俺達は遊んだんだぜ」

「嘘だあ」

「本当よ」

 ぶうぶう言う一成に、公子も説明してやる。

「草がいっぱい生えててね。虫がたくさんいたのよ。私は苦手だったけど……。それに、植物で色々なことしてね。笛とか冠とか作って」

「何十年前の話?」

 一成のこの質問には、公子も目が点になりそうだった。秋山と顔を見合わせ、同時に吹き出してしまう。

「何かおかしかった?」

「あのなあ、一成。俺やおねえちゃんを何歳だと思ってるんだ?」

「えーっと……三十ぐらい」

 がっくりと力が抜けた。一成君、きっと一人っ子なのねと公子は思った。

「さて。家に帰るか」

「えー、まだ遊びたいよ!」

「お腹、空いていないのか? 昼ご飯だぞ」

「それは……。分かった」

 一成はさっさと歩き始めた。何故か、その表情は真剣そのものである。

「かわいい」

「たまに見る分にはね」

 後ろを行きながら、公子は秋山と、そんな会話を交わしていた。


 昼食が終わって、準備もすんだところで、公子は出かけた。母親から言われた通り、つば広の白い帽子をかぶって。

「ちょうどよかった」

 門を出たところで、後ろから呼びかけられた。振り返らなくても分かる、秋山の声。

「秋山君、二時には早いけど」

「迷惑でなければ、いっしょに行こうかなと」

 並んで歩き出す秋山。

「迷惑だなんて……。さっきの宿題どうこうって、本気にした……?」

「本気だったんじゃないの?」

「……図星」

 認めて苦笑する公子。

「よかった。頼井の奴よりも教え甲斐ある、なんてね」

「聞いたら怒るわよ、頼井君」

「聞いてないから言ってんの。ははは」

 楽しそうな彼の様子に、つられて公子も笑ってしまう。

「ねえねえ、部活は?」

「夏休み中はもうないよ。拳法の練習なんて暑いときにやるもんじゃない」

 本気なのかどうか、強く言い切る秋山。

「日本拳法部って、どんなことするのかしら」

「見たことないんだっけ……。そうだね。公子ちゃん、拳法って聞いたら、どういうイメージ?」

「えっと……空手みたいに、げんこつで突き合ったり、蹴り合ったり……?」

「そうだろうね。確かにそういうこともするけど、日本拳法には寝技とか関節技とかも、少しあるんだ」

「寝技は聞いたことある……柔道とかで。関節技は知らない」

「文字通り――って言ってもだめか。肘とか手首とかの関節部分を逆方向に、その……曲げようとする技」

「ふ、ふーん……」

(何だかよく分からないけど、痛そう……)

 公子は自分の想像だけで、痛みを感じそうだった。

「と言ったって、中学生まではあまり使うなってことになってるんだ。怪我しちゃいそうだろ」

「そう、その方がいいわ」

 必死になってしまう。怪我してほしくない。そんな気持ちが働く。

「だから、技のほとんどは型だけ。突きとかにしても、実際に当てていいのは防具の上だけだし」

(防具の上だったら、殴った手の方が痛いんじゃないの?)

