第17話生きてさえいれば

「雷次郎様、おかえりなさい。本当に一晩で済ませたようですね――そちらの方は?」

「ああ。甚右衛門さんだ。この人にも手伝ってもらった」

「よう。兄ちゃん。邪魔するぜ」


 大きな箱を背負った甚右衛門はそのまま座った。

 雪秀は胡散臭そうに見つつ「そうですか」と応じた。


 士郎とすみれの家に、甚右衛門を伴って戻ったのは、夜が白み始めた頃だった。

 士郎は既に寝息を立てていたが、すみれは病の身ながら寝ずに待っていた。それは律儀というより、自分のせいで雷次郎が無茶なことをしたからだろう。


 また守るべき対象の光も寝息を立てて横になっていた。雷次郎たちと違い、体力が少ないので、休んでおくようにと雪秀が言ったのだ。光は文句を言ったが自分にできることは休むことしかないと自身も分かっていた。


「良かったです……本当に……」


 安堵の表情を浮かべて起き上がろうとするすみれに、雷次郎は「体に障るからそのまま寝てろ」と優しく言う。


「お前さんの親の借金の証文だ。確認してくれ」

「えっ? それって……」

「五十両のやつだよ。見たらさっさと燃やしちまいな。それで借金はチャラだ」


 雷次郎が差し出した紙を震える手で受け取るすみれ。

 本当に証文だと分かった彼女は大粒の涙を流した。


「ありがとうございます……! 雷次郎様……!」

「気にすんな。それで、雪秀。後始末は任せたぞ」

「そう言うと思って、風魔衆に命じておきました。奉行所も動くでしょう」


 するとここまで大人しくしていた甚右衛門が「ああん? 頭領はそこのお嬢さんだろう?」と雪秀の後ろに控えている凜を指さして、疑問を呈した。

 雪秀は「何も話していないんですか?」と雷次郎に訊ねる。


「まあな。甚右衛門さん、実はそいつは真柄家の当主だ」

「……とんでもねえ大物、いや大名じゃねえか。てことは、あんたもその類か?」

「賭場でも思ったが、お前さんは洞察力が凄いんだな。ご明察だよ」


 甚右衛門は雷次郎のことを、もしかして真柄家よりも格上である雨竜家の一門ではないかと考えた。そうでなければ『様』など付けない。

 だがおくびに出さずに「鋭くなけりゃ生き残れなかったからな」とだけ答える。


「それにあんたのおかげで四百五十両も手に入った。感謝しかねえよ」


 甚右衛門は今まで背負っていた箱をどかりと横に置いた。

 二人の身分を知って、銭を横取りする輩ではないと分かったからだ。


「感謝ついでに、頼まれてほしいことがあるんだが」

「はあ? 俺にか? 面倒事じゃねえよな?」


 雷次郎の唐突な申し出に甚右衛門は困惑した。

 しかし雷次郎は「何となく俺の正体にも気づいているんだろう?」と言った。


「お前さんのためにもなることだ。話、聞いてくれねえか?」

「……しょうがねえなあ。とりあえず話してみろよ」

「そこのすみれと寝ている士郎を、江戸にある俺の屋敷まで連れてってくれ」


 これにはすみれも驚いた。

 だから「どういうことですか?」と訊ねてしまう。


「私たちが何故江戸に?」

「お前さんたちはしばらく三島宿から離れたほうがいい。三和一家の残党が悪さするかもしれねえ。それにきちんと身体治したほうがいいと思ってよ」

「でも……」

「安心しろ。侍女長のなつめさんに頼めば大丈夫だ。手紙も書く。それに士郎に飯を食わせてやりたいんだ」


 すみれは首を横に振って「そういうことではありません」と静かに言った。


「どうしてそこまで親切にしてくれるんですか? 何か思惑でもあるんですか?」

「何もない……いや、それではお前さんは信用できないだろうな。それじゃ、はっきり言おう」


 すみれは身構えた。

 悪い人ではなさそうだけど、もし自分や士郎を利用しようとするのなら――


「ほっとけないんだよ。お前さんたちのことが」

「…………」

「子供だけで生活してよ。姉は病弱で弟は盗人してやがる。そういうの許せねえんだよ。絶対、俺のおじいさまが目指した日の本じゃねえんだ」


 すみれが呆然とする中、雷次郎はほとんど独り言のように喋り続けた。


「子供は毎日馬鹿みたいに遊んで、腹一杯飯食って、大人になるための勉強して、そんでいつの間にか一人前になっている。それをおじいさまは目指していたんだよ。そのために戦っていたんだと俺ぁ思うんだ」


