第2話

何もかもが分からずに目を覚ましたあの日。

俺は宮廷医の男により頭部を打ち付けたことによる一時的な記憶喪失との診断が下された。

当然王位継承権第一位の王子が記憶喪失になったとなれば王国が黙っているはずもなく、あれよこれよという間に事情を知るものには情報統制が敷かれ、当人である俺は自室に軟禁されることになった。


「まぁ、国民に王室の人間は完璧な存在として崇められているみたいだし、王子の記憶なくなってポンコツになっただなんて知られたら威厳も何もないから軟禁されるのはいいとして…」


初めはものすごくリアルな夢だと思ったが、残念なことに既に軟禁されて2日目だ。2度も夢の中で寝起きをし、状況が変わらないとなると、もうこれは夢とは言えない。


「2日間みっちり説明を受けて、ある程度のことは分かったつもりだが……うん。未だに信じられないな」


ギルバート・ディア・ダールベルク。

ダールベルク王国第一位の王太子。群青色の髪と紅の瞳。白い肌と端正な顔立ちは人形のように美しい齢16歳の青年。

文武両道で国民からの期待も厚く、実際に未来の王として申し分のない功績を僅か12歳以降に複数挙げている。

彼の後ろ盾はエーレンベルク公爵家。故にまだ年端もいかない彼には既に公爵家のご令嬢シャーロット・ディア・エーレンベルクが婚約者として選ばれていた。ちなみに、倒れたギルバートの心配をしていた例の美少女だ。


そして、そんな超人の中身が日本でしがないサラリーマンだった俺になった。


恐らくこれは俗にいう異世界転生だと思う。サブカルチャーに少々詳しい俺にはわかる。


「はぁ、とんでもないことになったな」


昔から面倒事は嫌いだ。余計なことには我関せずを貫くのか平素の俺だ。なのに何故こんなことになったのだろうか。そんな疑問ばかり思い浮かんで解決策は見つからない。


現実として今の状況を異世界転生だと認めるしかないのだが、何故俺には16歳までの『ギルバート』の記憶がないのだろうか。


異世界転生のセオリーといえば、転生者は不幸な事故で死に前世の記憶を持った状態で転生だ。

だいたい生まれた時から前世を覚えているか、途中で前世の記憶を取り戻して元の人格に馴染んでしまうかのパターンである。他にもパターンはあるだろうが、前世の記憶だけしか持たない状態はあまりない。


今思ったんだが、これは転生というより俺が『ギルバート』に憑依したという方が正しくないか?

まさか異世界転生と思わせておきながらのそういう全く異なるジャンルなのか?

そっちはあまり知識も需要もないからやめてほしい。


「ギルバートとしての記憶があったなら開き直って皇子生活を満喫するんだが……」


全く記憶がなさすぎるのでどうにも違和感が優ってしまう。記憶がないから『俺』と『ギルバート』は全くの別人だ。ものすごく年が離れているわけではないが、やはりサラリーマンの『俺』に16歳の『ギルバート』として振る舞えというのは些か無理な話である。高校生くらいのピュアな時代の俺は汚い社会の現実を目の当たりにしてもういない。夢や希望は特になく、あるのは至極現実的にずる賢く生きる知恵だけだ。


「いや、ちょっと待て。そもそも『俺』はどうなったんだ?」


異世界転生の王道なら、主人公は死亡して転生だ。

そう死亡していることが転生ものの定石で、例外はほぼ有り得ない。

だいたい死んでないのに転生とか、前提がおかしいしな。


「……『俺』は死んだのか?」


だが、死んだ記憶はない。よくあるトラックに轢かれる不慮の事故でも、階段から転落して打ちどころ悪く死亡でもない。


俺がこうなる直前の記憶は妹にテレビを取られたという平凡なものだ。どこに死ぬ要素がある。


「くそ、考えたところで拉致があかない。『俺』自身もどうなったのか分からないが、とにかく今は『ギルバート』として生きる以外にどうすることもできないか」


こうなっては多くの異世界転生者が羨ましい。生まれ変わって自分の前世の死を目の当たりにさせられるのは不憫だが一応は区切りがつけられる。俺の場合は転生にしろ憑依にしろ、とにかく中途半端この上ない。


ああ、本当に面倒くさいことは嫌いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る