第40話 過去と現在


 臨海学校の肝試しは毎年恒例のことらしく、教師陣も気合いを入れて取り組んでいるそうだ。

 やることはシンプルで、森の中の道を男女ペアで歩き、その先の祠から御札を持って帰ってくるだけ。

 その道中に、やる気マックスハイテンションの教師陣が待ち伏せている。いつもは真面目なあの先生も、暗くてじめじめしたあの先生も、全力で怖がらせてくる。

 先生達なりの息抜きでもあるのかもしれない。


「……っ」


 カサっと、茂みの方で音がした。それに反応した紗月がぴくりと驚いて俺との距離を詰める。

 こういう状況下だと敏感になるから小さな物音にも反応しちゃうんだよな。


「あなたは怖くないのですか?」


「いや、まあ怖くないわけじゃないけど」


 別にホラーが得意というわけでもない。深雪さんとお化け屋敷に入ったときだって内心ビクビクはしていたし。

 ただ。


「きゃあああああああ!!?」


 隣でここまで怖がられると、やはり少しだけ冷静になれるものである。

 どこかの茂みから現れたお化けに驚き、紗月が立ち止まって叫ぶ。俺達もそうだったけど、この遠くから聞こえる叫び声が恐怖を煽るんだよ。


「大丈夫か?」


「と、とと当然です」


 全然大丈夫そうじゃないんだよなあ。

 深雪さんもお化けとかの類はあまり得意じゃなさそうだったけど、紗月もそうなのか。三姉妹の中じゃ花恋ちゃんが得意そうだな。


「こんなの子供騙し……きゃあ!?」


 子供騙しにそこまで驚けるならまだまだ十分子供だよ。

 ちょっと話したいことがあったけど、この調子じゃ厳しいかな。

 そんなことを思いながら、森の中を進んでいく。時間にすれば一五分くらいの道のりだったのだけど、道中の仕掛けやお化けのクオリティが中々なので体感では倍くらいに思えた。

