声優のお仕事

「ねぇ、大河くん……」

「ん……?」


 俺の身体はまだ華音のベッドに固定されたまま。身体中のあらゆる気力が失われつつある。天井をぼおっと見つめるだけの俺に、華音の弱々しい声が届いた。ついさっきまで大声で俺のことを心配していたようだが、今度聞こえてくるのはあまりに小さく今にも消えてしまいそうな声。まるでアニメのワンシーンを切り出したかのようで、ガラスの破片のような声音でもあった。


「声優って、なんで歌を歌うんだろうね?」


 何かと思えば……。ただそれは、考えれば考えるほどどこか不思議な質問でもある。


「そんなの、需要があるからだろ?」

「需要か……」


 華音は小さく笑っているようだ。華音の顔を見たわけではないが、ただその声から判断するに、少しだけ可笑しくて、少しだけ諦めのような、そんな声音に思えたんだ。


「そんなの俺じゃなくて、お前の方が把握してるんじゃないのか?」

「そう、だね」

「女性声優とか本当に声優なのかって思えるほど、みんなキレイで、オーラがあって……」

「オーラか……」


 有理紗と一緒に暮らしているせいか、俺は華音以外の女性声優とも何度か会ったことがある。実際目の前にすると、テレビや雑誌、インターネットで見るよりもずっと華やかで、何よりもオーラがあった。そもそも声だけの仕事であるはずなのに、なんでこんな綺麗なお姉さんばかりなのだろうと、真面目に考え込んでしまったことだってあるくらいだ。

 顔が綺麗じゃないと、美しい声も出せないってことなのだろうか。……そう思い、俺は首を九十度ひねらせて、華音の顔をまじまじと確認してみる。だがもちろん、そこに答えなどない。


「ねぇ大河くん。わたしって、そんなにオーラとかあるかな?」

「…………」


 別に否定するつもりもない。ないけど、返答にはやや困ってしまった。

 そもそもクラスメイトの女子にオーラがあるとか可愛いとか、真顔で答えられるだろうか。彼氏彼女の関係ならともかく、ただのクラスメイトにだ。


「やっぱし大河君、わたしのこと、なんとも思ってないんだね」

「べ、別に、そういうわけじゃないんだが……」


 ただ本音としては、他のクラスメイトの女子と比較しても十分可愛い方だと思っている。目鼻立ちがはっきりしていて、笑った時の輝く瞳は思わず声を失ってしまうときだってあるくらいだ。ただし、それが世間的な意味で知られるオーラと呼べるかについては……華音の場合、女子高生なら高校生らしく、もう少し大人の魅力も兼ね備えた方がいい気もする。有理紗のようなとまでは言わないが。


「だって大河君、わたしと初めて会った時、反応薄かったし……」

「…………は?」


 正直なところ、華音が何を言ってるのかよくわからなかった。


「わたしが藤沢にやってきた日、駅前で大河君がハーモニカを吹いてて、わたしはそれをじっと見つめてたのに、大河君はず〜っとスルーしてて……」

「…………」


 その日、俺はただ華音と目を合わせないようにしていた。なぜなら――


「わたしあの時、少しショックだったんだけどなぁ〜」

「それはお前、少し自意識過剰じゃね?」

「う〜ん……そうかもしれないけど……」


 そんな誤解から、華音は本気で落ち込んでいるようだった。果たして俺は、触れてはいけない場所に触れてしまったのだろうか。どこか釈然としないものもある。


「みんな歌ったり、テレビに出たり、わたしだって本当は……」


 だがそれは華音の独り言のようで……


「わたしだって他の声優さんと同じように、お仕事したい。歌だって歌いたい」

「だったらそれを……」

「それなのに……」


 ……いや、それは華音の自問自答のようだった。

 その答えは、華音自身にはわかっているようだ。だけど黙ったまま、その導き出した回答をすっと胸の内にしまったらしく、間もなく華音は何も言わなくなった。本音も、弱音も。


「ねぇ大河君。やっぱり、お願い聞いてもらっていいかな?」


 それっきり華音は胸にしまった方の言葉を、俺に聞かせようとすることはなかった。

 逆に俺が聞かされたのは、強い決意のような、顔からそんな気力だけが滲み出ている。


「なんだよお願いって。俺に応えられるものなんて……」


 ひょっとしたら華音のやつ、それに俺を巻き込もうとしているらしくて――


「わたしが歌う曲、やっぱし大河君につくってほしい」


 そんなことを言われたところで……。

 俺はきっぱりと回答するしかない。華音にとっての最適な回答を。


「俺にできるわけない」

「そんなことないもん! 絶対できるはずだもん!!」


 何を根拠に?


「無理なもんは無理だ。前にも言ったけど、他のやつに頼んだ方が……」

「わたしは大河君の曲がいいんだもん!!」


 突っぱねてくる華音。そもそも俺の曲をまともに聞いたこともないくせに何を言ってるんだろう? 俺なんかより、もっと見込みのあるやつに頼んだ方が確実なんだ。


「そんなに歌いたいなら、俺の知ってる作曲家を紹介してやる。だから……」

「なんで? なんでよ!?」


 なにがなんでなんだ?


「なんで大河君、自分で作曲をしようとしないの? 諦めてもいないくせに」

「諦めて……」


 諦めてなんかいない。確かに華音の言うとおりだ。俺は諦めてるわけではない。

 だからピアノを弾こうともしてる。何度も挑戦してる。


 だけどだな……。


「だったらわたしの曲、いつか書けるはずだよね?」

「だから嫌なんだ!!」


 ――もし書けなかった時、華音の悲しむ顔を見るのが。


 ……と、そんなことを声に出して言えるはずもなかった。

 華音の不審の顔が、俺の胸を細かく叩いてくる。その鼓動が速くなるのと同時に、俺はぷいと華音の視線から目を逸らせてしまう。逃げるように。本当に情けない限りだ。


「わたし、待ってる。……ううん、わたしも頑張る」

「…………」

「わたしも歌えるように頑張るから、だから大河君も……」


 どうして俺は、華音のように強くなれないのだろう……?


「……わかったよ」


 気がつくとほとんど反射的に、俺は華音にそう答えていた。

 そんなの見込みがあるわけでもない。ひょっとしたらこの回答が華音を悲しませることになるかもしれない。こんなのあまりにも無責任で、最低な言葉だ。


 だけど俺は――

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