第二章 あなたのために奏でるメロディ

第六話 いつもいたわよ?

ピピピ、ピピピ、ピピピ


 スマホのアラームが鳴っている。

 今朝は母さんにきたいことが山ほどあるから、少し早目に設定したんだった。

 僕は手探りでスマホを探す。


「いやん」


 ン? 何か、やわらかい感触が……。


「ヨッシーったら……朝から積極的ね。むふふ」


 嫌な予感がしながら、目を開く。


 視界一杯に、ニンマリ顔……。

 阿武隈すい、だ。


「うわぁぁぁ?!」

「やっほー、ヨッシー。おはー」


 驚きで僕は布団から飛び起きた。


「もう、あわてんぼねぇ。ゆっくり続き、しよっか? とぅーびぃこんてぃぬーど!」

「なな、な、なんで、なんで、阿武隈さんが?!」

「いやだわ、今さらそんな呼び方……すいって呼んで?」


 とは言われても、寝起き一番な上に、女子の下の名前ってのは、少し抵抗があるんです……。


「す、すいは……その、何してるの?!」

「いやだなあ、言ったじゃない。二十四時間、三百六十五日、すいはヨッシーのおそばに居りますと……」


 そう言って、しなを作るすい。


「くんかくんか……。はあ……美味びみ至極しごく……」


 やめて。僕のシーツを噛まないでおくれ。


「どうしたの? つよぽん……。あららららら」

「母さん!」


 ふすまを開けて顔をのぞかせたのは、僕の母さんだ。


 僕の母さん、逢瀬おうせあい

 息子の僕が言うのもなんだけれど、歳の割に若く、可愛らしい容姿ようしをしている。スナックを二店、掛け持ちして働いており、その美貌びぼうとのんびりとした性格がお店のお客さんにも好評をはくしているらしい。

 そんなわけで母さんは朝帰りが常で、今も仕事帰りの服装のままである。


「朝から元気ねえ、二人とも」

「え? え?」


 「あいちん、おはー」とすい。


「すいちー、おははー。でも……」


 ふわぁぁ、と母さんは大きくあくびをした。


「あいちんは少しオネムかな……」

「ちょ、ちょっとちょっとちょっと! 母さん!」

「ふぇ?」


 僕は母さんの手を引くと、居間の卓に座らせた。


「訊きたいことが、あった……。いや、いろいろあるんだけど!」

「ふむふむ、何かね? ヨッシーくん」


 すいが、僕のとなりにちょこん、と座っている。


「おわぁ? いつの間に!」

「むふふ!」


 僕は、コレ、コレと彼女を指差しながら、「どういうこと?!」と母さんに訊ねた。


「どういうことも何も……なにが?」

「何がそんなに疑問なの、ヨッシー? あ! 式の日取り? 大安? 大安?!」

「いや、なんで他人が家にいるのに母さんそんなにのんびりしてるのかってこと!」


 母さんと、すい――ふたりはイタズラっぽく顔を見合わせると、僕を尻目に笑い出した。


「何を今さら言ってるの、つよぽ~ん。すいちーならほとんど毎朝いるじゃない」

「ま、毎朝?!」

「そうよ。毎朝、それはそれは愛おしそ~につよぽんの寝顔を眺めてるじゃない。詩織ちゃんとすいちー、つよぽんは女の子にモテるなあって、あいちん嬉しいのよ~」

「やんだやんだ~。ヨッシーはワタシだけのものだもの~。しおりんなんかお呼びじゃないのだわよ」

「あら、そういえばすいちー。メガネやめたの?」

「それな、聞いてよ。とある金髪の中段蹴りヤロウが、ん、野郎ではないか。その金ぱっつぁんが愛用メガネぶっ壊したりなんかしてくれちゃってん。んで、やむなく今日からコンタクトデビュー! すいちー可愛さ五倍マシ! これでヨッシーもイチころりん!」

「そうよね~。すいちー、メガネも可愛いけど、素顔もやっぱり可愛いわあ」


 続けられるふたりの会話に、僕の思考は追いつかない。朝からこんなに血の気が引いて、僕は大丈夫なのだろうか。


「ちょっと、いや、ちょっと一回止まって、お願い」

「やだ、つよぽん。もしかして女の子がよそおいをせっかく変えたってのに、気づいてなかったの~? 鈍感ね~。それじゃあしらけさせちゃうわよ~」

「ホワイトキック~」

「違くて! 毎朝ってなに?! 毎朝いたの? すいが?」

「そうよ~。毎朝いつもすいちーは、つよぽんの寝顔をニコニコ眺めてて、それを私が眺めてニコニコ~って。そういえば、つよぽんが起き出す頃にはいつの間にかすいちーいなくなってるわねぇ」


 ダメだ。昨日も怖い思いをしたつもりではいたけど、今この瞬間が人生で一番恐怖だ。


「いやなつよぽんね。ガールフレンドが朝お迎えに来てくれてたのに、ホントに知らなかったの~?」

「あいちん、それは仕方のないことなのです。わっしの隠密おんみつじゅつを使えば、おはようからおやすみまで、ターゲットに気づかれずにくんかくんかぺろんぺろんするのは朝飯前なのです」

「あらら、そういえば少しお腹すいたわね~。すいちーも食べていきなさいな~」


 どうなっているんだ。僕のプライバシーは? 人権は?! そして、コイツらの会話のひどさ!