 などと思い巡らせた公子は、話題をかえようと思った。

「えっと、そうだ。一成君は置いてきて大丈夫だったの?」

「お守りは終わり! 今頃は家族と買い物に出かけたはずだよ」

 両手を軽く上げる秋山。

「ちょっとだけ、秋山君に似てたね」

「ええっ? どこが」

 冗談じゃないという態度の秋山は、わざわざ立ち止まった。

「どこって……口元と、あと、鼻筋の上の方なんかが。お母さんの性質を受け継いだら、似ててもおかしくないでしょ」

「それはそうだけど……。納得いかないなあ、小学二年生と似ているのは」

「二年生だったのね。じゃあ、八歳か」

「八つと十四じゃ、六年も違うのに……」

 まだこだわっているらしい秋山は、ぶつぶつ言った。

 そんなことをしている内に、目的の場所に到達。

「どっちに入ろう?」

 二軒――野沢悠香の家と頼井健也の家との間で、秋山はつぶやいた。

「頼井君の家に行くんじゃないの?」

「いや、どうせ、そっちに集まるかなと思って。だけど、そうすると、野沢さんが怒るかもという気がするし」

「それなら多分、大丈夫。宿題を教えてもらえるとなったら、ユカだって」

「じゃあ、僕は頼井をそっちに引っ張っていくよ。公子ちゃんは他の二人、特に野沢さんにはよく話しておいてよ」

「分かったわ」

 約束して、左右に分かれる。

「ごめんください」

「何を堅苦しい挨拶してんの」

 出迎えは、もちろん悠香。靴を見ると、まだ要は来ていないらしい。

「ご両親は……」

「今日もお仕事だよ。気にしないで、さあ、上がって」

「お邪魔します。ねえ、聞いて」

 上がり込みながら、公子は秋山と頼井が来ることを悠香に告げた。

「……」

 しばらく、悠香は沈黙を守っていた。

「……ユカ? 怒ってるの、勝手に話を決めちゃったから?」

「いや、怒ってるんじゃないけど……。秋山君だけでいいのに。頼井のばかなんか、入れなくていいのよ」

「ユカちゃんてば……」

 心の中で冷や汗をかきながら、苦笑いする公子。

 そこへ早速、男子二人の声。

「ユカ!」

 大声を出しているのは頼井。

「あのばかがー」

 立ち上がり、玄関まで行く悠香。さすがに心配になってきたので、公子も遅れてついていく。

 土間には、すでに頼井と秋山が姿を見せていた。

「それが他人の家に来るときの挨拶か」

「るさいっ。俺が秋山『君』に頼んだのを、横取りしやがって」

「私じゃないもんねー」

「じゃあ、誰なんだ?」

 公子は目を伏せた。

「あのな、頼井」

 困ったような声で、秋山が説明する。

「何だよ」

「最初に、公子ちゃん達が集まって宿題するというのを聞いて、決めたのは俺自身の意志なんだ。許せ」

 はっとして、顔を上げる公子。

(私が頼んだのも同然なのに……)

「それなら……しょうがないか。秋山『先生』の気持ちがそうであれば、ワタクシとしても、従わないわけにはいかないからなあ。では、仲良くやりますか」

 からからと笑いながら、頼井は悠香の方を向いた。

 悠香は頼井を、ふんっという具合に素っ気なく招き入れた。

 あとに続いた秋山に、そっと声をかける公子。

「ごめんなさい」

「別に。だいたい本当のことだし」

 気にしていないとばかり、手を振る秋山だった。逆に彼から聞いてきた。

「寺西さんはまだみたいだね」

 ちょっとどきりとする公子。

(秋山君……カナのことが気になるの?)

「あ、まだみたい。寝坊でもして遅れたのかな。で、でも、秋山君が来るって伝えたら、きっとあの子、飛んで来るわ」

 言わなくてもいいことまで口走ってしまう。しかし、当の秋山は違う風に受け取ったらしい。

「どうぜ僕は、宿題を教えるだけが取り柄ですからね」

 と、すねる真似をしてみせる。

「やだもう、冗談ばっかり」

 公子が軽くぶつ格好をしたところで、奥の部屋から声が届く。

「何やってんのー? 秋山君がいなきゃ、意味ないじゃん」

 悠香のこの言葉に、秋山と公子は顔を見合わせた。

「ほらね」

 唇の端を曲げた秋山の表情に、公子はくすくす笑えた。

 それから四人で――基、三人が一人から教えてもらう(ときにはノートをそのまま写す)形で宿題を片付けていく。

 二時近くになって、やっと要が現れた。

「ごめーん。遅れちゃった」

 明るい声に、悠香が座ったまま叫ぶ。

「上がって!」

「うん。……キミちゃんの他に、誰がいるの? 靴が多いけど……」

 そう言いながら部屋まで来た要は、靴の主の片方を知った時点で、黄色い声を上げた。

「きゃー、秋山君! ど、どうしてここに?」

 立ったまま、彼を指さしている。

 公子は手短に事情を話して聞かせた。

「今日、来る前にたまたま会って、宿題できたって言うから、頼んで来てもらったの」

「そうなの。わー、うれしい! 秋山君、ありがとうね」

 秋山のそばにぺたりと腰を下ろす要。白地に花をプリントした服が、ふわっとなった。

「なるべく、自分で考えた方がいい――と、口では言っておくよ」

 秋山は自分の座る位置をずらし、要のための場所を作った。

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