我々の住む島は、お手本通りの孤島である。

 島の中心に聳える火山は時々思い出したように噴煙を上げる。何回かに一回は溶岩を垂れ流す。これがどうにも困ったもので、溶岩が流れると草木が減る。草木が減れば、それを餌とする動物も減る。結果、余のような大きさの生き物が獲物を失う。だから溶岩は勘弁してほしいのだが、どういうわけかこのところ、噴火の度に溶岩も流れてくる。

 余は飢えている。蠅で満足していた頃が懐かしい。大きくなってからは捕らねばならない餌も増えたし、体を伸ばして寝られる場所もなくなった。全くもっていいことがない。

 なるべく腹が空かぬよう、いつもの寝床でじっとしていると、目の前に見覚えのある爪が現れた。

「おや、大分元気がなさそうだ」

 見上げると、鼻の尖った獣がこちらを見下ろしている。

「いつも見下ろされているから、たまには逆の立場に立つのもいいもんだね」

 獣はふふんと鼻を鳴らした。余は胸の内で舌打ちする。

「笑いに来たのなら帰れ」

「滅相もない。誰が無二の親友を笑うものか。僕は困っている君を助けにきたのだよ」

「お前を食ってもいいというのか」

 尖った鼻を揺らして獣が笑う。

「ははあ。そうさせてやりたいのは山々だが、生憎僕は美味くないよ」

「この際腹を満たせれば何でもいい」

「それはよくない。何でもかんでも悔い漁るようじゃ、そこいらの獣と変わらない」

「お前は獣じゃないか」

「いや、僕は姿形こそ獣の格好をしているが、中身は違う。そうだな、〈超獣〉とでも言おうか」

「何が超獣だ」

 余は顔を反対側へ向ける。いつもはどうということのない詭弁が、今は鬱陶しいことこの上ない。本当に食ってしまおうかとも思うが、腹の中からも詭弁が聞こえてきそうなのでやめておく。

 この獣は余の親友を自称する。余は認めたことがないのだが、相手がそう言い張るのだから仕方がない。

 親友は言う。

「飢えている君に、とっておきの知恵を授けよう」

「知恵だと?」何を偉そうに、と思いながらも、余は彼の方を向いてしまう。

 親友は口角を吊り上げ、「ついてきたまえ」と言うと、ゆっくり方向転換をして歩き出した。余も残りの力を振り絞って起き上がり、彼の後について歩き出す。

 前を歩く親友もまた、あの〈光〉を浴びている。元はアルマジロとかいうハイカラな名前の動物であったらしい。今では大きさも見た目も遠くかけ離れてしまったとよく嘆いているが、口では嘆いていながらもその実ちっとも哀しそうでないのだから、余にはこの男がよくわからない。

 腹立たしいことに、彼は四足歩行のまま暮らしている。体が大きくなるごとに二本の足で立つことを余儀なくされた余と違い、いつまでも元の形を保っている。「いやいや、二本足で立てる君が羨ましいよ。そこから見る景色はどうだい」いつだったかそんなことを言われたことがあるが、眼には羨望の色など微塵も見られなかった。むしろ、こちらを見下しているようでさえあった。

 狭い島のことだ。少し歩けばすぐ海に行き着く。切り立った崖の上で足を止め、親友は振返った。

「さあ、飛び込みたまえ」

「飛び込む?」

 思わず頓狂な声を上げてしまった。親友は平気な顔をして頷いてみせる。

「海に潜って口を開けていれば、嫌でも魚が入ってくる。一匹では足りないかもしれないが、群で入ってくればそれなりに腹の足しにはなるだろう」

 余は海へ目を向けた。

 時化ている。嵐が近づいているのだろう。風も出てきた。水平線の雲が黒い。普段の静かな海へ飛び込むのも躊躇する余としては、是が非でも遠慮したい状況である。

 親友が笑う。

「相当に怖いと見えるね」

「怖くなどない」

「つまらん意地を張るもんじゃない」

「意地など張っていない」

 腹が鳴る。意地を張ろうにも、その気力が尽きようとしている。

 正直なことを言えば、余は水というのが嫌いである。飲む分には何の文句もないが、その中に身を浸すとなると話は別で、好き好んで湖面や海面へ飛び込んでいく輩を見ると狂気の沙汰としか思えない。一体何が楽しくて、自らを死の危険へ晒さねばならぬのか。息もできぬ体の自由も利かぬ、ないないずくしのおぞましい空間に、何を求めるというのだろうか。余には到底理解ができない。

 だが、背に腹は代えられぬ。荒れ狂う海面へ飛び込めば、死ぬかもしれないが魚を食うことができる。恐れをなしてここで立ちすくんでいれば、いずれは飢えて死ぬだろう。まさに前門の虎、後門の狼。強いて言うなら、虎の方が少し優しそうだ。

「だいぶ波も出てきたね。あまり時間を掛けていると、いよいよ入れなくなるよ」

 ええい、ままよ。余は助走をつけて、黒い岩場を踏み切った。そして、湿った海風の中を飛んだ。時間の流れが緩やかになった。白波が眼下に伺えた。湖では見られぬ光景に、つい見とれてしまった。見とれるあまり、海面が徐々に近くなってくることへの恐怖を忘れていた。

 全身に、大きな掌で叩かれたような痛みが走る。途端、余の視界は靄に覆われたように曇ってしまい、自分の腕すら見分けることができなくなった。口から鼻から塩水が入り込み、目頭の痛みと胸苦しさが同時にやってくる。

 とにかくまず、水面を目指した。だが、どれだけ手足を動かしても体は浮き上がらない。そればかりか、もがけばもがくほど下へ下へと沈んでいく。

 不意に、〈死〉という言葉が頭を過ぎった。現実味のある〈死〉であった。陸上で腹を空かせていた時でさえ、これだけ鮮明に実感したことはない。〈いつか来るもの〉として漠然と考えていたものが、すぐ近くまで差し迫っていた。

 当然ながら、死ぬのは嫌だ。死ぬのが嫌だから、死ぬかもしれぬ海へ飛び込んだのだ。結果的に死に掛けているわけだが、余はまだ死にたくないと思っている。生きているのが楽しいわけではないが、このまま一生が終わってしまうのは嫌である。どうせ死ぬのなら、何か生きた痕跡を残したいものだ。

 とりあえず、死にたくない。

 体に残っていた空気が、泡となって口から出ていった。意識が闇に包まれた。

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