第37話男の戦い

「へへっ。やるじゃあねえか……やっぱり物事は簡単に行かねえ」


 口元の血を拭いながら伊達政宗は立ち上がる。

 傷を負っているものの、まだ余裕はある――雷次郎はゆっくりと近寄っていく。


「俺と違った意味で狂っているな……おい、小次郎!」


 政宗が自身の弟――小次郎に話しかける。

 彼は雷次郎が政宗を殴ったとき、一切止めなかった。

 つまりは味方ではない。そう判断してもいいはずだ。


「こいつを半殺しにしろ。そしたらあの女から手を引く」

「……そのような虚言、私が聞き入れると思いますか?」

「聞き入れるね。決まっているさ。だってお前にはそれしか道が無いのだから」


 政宗は自信たっぷりに言い放った。


「俺の言っていることが本当かどうか、真偽を確かめなくても、お前は俺を守るしかない。何故なら俺しか黒脛巾組を止められないんだからな」

「…………」

「どうした? 条件は既に出したぜ」


 小次郎は迷った挙句――雷次郎と政宗の間に入った。

 雷次郎は足を止めて「いいのか、お前さん」と確認した。


「その外道は、約束を守るような野郎じゃない。光のことを狙い続けるだろう」

「だとしても、私は光殿が条件に出されたら戦うしかない」


 すらりと忍び刀を抜いた小次郎。


「光殿――私の姪を守れる状況で何もしないのは裏切りだ」

「……いい男だな。それだけに残念だよ」


 雷次郎が少し悲しげに微笑んだとき、後ろから「雷次郎殿!」と勝康の声がした。

 そして、鞘が入ったままの刀が投げられる――雷次郎は片手で受け取った。


「わ、私には見守るしかできません! ですが――見届けさせてください!」

「勝康、お前さんも――いい男だ!」


 雷次郎も刀を抜いた。

 煌めく刃を小次郎と政宗に向ける。


「流石に痺れるぜ――この状況は」

「本気で私に勝てると思っているのか? 貴様は真柄雪秀でもなければ、浅井霧政でもない。凡庸な腕しか持たない――ただの遊び人だ」


 それを聞いた雷次郎は「当たり前だな」と笑った。


「そりゃ俺は雪秀もなけりゃあ浅井の兄さんでもねえ。雨竜雷次郎だよ。だけどな――」


 雷次郎は刀を正眼に構えた。

 応じるように小次郎も刀を逆手に構える。


「負けを認めるほど人間ができてねえんだ。悪かったな」


 その言葉を皮切りに――両者は激突した。

 互いに袈裟切りにしようとして、刀と忍び刀が同時にぶつかる。

 鍔迫り合いをしながら、浜松城の外の廊下を走り出す。

 雷次郎と小次郎は、自分たちが戦いやすい空間を探しているのだ。


 やがて、城内にある広い庭に駆け込んだ二人。

 がぎん! と音を立てて――両者は離れた。


 双方、間合いをはかりながら――相手の出方を窺う。

 雷次郎は自身が病み上がりであることを考慮している。

 長期戦は不利だと分かっていた。


 小次郎は政宗に言われたこと――半殺しにすることを念頭に入れている。

 つまり殺してはならないという枷があるのだ。

 それが楔となり勝負に影響することを恐れている。


「行くぞ、小次郎!」


 裂ぱくの気合と共に、雷次郎が仕掛けてきた。

 刀を担ぐように構えて小次郎に斬りかかる。

 戦場での刀の扱い方――いわゆる介者剣法だ。


 小次郎は鎧などを着ていない。ならば介者剣法は無意味に思える。

 けれど敢えて雷次郎がそうしたのには理由がある。


 介者剣法は戦場における戦闘をできるだけ継続させる刀法だ。

 言い換えるならば疲れない戦闘法である。先ほど述べているが、雷次郎は病み上がりだ。そんな彼の体力はあまりない。


 敵を倒すまで刀を振り続ける気概を込めた刀法――それが介者剣法である。

 しかしながらそれを選ぶしかないのも現状だ。

 雷次郎に残された手が少ないことを露呈している。


 だがそれがなんだと言うのだろう。

 雷次郎は刀を振りながら考える。

 手段が少ないということは窮地にいるということと等しいわけではない。

 これしかないと分かっていて全力で乗ることは迷いを捨てることだ。


 だからこそ――澄み切った気持ちで刀を振れる。

 あの可哀想な光のためだけに、刀を振れる。

 そして守れるのだ。


「うおおおおおおお!」

「くっ!」


 雷次郎の一心不乱に押す刀法に小次郎は――圧倒されていた。

 彼自身、迷いがあったことは否めない。

 今、自分のしていることは本当に光を守ることにつながっているのか?

