第1章.わたしはカタリーナ!

1話.カタリーナ登場!

 雲の切れ間から降り注ぐ春の陽射しと、濡れた石畳から立ち昇るこの香り……。

 

 ――思えばあの日もそんなだった。


 この物語の始まりにはピッタリかもしれないわね。


 まぁ、“運命”とは何かって考えるには、私が生まれた時――いや、そのもっと前、父や母の出会いだとか、更にもっと、どこまでも辿る必要があるかもだけど……。


 でもそれじゃあが無い。

 なによりあの日の出来事は、今でも鮮明に思い出す事が出来る。


 それに……ここから始める事自体が、もう“運命”なのかもしれないわ。 


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


 私はこの香りが大好き。

 これはきっと、お日様の香り。


 お使いを済ませた私は、雨上がりの街の空気をいっぱいに吸い込んで、漸くこれから帰るところだった。

 市場も戻ってきた客で賑わいだし、まるで春の色どりに包まれているかの様。

 

 こんな平穏がいつまでも続くと良い……そう思っていたわ。 


「キャー!ど、泥棒っ!!」


 は……?

 

 向こうの店から勢いよく飛び出した男の姿。

 右手に短剣を振り回している。

 

 せっかくのキラキラとした賑わいに混じり出す暗い騒めき。

 街はうっすらと焦燥の色を帯びていく。


 あ~……もう、気分台無しね。

 

 

「おじさん、これ、ちょっとお願い!」

「お、おう、任せとけ! みんなーっ!【セビーヤのフェニックス】のお出ましだっ!!」


 店の誰かが「これ使いな!」と、“鍬の柄”を投げ渡し、私は「ありがと!」と返事して、それをガシッと掴み、あの男を追った。


 アイツの足はそれ程でもない。

 ただ振り回す短剣が厄介。

 急がなきゃ。


 そんな私の視線の先、逃げる男のその向こうに、若い男達三人の姿。

 それを見て思わず口が吊り上がったわ!


 その三人の内の一人、ひときわ背が高く長い銀髪を靡かせた男が、木剣を構えスッと前に出た。木剣とはいえあれだけの構えで出られれば、並の人すら警戒する。

 

 案の定、逃げる男は立ち止まり一旦こちらへ振り向いた。

 そして私を見てニヤッとしたわ。


 ま、女が鍬の柄を構えた姿じゃね……。

 ……だからきっと油断する。


 男の腕に短剣の所持許可を示す腕章はない。

 右手に短剣、左手はパンパンに膨れた腰の袋に当てている。

 

 さ~て、これなら心置きなく、手加減無しよ!


 そんな時、木剣を構えた彼が私に気付き声をかけてきた。


「おや、カタリーナじゃないか。ここはひとつ、同じとして、お手並み拝見させて貰おうかな」

 

 あー……。


 男の表情から笑みが消えたわ。

 ギッと私を睨みつけ、中腰に構える。


 せーっかく油断したところを見事返り討ちと思ってたのに……。

 ――でもまぁ……この緊張感も悪くない。

   

Dégage, Connasseどけっクソ女!」


 ロマンス語?……オルレアンの者がなぜここに。


ビュオン


「がはぁっ?!」


 男は苦悶の表情を浮かべ、体を“く”の字に曲げていた。


 奴が短剣を振り下ろすその一瞬の隙を突き、鋭い薙ぎの一振りデレーチョトルナードをかましたの。

 これぞカイマン剣術の真骨頂!

 奴の動きはVale Valeバレバレよ。 

 更にすかさず唐竹斬りラヨマタール


「ぐわぁぁ……!」


 握っていた短剣が地面に落ちる。


 とどめぇーーっ!


ボゴッ!!

 

「はい、確保ーっ!」

 

 の指示に仲間が泥棒を縄で縛り上げた。

 これにて一件落着ね。

 

「お見事だったね、カタリーナ。でも今日は非番じゃなかったっけ?」


「たまたまお使いでね。それよりコイツ、ロマンス語だったわ」


「あぁ、魔道具国家オルレアンの者みたいだね。とすればこの短剣は十中八九“魔道具”だね。あとは軍に委ねよう」


 兄が拾い上げた短剣。

 一見、普通だけど、よーく見ると柄や刃の平地に何か奇妙な模様が彫られている。


 この短剣、どんな効果を持っているのかしら?

 だなんて、ちょっとワクワクしちゃうわよね?


「ところで帰ったら例の“あれ”するのかい?」

「えぇもちろんよ!」

「たいしたもんだよお前は……」


 なぜか溜息を吐きながら、兄は私の頭を撫でてくれた。


 街の皆からは拍手が送られ、「いよっ!【セビーヤのフェニックス】!」だとか「【セビーヤのユニコーン】!」「流石【セビーヤ三獣士】!」という掛け声があちこちから投げかけられた。


 ……ただ女の私まで“獣”だなんて失礼しちゃうわよね?