 すみれだけじゃなくて、雪秀も凜も甚右衛門も黙っている。

 雪秀と凜以外、雷次郎の『おじいさま』が誰なのか分からない。

 それでも真っすぐで人の道から外れない、男気溢れる雷次郎の言葉は染み渡るようだった。


「雷次郎の旦那。俺は引き受けるぜ。江戸のあんたの屋敷まで、無事に送り届ける」


 甚右衛門が心打たれたのは間違いなかった。

 雷次郎のことを旦那と読んだのは認めた証だった。


「そうか。ありがとう甚右衛門さん」

「礼なんざいらねえよ。ほれ、あんたもそれでいいな?」


 甚右衛門がすみれに水を向けると「……はい」と静かに頷いた。

 雷次郎は「これでよし」と笑った。


「あ。甚右衛門さん。お前さんの得になる話、してなかったな」

「あん? おう、失念していたぞ」

「確か江戸に遊郭を建てたいって言っていたな」


 その言葉に雪秀が「……雷次郎様、本当ですか?」と険しい顔で聞き返す。


「ああ。本当だ。どうした、顔が怖いぞ」

「私は遊郭を作るのは反対です。風紀が乱れます。それに女性を売り買いするのも――」

「はん。頭の固い大名ってのは、これだからいけねえ」


 甚右衛門が耳の穴をほじっている。何度も聞いたご立派な意見という顔だった。

 雪秀は「では貴様の目的はなんだ?」と苛立ちながら問う。


「そうだな。口減らしを減らせるようになる」

「……何を言っているんだ?」

「あんたは知らねえだろうが、百姓は男手は必要だけどよ、女はあんまり必要ねえんだ。そんで飢饉とかになったら、真っ先に女は殺されちまう」

「まさか……」


 絶句した雪秀に「それは事実です」と沈黙を貫いていた凜が答えた。


「奥方様の命令で調べました」

「なんと……しかし、それでも……」

「あんたの言いたいことは分かる。女を売り買いするのは忘八者――八つの徳を忘れた者だ。俺だって地獄に落ちる覚悟はしているさ。だがそれでも綺麗事だけじゃ世の中回らねえ」


 甚右衛門は先ほどの雷次郎の言葉を思い出しながら、自身の考えを述べる。


「遊郭を作れば女は飯を毎日食える。綺麗な着物を着れて、美しさを磨くことができる。つまり、生きることができるんだ」

「毎日が生き地獄だとしてもか?」

「口減らしで死ぬよりはマシだ。生きてさえいれば、良いことだってたくさんある」


 雪秀は「話にならない!」と怒鳴った。


「雷次郎様、あなたからも――」

「大声を出すな。光と士郎が起きるだろうが」


 ぴしゃりと雪秀を遮った雷次郎。

 それから光の寝顔をちらりと見てから「俺は二人の言っていることは分かる」と言う。


「だがどちらかというと、俺は甚右衛門さんを応援したい」

「――雷次郎様!」

「まあ待て。甚右衛門さん、一つだけお願いがあるんだ」


 甚右衛門は「なんだお願いって」と聞き返す。

 雷次郎という男を信用していたので、よほど無茶な願いではなければ聞こうと思った。


「働く女たちに教養を身に着けてやってくれ。いつか働けなくなったとき、それでも生きられるように」

「そうだな。必ずそうしよう」

「そしてもう一つ」


 雷次郎は真剣な顔のまま言う。


「身請けは自分の金でもできるようにしてくれ」

「…………」

「希望が無ければ、人は生きられねえ。お前さんだってそれは不本意だろう」


 甚右衛門は雷次郎の言葉を噛み締めて。

 それから笑顔で言う。


「そうだな。俺も嫌だよ。人が死ぬのはもうこりごりなんだ」



◆◇◆◇



 甚右衛門はすみれと士郎と共に、江戸へと向かった。

 光が目覚めたときには既に去っていた――二通の手紙を持って。


 一通は雨竜家の侍女長、なつめへの手紙。

 もう一通は関八州を治める大大名、雨竜秀晴への手紙だった。


 放蕩息子の手紙を、厳格な父親はどう受け取るのか。

 内容だけに、それは定かではない。

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