第13話 愛の女神様 陸
「昨日はごめんなさい」
五十鈴に会った途端、茨はそう言ってぺこりと頭を下げた。
「ええ……」
謝った茨に対して、五十鈴は何とも言えない顔をして頷く。
昨日の茨を見た後だと、今の茨に少しだけ違和感を覚える。
謝ってはいる。けれど、悪い事をしたから謝るという当然の事をしているだけに思えるのだ。
それは正しい事なのだろう。ただ、茨のその行為には言いようのない空々しさがあるのだ。
しかし、謝っているのは事実。それに、昨日は事を急ぎ過ぎて苛立ち、八つ当たり気味に怒鳴ってしまったのも事実だ。そこは、誰がどう言おうと五十鈴が悪い。
「私も、怒鳴ってしまってごめんなさい。その、手を貸してくれてる事に不満は無いの。ただ、焦ってしまって……」
「僕が悪かったから、気にしてないよ。それに、僕じゃなくて本当はホームズを頼りたかっただろうしね」
「それは……」
否定は出来ない。ずっと思っていた事だ。五十鈴が求めているのは、探偵の助手では無く、探偵そのものだ。それに、今では五十鈴を差し置いて二人で競い合っている始末。そう考えると、少しだけ腹も立つけれど、誰かの手助けが必要だった事には変わりない。期待外れではあるし、文句もあるけれど、手伝ってくれている事事態ありがたい事だ。
「いえ、本当なら、私は文句を言える立場じゃ無いわ。何人の青春時代を犠牲にして、貴方にも手を貸してもらっていて……」
結局、やってる事は全部私の我が儘。
諦めたような、疲れたような、そんな声音で五十鈴は漏らす。
「じゃあ止める?」
「え?」
弱音を吐いた五十鈴に、にこにこと笑みを浮かべたまま茨は言う。
「止めないなら、こんな事いつだって止められるよ? ホームズに言えば、直ぐに終われる。直ぐに祓い屋に頼んで、君を祓ってもらえる。それでもう何も考えずに済むよ?」
それも一つの解決策。さもそう言わんばかりに、茨は簡単に言ってのける。
「な、何言って……そんなに簡単に止められる訳――!!」
「止められるよ。気にしなければ良いんだよ。終わった事は終わった事だって、すっぱり諦めちゃえば良い。だって、君の人生はもう終わってるんだから」
「――っ!!」
茨の口から容赦の無い事実を突きつけられ、五十鈴は息を呑む。
五十鈴の中にいる愛の女神様の人生は、どうしようもないほど終わってしまっている。何せ、死んでしまっているのだから。それは、取り返しのつかない終わりだ。
その終わり方が嫌で足掻いているだけなのだ。それを憶えていない事が嫌で、その終わり方がどうしても納得できなくて、彼女はこうも足掻いているのだ。
けれど、それは本当に必要な事なのだろうか? 誰かの人生を犠牲にしてまで、しなければいけない事なのだろうか? 先刻、自分自身で言った。結局は自分の我が儘なのだ。
茨の言う通り、終わらせるのはとても簡単なのだ。自分が諦めれば良いだけなのだから。
けれど、その答えは取れない。積み重ねてきた歳月が、犠牲にしてきた人達の存在が、それを許してはくれない。
後戻りはできない。してはいけない。それは、この十年間を、今まで協力してくれた人達の献身を無駄にするという事になるからだ。
此処で終わらせる事だけは、絶対にしてはいけない。もうそれが出来る段階ではないのだ。
「……止めないわ」
笑顔でとんでもない事を言う悪魔のような少年を睨みつける。
けれど、睨みつけられている茨の笑みは崩れない。
「どうして?」
「そんなことしたら、今まで私に手を貸してきてくれた子達の高校三年間が全部無駄になる。そんな中途半端な事をしたら、彼女達に顔向けできないわ。それに、私は今年でこの事件にケリを付けるつもりよ。こんな無意味な事はもう続けないわ」
強く覚悟をしている人の目。
その目は、あの日、好が茨に助手を持ちかけた時の目に似ていた。
真摯な覚悟を持った目。
「そっか! じゃあ、今日も頑張ろ~!」
「へ?」
急にテンションを上げた茨に、思わずそんな間の抜けた声を出してしまう。
「ちょ、今私覚悟を見せたのだけど?! そんな軽く流さないでよ!!」
「覚悟なんてあって当たり前だよ。事件に挑むときは覚悟を持て。君が向き合ってる事件は、君が思っている以上の牙を持っているかもしれない。これ、ホームズの格言ね!」
「そんな事聞いて無いわよ! もっと、こう……あるでしょ?!」