 政宗との約束は本当に果たされるのか?


「――はっ!?」


 気がつけば、忍び刀にひびが入っていた。

 力任せで振っている雷次郎の刀を受けているのだ。

 当然、隠密用で強度が弱い忍び刀は――


「この――死にぞこないが!」


 雷次郎の刃を峰で受ける小次郎。

 びきびきと音を立てて、忍び刀は折れてしまった。

 しかし小次郎はそれが分かっていた――懐から苦無を取り出し、雷次郎の顔面目掛けて斬りかかった。


 びしゅっという音。

 雷次郎の左頬が切れた音だ。

 後方に下がる雷次郎。

 小次郎は追撃せず「勝負ありだ」と宣言した。


「痺れ薬が塗ってある。直に効いて――」

「それがどうした? まだ効いてねえよ」


 雷次郎は刀を八双に構えた。

 そんな彼を信じられないという顔で小次郎は見る。


「俺はお前さんの光を助けたいって気持ち、十分分かっている。だけどさ、間違っているよ」

「私が、何を間違っているというのだ!」

「本当なら、自分の姪だって言ったほうが良かったんだ」


 雷次郎の言葉は、小次郎にとって不明瞭だった。

 政宗に従うのが間違い、と糾弾されても仕方がないのは承知の上だ。

 しかし雷次郎が今言っていることは――


「光の前で面を取って、一言『お前を一生守る』って言えば良かった。そうすれば光は希望を持てただろう」

「なにを、貴様は言っているんだ!」

「だから、光の話をしているんだ」


 雷次郎はふらふらとなりながらも、二本の足で立っている。

 しっかりと地に足をつけて、立っている。


「出会った頃の光は、誰も信用していなかった。だけどよ、そんな人間じゃないのは分かるよ。俺が嵌め外したときは本気で怒って。窮地のときは心配してくれて。死にかけたときはおかえりって言ってくれたんだ」

「…………」

「あいつはあったけえ女だよ。俺が保証する」


 雷次郎はそこでにかっと笑った。

 苦無の傷からどくどくと血が流れているのに、笑っていた。


「あいつを守るために、お前さんと戦わなければいけない。そいつは納得した」

「薬が回って、頭が鈍くなったのか? 貴様は、何が言いたい? 何をしたい?」

「決まってんだろう――」


 雷次郎はそのまま小次郎に向かって駆け出した。

 小次郎は苦無を真っすぐ投げた。

 刀で弾かれるが、薬で握力が弱まっている――明後日の方向へ飛んでいく刀。

 小次郎は徒手空拳で迎え撃とうとして――


「――光を自由にしたいだけだ!」


 雷次郎の拳を小次郎は受けた。

 躱せたはずなのに、そのまま顔面で受けた。

 そして、そのまま仰向けに――どたんと倒れた。


「はあ、はあ……やっぱり病み上がりだな」


 その場に座り込む雷次郎。

 そこへ「見事な戦いだったな」と政宗がやってくる。


「なんだ外道。俺と戦うのか?」

「小次郎に勝ったお前に勝てるわけねえ。降参だ」


 見ると政宗の背後には徳川家の家臣たちが大勢いた。

 その中心に勝康がいて「伊達政宗の身柄を拘束します」と言う。


「いいのか? 下手したら戦に――」

「徳川家と雨竜家を敵に回して勝てる大名は将軍家だけですよ」


 勝康は政宗に「私も覚悟はできています」と言う。


「たとえ勘当されたとしても、あなたの野望は阻止します」

「馬鹿なぼんぼんじゃなかったか。いや、お前が変えたのか?」

「いいや。勝康は自分で変わったんだよ」


 雷次郎は「痺れ薬が効いてきやがった」と残念そうに言う。


「お前さんを殴るのは断念してやるよ」

「そりゃ助かった」

「もう『百万石の陰謀』は諦めるか?」


 政宗は「そいつはどうかな?」と不敵に笑った。


「既に将軍家とは話がついている。今更あれが何を言おうと意味ねえよ」

「そ、そんな馬鹿な! じゃあ今までの旅は――」


 勝康の顔が青ざめた。

 だけど雷次郎は「お前さん、見誤ったな」と自信たっぷりに言う。


「あんだと? 強がりなら見苦しいだけだぜ?」

「強がりじゃねえよ。お前さんは俺よりも警戒するべき奴がいることを知らない」


 雷次郎は勝ち誇った顔になっていた。

 一抹の不安が政宗を襲う。


「真柄伊豆守雪秀。あいつならなんとかしてくれる。俺はそう信じているぜ」

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