お通夜

会社で,黙々とパソコン仕事をしていると,雄二のところに回覧が回って来た。服部社長の祖父が亡くなったという内容だった。お通夜とお葬式の案内も,載っていた。


雄二は,驚いた。服部社長は、朝から生々としていて,相変わらず,テキパキと皆んなに指図をし,仕事を進めている。服部社長のいつもとは変わらない様子に,悲しんでいる気配は微塵もなく,身近な人を亡くしたとは、想像し難かった。


雄二は、山田香織と,お通夜に行くことになった。香織と一緒にいるところを社長に見られると,また何か言われそうだったが,だからといって、一人で行くのは気が進まなかったし,他に気軽に,「一緒に行かない?」と気兼ねなく誘えるほど親しい同僚はいない。


ところが,服部社長の祖父のお通夜が開かれるという葬祭センターの駐車場に車を停め,玄関に向かって歩き出すと,どういう訳か,服部社長が先に会場から出て来た。雄二と香織を見ると,立ち止まり,お辞儀をした。


「この度は,ご愁傷様でした。」

と雄二と香織が一斉に,頭を下げ,挨拶をすると,服部社長が言った。


「いいです。もう92歳で,5年前から施設に入り,寝たきり状態でしたので…ようやく苦しみから解放されて,よかったとホッとしているところです。

では,私は,忘れ物をしたので,取りに行って来ます。」

服部社長がそう言うと,すぐに二人に背を向けて,駅の方へ歩き出そうとした。


「歩いてですか?」

山田香織が尋ねた。


「はい。今日は、仕事が立て込んでいて,会社からそのまま電車でここ来たので。」

服部社長が答えた。


「え!?ここから駅まで,20分以上かかりますよ!」

雄二が驚いてみせた。


「わかっています。」

服部社長が小さくため息をついて,急いでいるのに,二人と会話することを面倒に思っていることを顔に出しながら,言った。


「あのう…もしよかったら,送りますけど。」

雄二が躊躇いながらも,申し出た。


「結構です。実は,こう見えて,毎日仕事を終えてから40分ほどウォーキングをして,鍛えますので,20分なんてへっちゃらです。」

服部社長が嫌味っぽく断った。


「でも、お急ぎですよね?」

雄二が心配して,言った。


「はい,急ぎますので,立ち話をこの辺で。」

服部社長は、いつもの呆れた表情をした。


「でも…。」

雄二がそれでも、止めようとした。


「何か…?女の人を20分も,歩かせるわけには行かないとでも?言っておきますが、あなたより、体力を鍛えている自信はありますし,大きなお世話です。」

服部社長は、また二人に背を向けた。


「そんなことは、言っていませんよ。ただ,駅まで20分歩いて,お家まで電車で帰られて,また20分歩いて帰って来られて…相当時間がかかるんじゃないですか?お祖父様のお通夜ですから,早く戻って来られたほうがいいと思い,申し出たまでです。」

雄二は、負けずに,言いました。


「分かりました…そこまで言うなら,お世話になります。」

服部社長が態度をガラッと変えて,素直に雄二に頭を下げて来た。


雄二は、社長は絶対に折れないと思っていたので,意外な展開に一瞬ドギマギしてから,笑顔で頷いて,言った。

「どうぞ。急ぎましょう!」


二人が,「二人で行って来て。」と遠慮した香織を置いて,雄二の車に乗った。


雄二は、癪に触りそうな話題を避けながら,服部社長と当たり障りのない話をし,運転をした。服部社長は、相変わらず,反応が鈍く,短めにしか答えてくれない。どんなに頑張っても,不本意ながら,雄二の独演会になってしまう。


すると,

「先日のクライエントとの打ち合わせ,意外と上手くやってくれましたね。」

服部社長が突然言った。


雄二は、

「いえいえ,まだ広告業界のことがよく理解していなくて,力不足で,申し訳ないです。」

と謙遜してから,思った。


「僕って,今,もしかして,社長に褒められた!?初めて褒められた!?」

「意外と」と言われているし,純粋な褒め言葉ではないかもしれないが,それでも,嬉しくて,どこかこそばゆくて,頬が火照るのを感じた。雄二は、やっぱり単純な男だ。


「岡田さんに一つ謝らなければならないことがあります。」

服部社長が続けた。


「え?何ですか?」

雄二がうろたえた。服部社長が誰かを褒めるのも,誰かに謝るのも,今日まで聞いたことがなかった。


「山田さんとのこと…私が首を突っ込むことではありませんが…いいと思いますよ。相性がいいと思いますよ。」

服部社長は、心が読めない表情で言った。


「え!?今度,応援し出した!?」

雄二には,服部社長の態度の変化の訳がまるで分からなかった。


後で,香織に報告すると,

「社長は、素直じゃないからね…心で思っていることと言うことが違うね…。」


「あの人のことを理解している人って,いないのかな?」

雄二が服部社長が可哀想に思えて来て,呟いた。


「良き理解者なら,山崎さんなんじゃないかな?」

香織が答えた。


「山崎さん?人事担当の?」

雄二が確かめた。


「うん,一番付き合いは長いし,一心伝心というか,社長が言葉で言っていないことまで汲み取り,動いているよ,いつも。凄いよ。」

香織が山崎さんに対する感服の気持ちを隠さずに,話した。


雄二は、山崎さんと服部社長の厚い信頼関係には気づいていなかったが,香織に指摘されて,ハッとした。確かに,山崎さんが社長に怒られたり,注意されたりしているところを見たことがないし,社長の意図を見通し,行動しているように見える。


「でも,雄二は、どうして,服部社長のことをそこまで心配するの?」

香織が笑いながら訊いた。


「別に,心配はしていませんよ。」

雄二が虚をつかれて,はぐらかした。


「理解している人がいるかどうかとか訊くし,忘れ物を取りに,車に乗せてあげるし…。」

香織がくすくす笑った。


「だって,可哀想じゃないですか?」


雄二は,いつからか,自分でもよくわからなかったが,服部社長に誰かに理解されてほしい,誰か味方がいてほしいと思うようになっていた。このまま,一人では一生を過ごしてほしくないと思うようになっていた。

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