「無いよ! じゃあ、森宮さんの家に行こっか! 当時の事とか、十三年前の事を少し聞きたいしね!」
「ちょっと待ちなさい! 納得いかないわ! もっとリアクションとか、一緒に頑張ろうとか、なんかあるでしょ!?」
「頑張ろうは言ったでしょ?」
「言ったけど! 言いましたけど!!」
先を行く茨の後を追いながら、五十鈴は食って掛かる。その姿は昨日までの陰鬱さは無く、ただ事件に向き合う勢いだけが見て取れた。
〇 〇 〇
道中で騒ぐのは女神のポリシーに反するのか、人気のあるところに移動した途端、五十鈴の文句はぱたりと止んだ。その代わり、恨めし気な視線が茨に向けられるけれど、茨は素知らぬ顔で五十鈴の隣に並ぶ。
暫く何か言いたげな目で茨を見ていた五十鈴だったけれど、言っても聞きやしないし人の往来する道で声を荒げたり不機嫌そうにするわけにもいかず、諦めたように一つ溜息を吐く。
「法無君も不思議だけど、本当に不思議なのは貴方の方ね」
「僕に比べれば殆どの人間はまともだよ。あそこを歩いてる
「……それじゃあ、貴方がまともじゃないみたいに聞こえるけれど?」
「うん。僕はまともじゃないよ。ホームズにも言われたし、僕だってそれが分かってるからね」
言って、茨はにこりと笑みを向ける。
「笑って見える?」
「笑顔なんだから当然じゃないの」
「なら、良かった。僕、笑顔得意じゃないんだ」
自身の頬をむにむにと触って笑顔かどうかを確かめる茨。
その言葉の真意を問う前に、五十鈴の意識は別の場所に持っていかれる。
「あ、此処よ。此処が伊鶴の家」
秀星から森宮伊鶴の自宅は近い。少し話している間にあっと言う間に到着してしまう。
「今更だけど、休日にすれば良かったかな? 森宮さんって社会人でしょ?」
「さぁ? まぁ、伊鶴が居る確証も無いし、都合が悪かったりしたら後日改めて来ましょう」
「そうだね」
五十鈴は物怖じした様子も無く、即座にインターホンを鳴らす。
ほどなくして、母親らしき女性の声が聞こえてくる。
『はい』
「すみません。私、安心院五十鈴と申します。森宮伊鶴さんは御在宅でしょうか?」
『伊鶴ですか? ええ、居ますけど……』
五十鈴の問いに、森宮母は当惑したような声音で答える。
「出来れば、お会いできませんでしょうか?」
『……いったい、どういう用向きでしょうか?』
「高校生の頃のお話しを伺いたいのです」
『ああ、なるほど』
五十鈴の言葉に、何やら納得を示す森宮母。
『少し待っていてください。娘に会えるかどうか伝えてみますので』
「あ、では、私から伝言を一つだけお願いします」
『ええ。なんて伝えれば?』
「
『は、はぁ……』
最後の伝言で更に困惑した様子になるも、伝言を預かってくれた森宮母。
「それじゃあ戻ってくるだよ?」
「知ってるわよ。でも、次来る時に伊鶴が言えって言うから……。伊鶴、見た目は良いけど、なんか中身は残念な子だったのよね……」
当時を思い出してか、呆れたような笑みを浮かべる五十鈴。
そんな話をしている間に、森宮家の玄関の扉が乱暴に開かれた。
「れ、れれれ
現れたのは、よれよれな部屋着に身を包んだ一人の女性だった。
「相変わらずそうね、伊鶴」
笑みを浮かべながら五十鈴がそう答えれば、伊鶴は感激したような笑みを浮かべる。
「わぁ、久しぶり~! あ、立ち話もなんだから入って入って!」
「ありがとう。それじゃあ、お邪魔しましょう」
「うん」
「およ? 霊ちゃん、その子は?」
「その事も含めて中で話すわ」
「んー、分かった。じゃ、とりあえず中に入ろっか」
どぞどぞと中に入るように勧める伊鶴。
二人は遠慮なく家へと足を踏み入れ、伊鶴に案内されて二階にある伊鶴の自室へと足を踏み入れる。
「狭いけどどーぞどーぞ」
「貴女、本当に相変わらずね……」
伊鶴の部屋を見て、今度こそ呆れた様子を見せる。
部屋の中には所狭しとマンガやフィギュアが置かれている上に、ゲーム機やそのパッケージなどが乱雑に置かれている。
「ていうか、拍車がかかってない? 昔はこんなに物多く無かったでしょ?」
「ふふん! 社会人の強みだよ、強み! まぁ、会社行ってない訳ですけど……」
「は? 会社行ってないで何してるのよ?」
「家でゲーム配信してお金ゲットしてるの。結構有名な配信者なんだよ? あ、特定とかはしないでね? 恥ずかしいから」
「プライベートなんだし深くは突っ込まないわよ。そんな事より、本題に入りたいんだけど良いかしら?」
