人が人を想うということ -2

 喉が焼け付きそうで、声がつぶれた。心がまるまる押しつぶされそうだった。

「ううん」

 視界の端で、何かが舞った気がした。頭を抱えていた手に加わる、力強くて温かな感触。


「エルダ」

 エルダがオリバーの右腕を握りしめていた。腕を呪いに縛られながら、それでも両手でオリバーの腕を掴んで、離さなかった。

「オリバーのせいじゃないよ」

 エルダの両腕を、きりきりと呪いが縛り上げていく。

「エルダ、手を離して!」

 エルダの手の色が変わっていた。血の巡りを阻害された腕が、悲鳴を上げているようだった。

「オリバーのせいじゃない。絶対違う」

 思い切りエルダの腕を振り払った。勢いのまま、二人床に倒れ込む。

「誰のせいでもない!」

 エルダが叫んだ。瞳に涙をためて訴える。

「オリバーのせいでも、エイミーのせいですらない。誰かのせいにしたって、呪いは解けない。誰も救われない」

 エルダの白い頬の上に、涙が流れ落ちる。

「誰かのせいに出来たらよかった。その誰かを思い切り憎んで、どうにかしてやって呪いが解けるなら」

 鼻をすすりながら、エルダは拘束の解けた手で服の中を探った。

 手には忍ばせていた短剣が握られている。


「私はエイミーを、殺してしまおうと思った」

 オリバーは言葉を失った。叫びも涙も、凍りついてしまう。

「最後にはそれしかないと思ったの。エイミーを憎んで、大嫌いになって」

 エルダが短剣の鞘を払った。刀身は美しく輝いて、一度足りとて何かを、誰かを傷つけたことはないのだろう。

「全部全部、あの子のせい!殺してしまえばいい、それで全部終わる。あんな子いらない、大っ嫌い!」

 激情のまま、エルダが叫ぶ。短剣を振り上げて、オリバーは思わず、それが身を裂くことも忘れて腕を伸ばすが。

 エルダは短剣を取り落とした。止まらない涙が、刀身に落ちる。

「……そんなこと、できない」

 

 ――もし、私がこの剣を抜くようなことがあれば。お願いだから、止めて。

 あれはエルダが剣で戦うような状況にならないように守って、という意味だと思っていたけれど。

 もっとずっと悲壮で、暗い懇願だったのだ。

「やっぱり怖かったの。そんなことできないって。そんな勇気出ないって」

 そんなものは勇気ではない。強さでもない。止めてほしいと願ったエルダの方が、ずっと正しい。

「呪いをかけた術者を殺すことで、解呪はできるの。トーラスさんは、言わなかったけれど。でもエイミーを殺して呪いを解いたところで、それから、どんな顔して生きていられるの。きっとオリバーも、もっと自分を責めてしまう」

 オリバーは首を振った。自分のことは良い。それよりもエルダが。

「踏みとどまってくれて、良かった」

「うん、うん」

 自分で自分を呪うような罪を背負わなくて、良かった。

 

 エイミーも、もしかしたら自分で自分に呪いをかけているのかもしれない。周りの人を傷つけたという罪の意識が、エイミーを縛り付けている。

「エイミーや誰かを傷つけるやり方じゃなくて、呪いを解く方法を一緒に探そう」

 泣きながら、エルダは何度もうなずいた。

 触れられないのがもどかしい。エルダは身を張ってオリバーの手を取ってくれたけれど。痛い思いをさせるのが分かっていて、オリバーの方から手を伸ばすことはためらわれた。

 だけど母がオリバーに、抱きしめてあげると言ってくれたように。

 エルダの悲しみを人のぬくもりで受け止めて上げられたら、どんなにか良いだろう。

 オリバー自身知ってしまった真実に、まだ苦しくて掻き乱れたままだけど。

 それでもエルダを守ると言った気持ちに、嘘はないから。

  君に触れることができたら、伝わるだろうか。


「ここの書架は、自然の神秘と魔法を結び付けて解説した資料が大半みたいね。呪いに関する記述はあるのかな」

「こっちは呪物についてまとめた本みたいだ」

 魔女の家にある小さな書庫で、エルダとオリバーは片っ端から書物をひっくり返していた。

「エルダ王女のご覧になっている書架の資料は、実際の魔法についての記述と、魔法と関係ない自然現象についての記述が、大体半々ずつ記されているという感じですね。内容の取捨選択が難しいです。オリバー君の手にしている本は、それは完全にただの創作物、読み物ですよ」