 大人の本気を垣間見た気がした。


「これで終わりだろ」


 様々な仕掛けを乗り越え、俺達はゴール地点に到着した。

 そこには先生が待機していて、到着した俺達に御札を渡してくれる。帰り道はさっきまでの道とは違うらしい。そりゃそうか、鉢合わせになるわけにはいかないし。


「帰り道は仕掛けはないからゆっくり帰るといい」


「本当ですか?」


 安心しろ、という先生に疑いの眼差しを向ける紗月。どんだけ嫌なんだよ。


「本当だ」


 念入りに聞いても疑いが晴れていない顔をしていた。しかしいつまでもここにいるわけにもいかないので、俺は紗月の手を引いて案内された道へ向かう。


「あ、あの」


「あ?」


「手。もう大丈夫です」


 顔を紅くしながら紗月が言う。

 とりあえずあの場を離れようという気持ちが強かったので勢いで繋いだけど、言われて俺は慌てて手を離す。


「おう、悪い」


「いえ、動かなかったわたしも悪かったので」


 よくよく考えると、よく手を繋ぐことを許してくれたものだ。

 紗月は男性不信というか男性恐怖症というか、つまり男が苦手なわけで、それは俺だって例外ではなくて。

 現に居候を始めた頃は敵意剥き出しの視線を向けられていた。俺はとりあえず紗月との関係を良い方向に持っていこうと考えていたくらいだ。

 それから共に時間を過ごし、その中でいろんなことがあって、紗月は少し変わった。

 根っこの部分で優しい彼女は、嫌がっていても本気で俺を拒みはしなかった。

 だから俺は紗月と関わる機会があって、関係に変化が起こるほどになった。


「なんですか?」


 そんなことを考えていると、いつの間にか紗月の方を見てしまっていたらしい。

 その視線に気づいた紗月が怪訝そうな顔を向けてくる。そこには敵意はなく、悪意もない。


「いや、何でもない」


 そんな紗月と、俺は話すことがある。

 この臨海学校の中で話そうと考えていた。けれど中々二人になる時間がなくて、でも呼び出したりすると警戒されるだろうから躊躇った。

 だからこれはいい機会だと思った。

 今言わないと、この後タイミングはないかもしれない。


「……ことも、ない」


「なんですか、それ」


 呆れたように俺に半眼を向ける紗月。


「いや、ちょっと言いたいことがあってさ」


「はあ。今ですか?」


「ああ。あんまり人に聞かれたい話でもないし」


「何ですか、その不穏な前置きは。正直言ってあまり気乗りしないんですけど」


 言いながら紗月は、うへえ、と苦いものでも食べたような顔をする。


「別に大した話でもない。ただ俺の自己満足みたいなもんだから、聞き流してくれてもいい」


「はあ……それで?」


 聞いてはくれるようだ。

 周りは暗く、人もいないので静かだ。時折遠くから叫び声が聞こえてくるのは無視するとしよう。


「この前実家に帰ったときに、家にあったアルバムを見たんだ。それを見てると、昔のことをちょっとだけ思い出した」


「……」


 昔の話であることを聞いて、紗月から出ていた緊張がさらに増したように思えた。しかし、彼女は何も言わない。


「晴香さんからもらった手紙とかを読んで、俺がお前達三姉妹とどんな関係だったのかも思い出したよ」


「それが言いたかったこと? それなら別にわたしと二人のときでなくとも……」


「そうだな。だから、こっからが本筋だよ」


 俺は乾く唇を湿らせる。別に緊張するようなことでもないのに、そんな気持ちとは裏腹に体はしっかりと固まっているのが、何だかおかしかった。


「俺が引っ越す前日。お前と会う約束をしてた」


「……はい」


 短い返事があった。

 ちらと横目で紗月の様子を見るが、彼女は前を見ていたので表情は伺えなかった。

 ただ、遠くを見るその様子は、まるで昔の景色を眺めているようにも見えた。

 覚えて、いるのか?


「でも、会わなかった」


 そう。

 深雪さん達も言っていたように、子供の頃に一番仲良くしていたのは紗月だった。

 引っ越す前日、俺は紗月と会う約束をしたんだ。渡したいものがある、とか言いたいことがある、とかそんなことを言ったのだろう。

 その時の待ち合わせ場所が、あの近くの神社だった。


「そうですね。あの日、あなたは待ち合わせの場所に来ませんでした。時間になっても、いくら待っても、あなたは現れなかった」


 その日は雨が降っていた。

 最初はくもり、徐々に小雨が降り始め、いずれ本降りとなったのだ。


「出掛けることを止められました。でもわたしはそれを聞かずに家を出たんです。その時は降ってなかったし、大丈夫だろうと思ったからです」


「俺はあの日、熱を出してぶっ倒れていた。どうしようもないくらいに寝込んでたんだ」


「それは後日聞きました。今思えば家に行けばそれで済んでいた話です。でもあの時のわたしにはそんな発想がなくて、ずっとあなたを待っていた」


「……そう、なのか」


 結局、翌日になっても熱は引かなくて出掛けることを許されなかった。そして、そのまま俺はあの町を離れることとなった。


「さすがにまずいと思った花恋と深雪が迎えに来て、それでもわたしはずいぶんとゴネたようですが、その日は家に帰って。まあ、それが災いしたのでしょうね、翌日は熱を出して動けなかった」


 そうして、俺達はすれ違った。

 その後紗月に何があって、何を思って、今の紗月になったのかは分からない。

 でも、あの時のたった一つのすれ違いは俺と紗月との間に距離を作ったのは確かだ。


「その話がしたかったんですか?」


「ああ、まあ。俺はそんなことを忘れてしまってた。紗月が覚えていたかは分からなかったけど、大事なことを忘れてたんだ。それを謝りたかった」


「忘れたことはありません。わたしにとって、あの時の毎日は宝物でしたから。お母さんがいて、深雪と花恋がいて、そしてあなたがいた毎日は、かけがえのないものだった」


「だとしたら尚の事だろ。俺はお前と再会したときにその話をするべきだったんだ」


「まあ、そうですね。とはいえ、わたしが邪険にしていたのも確かです。一概にあなただけが悪いとは言えません」


 それでもやっぱり、悪いとは思う。

 だから、やはりこれは俺の自己満足なのだ。

 謝罪も懺悔も、ただの自己満足。


「それに、もういいんです。あなたの口からそれを聞けて、すっきりしました」


「紗月……」


 横を歩く紗月が、俺の顔を見上げてくる。この顔は確かに笑っていた。


「過去は大事です。今までの積み重ねがその先を作っていく。あの時があるから今があるわけですし」


 再び前を見て紗月は話す。


「未来も大事です。わたし達は未来に希望を抱くからこそ前へ進めるのですから」


 髪に隠れて紗月の顔は見えない。

 彼女は何を思い、言葉を紡いでいるのだろうか。


「ですが、何よりも大事なのは現在いまでしょう? 今、この瞬間はこの時にしか訪れません。わたし達は、その時間を精一杯生きるべきです」


 言って、紗月は再び俺の顔を見た。その時の紗月はやっぱり笑っていて、それが作り物なんかじゃない、本当の笑顔なのは見て分かった。


「母の教えです」


「晴香さんの……」


「ええ。なので、もういいんです。あなたがそれを思い出し、わたしがそれを許せば、何かが変わるはずです。きっと、良い方向に」


「……それって」


「ただし、勘違いしないでください。着替えを覗いたことはまだ許してませんから。わたしはあれを、あれで終わらせるつもりはありませんよ」


 紗月は誤魔化すようにそんなことを言う。

 実家に帰る原因になったあの時のことはまだ許されていなかったらしい。

 確かに逢坂家に戻ってから、しっかり話す機会もなかったからな。


「さあ、戻りましょう」


 いつの間にかスタート地点が見えるくらいに俺達は進んでいたらしい。

 この話はもう終わりだ、とでも言いたげにパンと手を叩いて前を向く。

 大事な部分ははぐらかされたような気がするけど、伝えたいことを放すことができただけでも、良しとするか。


「そうだな」


 そうして、俺達は光の方へと歩いていく。二人並んで。一緒に。

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