「ああ、そういえば! なんか用事あったんだっけ?」
「ええ。実はね――」
五十鈴は今の状況を大まかに説明をした。
説明を全て聞いた伊鶴はなるほどと大きく頷いた。
「十年経っても愛の女神様が居なくならないなぁと思ったら、そう言う事だったんだね」
「私は貴女と一緒に過ごした三年間だけは、あまり表に出る事が出来なかったから、最初の三年間の記憶は曖昧なのよね。だから、貴女と過ごした三年間の記憶と、その前の事で何か知ってる事があったら教えて欲しいのよ」
「え、森宮さんの時って今みたいな感じじゃ無かったの?」
「ええ。私も伊鶴も気付いたら一緒になってたから。今みたいに、相手の意思を確認した上で相手にとり憑いてる訳じゃ無いから、その分自由度は少なかったみたいなのよね」
「なるほど」
最初の三年間はあまり自由では無かった。それはおそらく好の知らない事実。
後で報告しておこうと心にメモをしながら、話を続ける。
「うーん、とは言っても、毎日報告してたくらいの事しか私は憶えて無いなぁ。それに、私が入学する前の話とかはそんなに知らないし……」
「なんでも良いの。何か思い出せない?」
「うーむむむむむぅ……」
腕を組んで頭を悩ませる伊鶴。
おそらくは、伊鶴は自発的に何かを思い出す事は無いだろう。人間、何かしらのきっかけが無い限りは自身の記憶とは結び付かないものだからだ。
こういう時、好であれば要点をまとめて相手に質問をして、自分の聞きたい事を相手から引っ張り出す事が出来る。
茨は、自身の行動に迷った時には好の行動を真似る事にしている。茨が出会った中で、好が一番優秀な人間だと判断しているからだ。
「僕からも一つ良いですか?」
「ん? なに?」
「愛の女神様って誰が決めたんですか?」
茨はずっと不思議に思っていた。愛の女神様という降霊術が流行ったのは分かる。こっくりさんが全国的に流行ったように、似たような降霊術として流行る事に違和感は無い。しかし、愛の女神様という降霊術と同じ存在が居る事には違和感しか無い。
「誰って特定の誰かが決めた訳じゃないのよ。そもそも、文化祭の出し物の一つだった訳だしね」
「ええ。学校主催の規格の一つで『貴女が愛の女神様!!』っていうのがあってね。まぁ、他校の文化祭で言うミスコンみたいなものよね」
「そうそう! 霊ちゃんが出なさいって言うから出たら、優勝しちゃってさぁ」
でへへと恥ずかしそうに笑う伊鶴。
「この子、当時は引っ込み思案でね。何か一つ胸を張れる結果があればと思って言ってみたのよ。見て分かる通り、この子可愛いから」
「でへへ」
五十鈴に褒められ、伊鶴は嬉しそうに笑う。
「まぁ、残念なのが玉に瑕だけど……」
「そこも今や売りどころなのよ!」
「売りどころにしてどうするのよ……」
自信満々に胸を叩く伊鶴を見て、呆れたような顔をする五十鈴。
茨は二人のやり取りを見てにこにこと笑みを浮かべながら話を続ける。
「でも、去年はそんな事やってなかったよね? その年だけだったの?」
「ええ。その後は、その代の愛の女神様が次の愛の女神様を見初めるの。生徒としては結構盛り上がったから翌年もやりたかったみたいだけど、この催しを長期的に行って学校の知名度を上げて受験者数を稼ぎたいって元々の方針があったみたいでね」
「目論見通り、今も愛の女神様の名前はよく聞くしねぇ」
「毎年女神様が代わるのも変な話だしね。三年生が一年生を選んで、その一年生が二年と少しだけ学校の顔である愛の女神様をやってもらう。一年で代わるよりは、他校からの覚えも良いだろうしね」
「霊ちゃんとしては、次の人に乗り移るのに好都合だったしね」
「ええ、そうね」
二人は懐かしそうに話すけれど、茨はその話に少しだけ違和感を憶えていた。
けれど、その違和感の正体を掴めない。
分からない事はしょうがないと諦め、茨は最後にもう一つ訊ねた。
「因みに、その企画を考えた人って誰なんですか?」
「え、誰だっけ? 霊ちゃん憶えてる?」
「ええ。確か、佐崎智則って先生だったかしら?」
「じゃあ、次はその人に話をけば――」
「それは無理よ」
茨の提案を、五十鈴はばっさりと切って捨てる。
「私も気になって話を聞こうとしたんだけどね、その人、もう死んでるのよ」
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