第22話殺す者、殺さない者

 雷次郎は殺気を感じる方向に、刀を正眼で構えた。

 そして鳥居の柱を背にする。相手が複数での場合、背後を取られないようにするのは基本だ。


 雷次郎の出方を窺う様子の忍びたち――黒脛巾組。

 任務を失敗したら自害するような、命知らずの者たちだけど、だからこそ確実に成功させる気概で臨んでいる。


 雷次郎も軽々に手出しできないと踏んでいた。提灯で辺りが照らされているので、飛んでくる棒手裏剣は避けるなり打ち落としたりできる。しかし『相手の命を奪わずに無力化させられる』かと言えば難しい――


「ぐああああああ!」


 突如、闇の中で絶叫が響いた。

 声の感じから般若の男ではない――むしろ般若の男が殺したのだ。

 舌打ちしたい気持ちで一杯の雷次郎は、ここで敢えて隙を見せる――


 我慢し切れなかった忍びの一人が雷次郎に襲い掛かった。

 忍び刀を逆手に構えて、雷次郎の首を掻っ切ろうと横薙ぎする。


「ま、雪秀と比べたら遅いな」


 ぼそりと呟きながらしゃがんで回避する雷次郎。

 空を切った形になる忍びはほんの少しだけ体勢を崩した――その僅かな隙を雷次郎は見逃さない。交差するように刀を持っていない左の拳を鳩尾にねじ込む。


 覆面の下で大量の胃液を吐くのが分かったので、くの字に曲がった忍びの首元に手刀を叩き込んで気絶させた。


 次に来たのは二人の忍びだ。暗闇でも連携が上手いようで、一人が先行してもう一人はやや遅れて雷次郎に迫る。


 同時に攻撃したほうが対処に困ると思われがちだが、実際は時間差での攻撃のほうが有効である。二人で攻撃する場合、半分かそれ以下の体積しか狙えない。それにどこを攻撃するかの事前の打ち合わせも必要だ。


 さらに言えば、受け手も同時に襲いかかってきた場合のほうが反撃しやすい。上手くいけば二人をいっぺんに倒せる好機でもあった。しかし時間差の攻撃はどうしても二回攻撃しなければならないし、二人目への攻撃も遅れる。


