第42話 紗月の過去


 奢りとあらば遠慮なしにお高いものを頼みたいところだが、残念ながら昼飯終わりでお腹が空いていない。

 デザート感覚でかき氷を頼むことにした。夏真っ只中というほどでもないけど、かき氷を楽しむには十分な暑さだったので、そうした。

 どうやら紗月もかき氷を注文したらしく、緑と青のかき氷をお盆に乗せてテーブルまで運んできた。


「お前も食うの?」


「目の前で食べられると食べたくなるじゃないですか。どうせそうなるなら最初から食べます」


「さいですか」


 紗月は俺の前に青のかき氷、自分の前に緑のかき氷を置く。つまり俺はブルーハワイ、紗月はメロン味だ。


「なんで青だけブルーハワイっていうよく分かんない名前なんだろうな」


 他はメロンとかいちごとかレモンとか、果物の味なのにこいつだけよく分からん名前なんだよな。


「青色のちょうどいい果物がなかったんじゃないですか?」


「そんな適当な理由!?」


 青の果物なんていくらでも……確かに言われてみるとピンとこない。まさか本当にそんなくだらない理由だと言うのか?


「細かいことを気にする男性はモテませんよ」


「そんな、急に突き放さなくても……」


 まあ別にどうでもいいことなんだけどさ。美味しいし、気に入ってるから頼むわけなんだし。かき氷といえばブルーハワイで決まりなのだ。


「夕方まで自由時間だなんて、臨海学校が聞いて呆れますね。もっと有意義な時間の使い方があると思いますが」


「普通の生徒からすればこれほどまでに有意義な時間もないだろ。学校の行事で海に来て、しかも自由時間で友達と好きに遊べるんだぞ」


 授業をするよりは何倍もマシだ。とはいえ、確かに友達のいない奴からすると退屈な時間なのかもしれないな。現に俺も暇を持て余しているわけだし。

 自由時間だっていうなら部屋に戻ってゲームでもさせてほしいもんだ。


「……そういうものでしょうか」


 言いながら、紗月は四角い窓枠から外を眺める。

 男同士がバカ騒ぎしていたり、あるいは女同士が日陰で話し込んでいたり、男女合わせて楽しく遊んでいる。

 その姿はまさしくリア充というに相応しく、全非リア充の憧れでもある。


「やはり、わたしには分かりません」


 その言葉は何を意味するのだろうか。

 男女が楽しく遊んでいる、あの光景に向けて言っているのか。それとも別の何かなのか。

 分からない。


「そんなに男が嫌いか?」


「……なんですか急に」


 半眼をこちらに向けながら不機嫌そうに言う紗月。だけど、本当に嫌ならば完全な拒絶をしてくるだろうから、話を聞く気はあるのだと思う。


「お前が男に対して向ける敵意、嫌悪感は本物だよ。俺が嫌というほど味わってきたものだからそこは言い切れる」


「……そこまで、でしょうか」


「あれ自覚なしでやってるんだとしたら相当やばいぞってレベルだ」


 俺が言うと、紗月は言い返せずにしゅんとする。


「でも、昔は俺とも仲良くしてくれてたわけだし、だから不思議なんだよ。なんでそんなに男が嫌いになったんだろって」


「別に大した理由はありませんよ」


「話してはくれないか? 深雪さんや花恋ちゃんも、それだけは教えてくれなかった」


「そうですか」


 紗月の言ったその短い言葉に、どんな感情が込められているのだろう。複雑な顔つきが、俺の中の疑問を膨らませた。


「本当に大した理由はないんです。誰もが陥りかねない、ありふれた理由ですよ。それでもいいなら、まあ暇つぶし程度にお話しますけど」


 ちらと俺の顔を伺ってきたので、無言で頷く。それを確認した紗月は小さな溜め息を見せた。


「昔は、そうですね、あなたの言うように男の子を嫌いという気持ちはありませんでした。むしろ、男の子と遊ぶことの方が多かったかも」


 そんな男勝りのイメージもないけど。


「でも、中学生になった頃でしょうか。体つきも精神も、男と女で違いがでてきます。そうなれば、もちろん男の子のわたしを見る目も変わってくる。もう以前のようには遊べないと、その時思いました」