「あぁぁッ! もう!」


 僕は立ち上がってすいの腕を掴むと、グイグイと玄関へと引っ張っていった。


「ああ! 今朝のヨッシー積極的! このまま愛の逃避行とうひこうしよ!」


バタン!


 無理矢理にすいを玄関から締め出した――が。


「やっほ~。ヨッシー、おかえり~」

「おかえり~」


 どこをどう通れば、元通り部屋の中で座っていられるのでしょうか。

 僕は再びすいに近づくと、その腕を引き上げる。


「出てけ! 出てけ!」

「いやん、まだ夜行列車には早いよ?」


バタン!


「おかえり~」


 近づいて、掴む。引きずる。


「役場の届け出受付窓口はまだ開いてないんじゃないかなあ?」


バタン!


「おかえり~」


 僕はうなだれた。


 ダメだ。ペースに巻き込まれてはダメだ。

 大きくため息をくと、卓の、すいとは別のがわに腰を下ろした。


「母さん」

「はいはーい」

「僕は今、ひじょーうに、怖いです」

「そうなの? 大変!」

「この子、危ない子だと思わない?」

「そ~お? すいちーは可愛い子だと思うわ」

「てへへ」

「照れんなし! そんな場合じゃないんだし!」

「なによもう、つよぽん。反抗期だし?」

「だし?」


 このコンビ……イラっとくるわぁ……。

 すいを無視するように、僕は母さんにだけ面と向かう。


「父さんのこと、教えてほしい。すいに付きまとわれるようになったのも、僕と詩織が昨日危ない目にったのも、父さんが関係してるらしいんだ」

「え? 危ない目って……大丈夫だったの?」


 母さんが気色けしきばむ。


「それは任せて安心、このすいちーが万端ばんたん問題なく対処しましてそうろう

「そう、よかった~」

「よくない!」


ダン!


 カッとなって僕は卓を叩きつけた。

 母さんはビクリ、として途端とたんに不安げな表情になる。罪悪感が僕の中に拡がった。


「母さん……ごめん。でも、お願いだから父さんのこと、教えてくれ」

「つよぽんが……こんなに本気になるなんて……。それが……大事なことなのね?」


 コクン、と僕はうなずいた。


「わかったわ、つよぽん。あなたのパパはね……優しい人だったわ」

「うん……。それで?」

「だから、優しい人だったわよ~」

「うん、だから……それで?」

「優しかったわ~。お店に来る女の子なんかにも、それはそれはモテてたわよ~」

「うん……。で?」

「終わり!」

「え、終わり? 情報、それだけ?」

「そうよ~」

「名前は?」

「知らな~い」

「歳は?」

「さあ~?」

「出身地や職業なんかはご存知……」

「ないわ~」

「ふざけんなし!」


 僕はこの日、人生で初めて「ちゃぶ台返し」をした。


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「まぁまぁ、そんなに落ち込むなぃ、よし坊」


 ポン、ポンと僕の肩を叩くすい。


「人間、産まれ落ちたら我が身ひとつ。ふた親なんぞどこぞの誰だろうが生きていけらぃ。でもなぁ、あいちんを見てみろぃ。あんないいおっかさん、そんじょそこらにはいねぇぞ。それだけでアンタぁ果報かほうモンだわいな。どうだい、アンタ、そんなおっかさん悲しませちゃいけねえ。ほら、これにサインして、判子はんこつけばぁそれでまるっと解決よぉ」

「どんなキャラなのさ、君は……はぁ」


 すいがサラリと出してきた婚姻こんいん届を払いのけながら、僕はため息を吐いた。

 何気に証人欄に母さんが署名済みなのが、僕をよりイラっとさせた。


「ハムエッグにするけど、すいちーはいつもどおりソースでいい?」


 ガラス戸越しに母さんがたずねる。

 いつもここで食べてんのかい。


「今日はコンタクト解禁の記念すべき日なのでケチャップとダブルで!」

「合点しょうち~」


 女手ひとつで僕を育ててくれている母さん。そんな彼女に父親のことは訊いてはいけない心持ちに、子どもながらさせられていたのは何のことはない、ただの無意味な配慮だったのだ。訊いても何にも知らないのだから。

 いや、コレ、大人として、人の親として、かなりダメだろう……。

 結局、今朝は父さんについては何の情報も得られず、すいも僕の母さんも、激しくマイペースなことを認識しただけだった。

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