 雷次郎はこりゃ不味いと思って、一人目の攻撃を回避し、二人目の攻撃を刀で受けた。

 上段からの斬撃を、真一文に刀を構えて――弾くように。

 忍びは走りながら斬ってきたので、多少後退する。地面に下駄の跡が刻まれた。


 最初に攻撃してきた忍びが雷次郎の死角から突いてくる。

 見えなくても殺気を感じ取れたので、反射的にその方向へ刀を振るった。斬るどころか当たることも無かったが、牽制にはなったようで忍びは下がった。


 雷次郎が呼吸を整えつつ、二人の忍びと向き合う――唐突に一人が倒れた。

 うつ伏せに倒れたので、背中に苦無――毒が塗ってあるのだろう――が刺さっていたのが分かった。残された忍びの極僅かな動揺で生まれた隙を縫って、雷次郎は接近した。


 接近、というよりも接触と言ったほうが正しい短い距離。

 刀を振るうこともままならないことに忍びは虚を突かれた。

 雷次郎は右手の指を握らず、猫の手のような奇妙な形にして、下から忍びの顎を打った――掌底打ちである。


 宙にかなりの時間浮かんだ忍び。

 脳が揺らされたのか、着地もできず、そのまま膝から崩れ落ちた。


「これで三人か。おい、お前さん――」


 殺気が無くなったので、雷次郎は地面に置いていた提灯を持って般若の男がいるであろう方向を照らす。

 そこには五人の死体の傍で佇んでいる、般若の男がいた。

 仮面を被っていても、人を殺すことに何も感じていないことが分かる所作だった。


「……容赦ないな」

「こいつらは殺さないと、いつまでもどこまでも、光殿を追ってくる」


 そう言って雷次郎が止める間も無く、苦無を気絶している二人に投げつけた。

 二人は痙攣して――動かなくなる。


「こいつらは忍びだ。任務を失敗したら自害するような、命を大切にしない輩だ」


 雷次郎は般若の男に近づく。

 それでも、動かない。

 心も動かない――


「だけど、何も殺すことねえだろ」

「ずっと見ていた。今の戦いで確信に変わった」


 般若の男は雷次郎の非難にも動じず、淡々と自身の考えを述べた。


「人を殺さないのだな、雨竜雷次郎秀成」

「…………」


 怪しく提灯の灯りが揺らいだ。

 まるで物の怪に魅入られたように。


「今まで人を殺したことがないのか? それとも人を殺すことを恐れているのか?」

「両方だと言いたいが、俺も直接的ではないにしろ、人を殺している」


 江戸で佐倉一家の悪事を暴いたとき、その親分が斬首されてしまったのを雷次郎は忘れない。

 他にも結果的に死なせてしまった者たちがいる。

 それらを雷次郎は今でも悔やんでいる。


「だけど、人はできる限り、殺したくない」

「まるで貴様の祖父のような言い草だな。伝説の内政官の――」

「お祖父さんはたくさん殺したよ。親父から聞かされている」


 雷次郎は真顔で般若の男に言う。


「人が人を殺さない泰平の世を創ってくれたお祖父さんと親父のためにも、俺は人を殺めたくない」

「甘いと言うべきか、それとも縛られていると言うべきか」


 般若の男は自身の忍び刀を雷次郎に見せた。


「これは刀だ。貴様も今、携えている」

「紛いなりにも武士だからな」

「しかしこれは人を殺す道具だ。天下泰平となった今でも、それは変わらない。何故貴様は持てるのだ? 自分でも矛盾を感じないか?」


 雷次郎は少し黙って「お前さんの言っていることは正しい」と認めた。


「でもよ。これは人を守る道具でもあるんじゃねえか?」

「……守る道具、か」

「現にこれが無けりゃ、俺は死んでいた。それにお前さんもそいつで――光を守っている」


 般若の男は「任務に過ぎない」と答えた。

 雷次郎にはそれが嘘だと分かった。般若の男が光の境遇を『誰から見ても悲惨すぎる生まれ』と評していた。そう言える人間の心が冷たいわけがない。


「一つ、お前さんに訊きたいことがある」

「なんだ? 人を殺す理由か?」

「そうじゃない。光のことだ」


 般若の男の話を聞いていて、おかしいと思うことがあった。

 それは光との出会い――


「なんで光は狙われているんだ?」

「……話を聞いていなかったのか? 光殿は伊達家の滅びを防ぐために、命を賭しているのだ」

「そうじゃねえ。光は伊達政宗公の娘だろう? いくら伊達家の方針に逆らっていても、主君の娘を追い詰めるなんておかしいだろうが」


 捕らえたりするのなら分かる。

 しかし殺すまでするのはおかしい。

 たとえ、光が隠し子だとしても――


「光は隠されながらも大切に育てられた。もし殺したり死なせたりしたら、政宗のおっさんも怒り心頭になるだろ? 伊達家の中にはそれを覚悟で黒脛巾組に命じている家臣がいるのか?」

「…………」

「いや、そもそも黒脛巾組を動かせるのは――」


 そこまで考えたとき。

 雷次郎の中で、全てがつながった。


「まさか、政宗公自身が命じたのか!? 実の娘を殺すように!?」


 雷次郎の気づきに般若の男は――


「……それは光殿も知らない事実だ」


 ――否定しなかった。


「あのくそ野郎! てめえの娘を、殺そうと――」

「これは黒脛巾組の忍びから聞き出した話だが」


 激高する雷次郎を半ば無視して、般若の男は言う。


「光殿が屋敷を出て、下男と侍女と共に雨竜家に向かったと知った政宗公は、何の躊躇も無く殺害を命じたらしい」

「本当なのか?」

「身体に訊いたから確かだ」


 身体に訊いたとは拷問したという意味である。

 雷次郎は政宗への怒りを堪え切れなかった。

 今すぐ伊達家に向かって殴りたい気持ちで一杯だった。


「外道が……! そんなに天下が欲しいのか!」

「それを知った上で、こちらからも一つ訊きたい」


 般若の男は雷次郎に問う。


「光殿を最後まで守り抜く覚悟が、お前にあるのか? 実の親に殺されそうになっている、哀れなあの方を、助けられるのか?」


 雷次郎は考える間もなく「当たり前だ!」と即答した。


「俺ぁ事情を聞かされる前から、その覚悟だった。それに聞かされて動かねえ奴は男じゃねえ!」

「…………」

「それにお前さん。さっき光は下男と侍女と一緒に旅立ったみたいなこと言ったな? そいつらはどうなった?」


 般若の男は「全員死んだ」と端的に答えた。


「皆、光殿を守って死んだ」

「……立派だな」

「お前も死ぬ覚悟はあるか?」


 雷次郎は「それはない」と首を横に振った。


「俺は生きて光を守り抜く。光が安心して暮らせるまで、絶対に死なん。それが俺の覚悟だ」

「……殺す覚悟も死ぬ覚悟も無いか。ぬるいな、貴様は」


 般若の男はその後に「だがそれが光殿にとって良いのかもな」と言う。


「あの方は散々、知人の死を見てきた。もういいだろう、不幸な目に遭うのは」

「…………」

「貴様なら、あの方を……いや、気が早いか」


 般若の男は「長々と話してしまったな」と後ろを振り向く。


「もうすぐ夜が明ける。さっさと宿屋に戻れ」

「呼び出して何言ってんだと思うが、まあそうだな」

「貴様と話せて有意義だった」


 そのまま去ろうとする前に、雷次郎は般若の男に問う。


「お前さんは、何者なんだ?」

「さっき質問は一つだけと言っただろう」

「つれねえな。だが光の味方ってことは分かった」


 ついでに黒脛巾組でもないことも雷次郎には分かった。

 やりとりから黒脛巾組に所属していたこともなさそうだと判断できた。


「これからも、光を助けてやってくれよ」

「貴様に言われなくとも、そうするつもりだ」


 明けゆく空に溶けていくように、般若の男は姿を消した。

 雷次郎は両手で頬を叩いて気合を入れた。


「光のために、いっちょ頑張るか!」

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