「別にそんなことないんじゃないか?」


 そりゃ取っ組み合いとかは照れちゃうだろうけど、でも遊べないということはないように思うけど。

 しかし、俺の言葉に紗月はかぶりを振った。


「いえ。男女の関係、というのは複雑なのだとわたしは子供ながらに思いました。こういう言い方をするのはよくないのだと思いますが、仲良くすれば相手は自分のことが好きなのだと勘違いするんです」


 紗月は容姿は文句なしに可愛らしい。そんな可愛い子が仲良くしてくれたら、そりゃバカでなくとも勘違いしてしまうか。

 なんて罪な女の子なんだ。


「勘違いした男の子は、その、告白をしてきました。中学生にもなると、そういうことを考え始めるのでしょう。ですが、当時のわたしはまだ恋愛というものに興味もなかった。当然ですが、振ります」


 当然なのか……。

 わりと脈アリだと思って告白して振られたらダメージあるだろうなあ。


「そうなると、その子とはもう遊べません。わたしもでしたが、それ以上にその子が気まずさを感じていたから」


「そんなもんか」


 俺には分からない苦労があったのだろう。

 しかし、今までの話では別に男が嫌いというところにまでは至らないはずだが。

 そんな俺の気持ちを察したのか、紗月はそのまま話を続けた。


「そんなこともあったので、思いきって男の人とお付き合いをしてみることにしたのです。恋愛対象としての好きという感情はまだ分かりませんでした。なので、相手は普通に好きだった男の子です」


 人間として好き、ということか。

 まあ付き合っているうちに恋愛感情が芽生えることもあるし、別に悪いことじゃないよな。

 ただ、話のオチを知っているだけにそんな展開にならないことは容易に想像できる。


「少しの間、恋人としてその子と接しました。もちろん、それは恋愛感情ではないのでキスなんかを迫られてもお断りしていましたが。手を繋ぐ、程度はしてみました。けれど、やっぱりわたしの中でしっくりこなくて、前の関係に戻ろうと提案したのです」


 残酷な仕打ちだ。

 した側は大して何も思ってないだろうけど、された側からすれば心に傷を負うレベル。弄ばれた、と勘違いされてもおかしくない。


「するとその子は怒りました」


 やっぱりか。


「そして、わたしに乱暴をしてきたのです。抵抗しようとしましたが、男の子に力で勝てるはずもなく、わたしは為す術がなかった」


「……急に壮絶な展開でついていけない」


 乱暴っていってもこの場合暴力的な意味ではないよな。たぶんだけど、性的なやつ。


「ですが、たまたま通りがかった人に助けてもらい、事なきを得たのです」


「あ、そうなんだ」


「そこでやられるところまでやられれば、男嫌いでは済まないでしょう」


 そのレベルの嫌悪感抱いてましたよ?


「その後、彼は転校していきました。その問題と関係があるのかは定かではありませんが、恐らく無関係ではないでしょうね。そんなことがあって、わたしは男性に対して警戒心を抱くようになった。それだけです」


「……コメントしづらいな」


「別にいりません。言ったでしょう、暇つぶし程度のお話だと。それに今は以前ほど警戒心は持っていません」


「そうなの?」


「いつまでもこのまま、というわけにはいかないと分かっているので。それに、全ての男が怖いわけではない、ということを改めて思い知らされています」


 どういうことだろう。

 そりゃそうなんだろうけど、思い知らされていると言っているわりには顔は嬉しそうだし。


「一応、感謝はしておきますよ」


 そう言って、紗月は目を細めて笑う。

 ようやく、言葉の意味を理解した俺は赤くなった顔を俯かせ、照れ隠しにかき氷を食べようとスプーンを動かした。

 しかし。


「かき氷、溶けてやがる」


 当然だが、この暑さの中でそうそう長い時間は存在していられない。かき氷とは、儚い食べ物である。

 けれど、何となく変な空気は解消できたので、かき氷グッジョブではあった。

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