あれから

 気が付くと電灯の明かりが目に入った。あの世にも電灯があるんだと感心してたら、


「ジュンちゃん」


 マナじゃないか、参ったな天国にもマナがいるのか。天国でもマナと組手でぶん殴られないといけないなんて。いやいや、天国じゃぶん殴られないから、ここは地獄か。地獄の獄卒じゃボクに勝てないからマナを呼んだとか。


「氷室、わかるか今泉や。お粥を作ってくれてるからな」


 じゃあ、死んでないのか。腹だけ減ってやがる。あれマナの奴、泣いてるじゃないか。鬼の目にも涙とはこのことか。


「今泉か。ボクは死んでないのか」

「アホ、言うな。メシ食ってへんから、フラフラなだけや」


 なんだ生きてるのか。どっちでも良いけどな。もう一人いるけどあれは諏訪さんか。諏訪さんもどうして泣いてるんだ。なんか悲しい事でもあったのか。


「なに言うてるんや。美香さんの転校の話が出たら、いきなり教室から出て行ってもたやたないか」


 そうだっけ。


「止めようとした先生を突き飛ばして、上靴のまま走って行ったのを覚えてとらへんのか」


 そういえばなんか邪魔なのがいたから、追い払った気がするけどあれは先生だったのか。今泉は駆け出すボクを追いかけようとしたそうだけど、


「靴を履き替えて校門に行ったら見えんようになっとった」


 それ以上は授業があるから我慢していたそうだけど、ボクがどこに行ったかは行方不明だし、スマホで連絡を取ろうにも返事がない。翌日も、さらにその翌日も欠席。諏訪さんはボクの行方を捜す途中でマナにも連絡を取ったみたいで、


「来て見りゃ、この有様や。放っておいたら死んどったぞ」


 その気だったのだけど、こうなったら仕切り直しか。


「アホか!」


 そう怒鳴るな。生死ぐらいはボクが決めても良いだろう。


「マナツがいる限り、誰が死なせるものか。ジュンちゃんは道場が引き取らせてもらう」


 マナがいるのかよ。あいつにゃ、勝てん。マナが死なさないと言うなら死ねないな。マナなら地獄まで追いかけてきて、閻魔大王をぶっ倒して連れて帰りそうだものな。



 それから道場で暮らしている。何をする気力もなかったボクだが、死のうにも絶対に死なさないと頑張っているのがいる。


「食わなきゃ、死んでもらう」


 言葉としておかしいけど、絶対そうする気迫がビンビンにマナから伝わってくるから食べてる。食べれば現金なもので元気が出てしまい、


「学校に行って来い。それとも夜まで組手をやるか」


 マナの気迫は恐ろしいほどの物で、こんなマナと組手などやろうものなら半殺しにされる。いっそ殺してくれれば良いのだけど、あんにゃろ、絶妙のところで半殺しにするからな。そんなもの付き合えるか。久しぶりに駅から降りたら、


「氷室、少しは元気が出たか」

「無理せずゆっくりで良いからね」


 今泉と諏訪さんだ。でも教室の空気はすっかり変わっていた。まるで腫れ物に触るような扱いになっている。ボクに話しかけてくるのもいるが、まるでNGワードのように美香の話は出てこない。これは今泉や、諏訪さんも同様だ。ボクがあえて振っても、


「辛かったやろけど、済んだことやんか」

「そうよ。振られた女の話なんて楽しくないよ」


 マナまで、


「次を探せ。世の中の半分は女だ」


 でもわかる。美香の突然の失踪の理由を必死になって追ってくれてるのを。今泉と諏訪さんの話が聞こえてしまったからだ、


「海外の線はどうやろか」

「向こうに居たことからあるものね。そうなると・・・」


 腫れ物扱いはクラスだけでなく歴研もそうだ。まるで美香がこの世に存在しなかったかのように話しかけてくれる。なんとか楽しい話をしてボクを笑わそうと必死なのが伝わってくる。


 昼休みの弁当も様相が変わった。これまで美香の手作り弁当を二人で食べていたのだが美香もいないから弁当はない。その代わりにマナから、


「持ってけ」


 仕方なくマナの弁当を持って行っている。これってマナが作っているのかな。それともマナのお母さんだろうか。まあどちらでも良いけど。久しぶりにボッチ飯かと思っていたら、今泉や諏訪さんだけでなく、ワッと人が集まってくる。


「一緒に食べよ♪」


 それが笑っているのに顔が引きつっているのがわかる。中には涙を浮かべているのもいる。それどころかすすり泣きそうな者までいる。それも泣きそうになると輪から離れるんだよ。


 とにかく学校にいる間は一人にしてくれない。どこに行くにも誰かが付いてくるし、あれこれ必死で話しかけてくる。それもなんとか笑顔を作ろうと懸命なのもわかってしまう。常に集団に囲まれている感じだ。


 帰りもそうだ。駅までもそうだし、電車の中は今泉と諏訪さん。この二人はさらに道場まで必ず送ってくれる。道場に帰ればマナだ。マナだけじゃない、爺さんも、マナのお母さんも、道場仲間もとにかく声を掛けてくれる。マナともなれば寝るまでずっと付きっ切りで話しかけてくれる。下手すれば風呂まで入って来そうな勢いだ。


 みんながボクにしようとしている事はすぐにわかった。美香との思い出を一刻も早く薄れさせようとしているんだと。忘れるのは無理としても、思い起こさせるのを少しでも減らそうとしてくれるのだと。


 そのために一人にしないようにし、絶えず誰かと美香以外の話題をするようにしてくれているって。それも何があっても笑顔で接して、妙な同情をしたり、下手な慰めをするのを絶対に避けようとしてると。



 そういう暮らしの中でボクはもがき苦しんでいた。美香が失踪した本当の理由を知りたい思いはある。だが知ったところで、もうどうにもならないの気持ちも芽生えてきている。


 男と女の間には愛情と言う梯が渡されれば結ばれるが、それがなくなれば終わりだ。なくなった理由は色々あるだろう。でもわかったところで、再び梯が戻るわけではない。良い夢を見させてもらったのかもしれない。


 そうだよあれは夢だよ。あれほどの美少女がボクの彼女になる方がおかしいじゃないか。あり得ない事が起こったけど、あり得ないから消え去っただけ。夢は醒めるから夢なんだよ。ただそれだけの事・・・こうやって自分に言い聞かせる作業が虚しくなることがある。


 美香の声、美香の姿、美香の笑顔・・・そして美香の愛。あれはすべて幻想だったのだろうか。あれだけしっかりとした手触りまであったのに一瞬で消え去った。こんなものがすぐに思い切れるものか。


「美香・・・」


 マナには悪いが堪え切れない。毎晩号泣していた。マナも夜に泣く時だけは一人にしてくれる。辛い、辛すぎる。こんな想いを断ち切るなんてボクには無理だよ。あんな捨てられ方をしたのに未練が強すぎる。


 強いなんてものじゃない。このまま死ぬまで束縛しそうなほど強力なんだよ。なにか、もう誰も愛せない気さえする。このまま美香の事を一生想いながら暮らすしかないのか。

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