 でも、まぁそれ程悪い気分じゃない。



 私が自警団の一員として務まる程までに剣術に秀でているのには訳がある。


 それは、カイマン=ラムズフェルドの教え。

 カイマンはここエスパニル国王軍の優秀な元軍曹で、二人の兄達はそんな彼から剣の指導を受けた。


 カイマンが兄達に徹底的に叩き込んだのは、“足裁き”。


「剣は腕で斬るのではございません。乃ちで斬るのです」


 何言ってるの? って思うわよね。

 

 でも実際それが、スムーズで力強い剣捌きを生むだけでなく、相手の足裁きから次の動作を予測し、然るべき瞬間に打ち込む事にも繋がっている。

 だから私は、あの泥棒を打ちのめす事が出来たって訳。


 でもね、カイマンはなぜか私には、決して剣の指導をしてくれなかったの。

 今でも悔しくってねー、なんで私だけ?って。

 

 だから私は兄達に乞うてカイマンの剣術を教わった。

 でもまだ足りない。 

 だから帰ったら、例の“あれ”ってやつをするの。


 いつかカイマンを見返してやるためにもね!

 


「ただいまー」

「あら~おかえり、カタリーナ」

  

 私は花柄模様の素焼きの壺とバケットが入った籠を、母に手渡した。

 壺の中には購入した赤ワインが入ってる。


 このワインという飲み物は、とてもポピュラーで、母はこれが大好き。

 マズイ水を飲むよりも遥かに飲み心地が良いらしい。


 でも一体どんな味なのかしら?


 水は無料ただでも飲めるけど、ワインは買わなきゃ飲めない。

 だから飲むのは普通お金を稼ぐ大人、相対的に男性の飲み物だ。

 

 でも父はお酒を飲まない。

 なんでも頭がボゥっとする感じがあまり好きじゃ無いらしい。

 だが母があまりにワイン好きなので、どうしてそんなにと聞いた事があるそうだ。

 すると、


「色が赤くて綺麗よー。それに味も美味しいわ!まるで“血”みたいね 」


 母には少し変わった所がある。父にはそこが魅力的と見えるらしい。

 そうして、「まるでヴァンパイアだね!」と冗談を言いながら、母にワインを買ってくるのだ。

 母は喜んでそれを飲み、それを見るのが父は好きみたい。


 けれど普段は自分で買う程じゃあない。

 だから母がお使いでワインを頼むというのはちょっと珍しい。


「今日はカタリーナのお誕生日パーティーよ~! 腕を奮ってご馳走を作るわね!」


 ふーん、料理に赤ワインを使うのかしら?

 

 私は「ありがと! 楽しみにしてるね」と返事して、長い廊下を思わず駆け出し、父の書斎に向かったわ――ちょっと大事な頼み事!


 父は初めて生まれた女の子の私を目に入れても痛くない程、可愛がってくれた。

 だから欲しい物は何でも買ってくれたし、したい事は何でも叶えてくれた。


 馬に乗りたいと言えば、馬と訓練場を用意して教えてくれたし、船に乗りたいと言えば、自分の商会の商船に乗せてくれて隣の港町まで出航してくれたりね。


 自分で言うのもなんだけど、私は甘やかされて育ったの。

 だから今日も、

  

 書斎へ入るとスパイシーで仄かに甘いスモーキーな香りが漂っていた。

 それは、遥か遠くの異国の地を思わせる香り――良い、匂い。


 そこにはあのカイマンも居て、父のカップにカモミール茶を注いでいたわ。マホガニーで拵えたという父自慢の机には幾つもの書類が散在し、父はカモミール茶の香りでくつろぎながら、それらに目を通していた。


「お父様、私、欲しい物があるんだけど……」


 父は書類から一旦目を離し、笑顔で私を見つめたわ。そしてカップを机に置いた。


「なんだい、可愛い我が娘カタリーナよ。言ってごらん」

「あのね、私、“巻き藁”がもっと欲しいの」

「ん? なんだい、巻き藁って?」


 父は私の言葉をよく理解していないみたい。

 再びカップを手にし、香りを楽しんでいる。

 すると傍のカイマンが、少し表情を曇らせて、父の耳元で囁いた。

 途端にサッと表情が変わる父、手にしたカップをまた机に置いた。


「あ、あのな、カタリーナ。そんなもんじゃなくもっと違う別に欲しい物は無いのかい? 例えば服だとか、飾り物だとか、もっと同じ年頃の娘が欲しがるような……」


「いいえ、私、そんな物に興味は無いわ。今一番欲しいのは巻き藁なの。それじゃよろしくね、お父様!」


 私はそう伝えると意気揚々と部屋を出た。

 扉を閉める時に父は溜息をつきながらカップを嗅いでいた。そして何やらカイマンと相談してたみたいだけどまぁ気にしない。


 私は剣を携え中庭へと屋敷の廊下を走って向かったの、そう“あれ”をする為にね!


 

(続く)

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