 オリバーたちの依頼で書庫を開放してくれたトーラスは、一目書物の装丁を確認しただけでその中身を解説した。

「そんなあ。ここにある本って、みんなちゃんとした魔術書じゃないんですか」

「昔はちゃんと選んで蔵書してあったらしいんですけど。というか、入手する時は好奇心と探求心に動かされて、なんでもかんでも譲り受けたり買ったりしてしまって。で、中身を読んでみて、意味がなければ処分するって、ちゃんとやっていたんですよ」

 トーラスは小さく息を吐いた。

「そのうち、魔法使いも減って、ここに持ち込まれる本も減って。書架を空ける必要がないものだから、もう玉石混交詰め込みっぱなしです」

「玉だけにしてよ」

「石もそれはそれで、面白いんですよ」

 オリバーの手から本を取り上げて、トーラスは紙面を手繰る。

「あ、猿の手。所有者を不幸にする呪物として稀に出回るらしいですけど」

「本当?」

 本を覗き込むと、見るからに禍々しい――そう思って見るからかもしれないけれど――獣の手が描かれていた。

「まあ、動物の干物ですね」

「身も蓋もない」

「本物の魔法使いが使えば、その本に載った眉唾呪物も効果を発揮するかもしれませんね。なんにせよ、この本は、僕たちの役には立たないでしょう」

 興味があればどうぞ、とオリバーの手に本が返される。

「俺は真剣に、自分たちにかけられた呪いを解く方法を探してるんだってば!」


 呪いを解く方法を一緒に探そう。

 そう決意してから、オリバーとエルダはひたすら魔法や呪いに関する書物を読み漁っていた。

「熱意は買いますけれど。でも僕はこの書庫にある書物は全て読み切って、把握してますよ。エイミーの呪いが発現したあとにも総ざらいしています。それでも手掛かりはなかった」

「でも見落としがあるかもしれないし」

 その可能性は、きっと低いのだろう。そもそも、トーラスにしろライエにしろ、この呪いには対抗出来なかったというのだ。

「知識や技術でどうにかできたなら、とっくにどうとでもしています」

 彼らが知識として吸収し、己の一部としたここの書物に手掛かりがあったなら、呪いを解けていてもおかしくはない。

「呪いを解く方法は、呪いの原因となったわだかまりを解消すること。術者を殺すこと」


「それは駄目」

 間髪入れず、オリバーとエルダ、声を揃える。

 一番不幸な結果を、それだけは選択しない。

「勿論。他にも呪いの種類によりけりで、解呪の方法は色々あるのですが。なにしろこの呪いは、エイミー自身も無意識にかけたもので、決まった方法や魔法を使ったわけじゃない。だから対抗策も、決まったものや伝わっているものがあるわけじゃないんですよ」

「トーラスさんは、魔法使いとして実力者でいらっしゃるでしょう。あなたでもできないものですか」

「光栄なことを、エルダ王女。……力押しで行けば、できるかもしれませんが。それは結局、殺すことと同義になってしまうでしょうね。お役に立てなくて、申し訳ありません」

 穏やかな声に滲む切なさに、トーラスもまた、エイミーが幼いころからずっと傍にいたのだと思い至った。自分たちよりももっとずっと、万策を尽くそうと戦ってきたに違いない。

 オリバーとエイミーは、自分たちにも出来ることを探そうとした。それで結局たどり着いたのは、せいぜい書物に当たることくらいだった。それでも暗い想いを抱えるよりは、行動に変えたほうが何かに繋がる気がしたから。

 指がすり減るほどに書物を読み込んでも、構わなかった。

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