魔法使いの導き -2

「結構頑張って帰って来たんですけど、すっかり日が暮れてしまって」

 声と体格からして間違いなく男の人だけれど、顔はよく見えない。出かけにもたついている間に、室内はすっかり暗くなっていた。

 帰って来たその人は、玄関先で手燭に火を入れる。

「ああ、珍しい景色だ。お客さんがいっぱい」

 手燭に一同の顔が照らされる。心なしか、明かりが大きいような気がした。レナードが問いかける。

「トーラスさんですか?」

「はい。そうですよ」

 声の調子に違わず、柔らかい笑顔。同じ大人の男の人でも、レナードとはずいぶんと雰囲気が違った。

 レナードの堂々としたたたずまいは、やはり武人なのだなと思う。

 対して、トーラスも余裕を感じさせるのだが、自然で構えたところのない振舞いがそう見せているのだろう。

 二人を比べたところで何がどうというわけでもないけれど、年齢は近いように見える。ただ子どものオリバーから見ると、大人の年齢など判断がつかないところではあるのだが。


「とりあえず、座りませんか」

 四人で出かけようかと全員が立ち上がっていたので、トーラスに着席を促された。部屋の主の言うことに、全員で従う。

「誰が来たかまではわからなかったけれど、四人もいるとは思わなかったな」

 レナードは居住まいを直して言った。

「突然のことで申し訳ありません。私はレナード・ウォーレンと申します」

「レナードさんですね」

「あなたがレイラ島へと渡してくれると聞いて、お訪ねしました」

 椅子は四脚だったので、トーラスは立ったままで話す。

「誰に聞いて僕のところへ?この家や僕のことを知っている人は、かなり限られてくるのだけれど」

「ライエという魔女に言われて。ご存じでしょうか」

「ああ、ライエの」

 その呼び掛けは既知の者に対するそれだった。どういう繋がりかは知らないが、こちらもある程度頼ってもいいということだろうか。

「成る程。詳しいことはお話を聞かなくてはわかりませんが、身分の保証は十分ですね。ところで」

 トーラスはフランチェスカに視線を向けた。


「あなた、気分が優れませんか?額にずいぶん汗をかいていますよ」

 確かに、額に滲む汗が光っている。フランチェスカは気まずそうに笑った。

「疲れが出ただけでしょう。お気になさらず」

「いや、俺がもっと気を使ってやれば良かった。悪かったな」

 レナードは立ち上がりながら、トーラスへ尋ねた。

「寝台をお借りしていいですか?フランは怪我をしているんです」

「大丈夫よ」

 フランチェスカは、己を支えようとするレナードの手をやんわり断る。

「怪我?ここに来る道中にですか」

「本当に大丈夫ですから。ライエさんの薬だって効いているんだし」

「ああ、ライエの薬を使ってるんですね。だったらひとまずは安心です。悪化することはないでしょうから。だけど痛いでしょう」

 トーラスは座ったフランチェスカに目線を合わせるよう、姿勢を低くした。 

「ライエはねえ。彼女は僕と同等に、治癒力の高い薬をつくるんですけども。鎮痛作用は弱めなんですよね」

 フランチェスカが怪我の箇所をかばうようにしたのを、トーラスは見逃さなかった。

「肩ですね。ちょっと見てもいいですか」

 戸惑う様子のフランチェスカ。トーラスはその傍らにいるレナードにも許可を求めた。

「構いませんかね」

「どうぞ」

 あっさり答えたレナードにフランチェスカはなにか言いたげだったが、観念したように息をつくと、黙って服の留め具を外した。

「失礼」

 静かに言って、トーラスはフランチェスカの怪我の具合を確かめる。

「ああ、これは痛いでしょう。薬は飲んだんですか、それとも膏薬?」

「飲み薬です。あの、ライエさんの薬、とても効いてるでしょう。魔法薬じゃなければこうも早く効果は出ません」

「うん。かなりよく効いてはいると思いますよ。でも、まだまだ痛む段階でしょう。ちょっと強めの痛み止めを追加しましょうか」

 言いながら、トーラスは壁際にある棚の前へ向かった。天井までいっぱいに背の高い棚は、硝子瓶に埋め尽くされている。

 

 どこの家とも変わらぬように見えた部屋の、その一角だけが特別な雰囲気を醸し出していた。

 瓶の中の植物や標本、一緒に並ぶ乳鉢や秤。革で装丁した分厚い本。

「植物そのものと、魔法による鎮痛作用、良いとこ取りです。効きますよ」

 壁にかかった、幻想を描いた美しい色使いの絵。夜空の星や月の満ち欠け、海の満ち引きを記した図面。

 同じような品々を、部屋の景色を、オリバーは見たことがある。

 ライエと暮らした、丘の上の家で。

 台所やオリバーの部屋は、実用的で普遍的な内装だった。

 だけどライエの部屋だけは、魔法の神秘を凝縮したような色合いの部屋で。

「トーラスさんも、魔法使いですか?」

 オリバーの問いに、トーラスは微笑む。

「はい。僕は魔法使いですよ」


「今薬を用意しますからね。少し待っていて下さい」 

 薬草を煎じる匂いが部屋に満ちる。

 トーラスが手元で、一瞬にして火種を起こしたのをオリバーは見た。ライエも料理の煮炊きに使うほどの大きな火は竈か焜炉を使うが、薬の調合で少しの火を使う程度なら、魔法で小さな炎を起こす。やはりトーラスも間違いなく魔法使いなのだ。

「ライエはね、間違いのない薬をつくるんですけどね。『加減がわからなくなりそうで怖い』って言って、鎮痛作用をかなり抑えて薬を調合しちゃうんですよ。悪いところです」

「ライエの薬は、ヴェルレステで一番頼りになりますよ」

 先ほどから度々ライエの薬を批判されているようで、オリバーは思わず口を出した。

「ああ、別にけなしているわけではないんですよ。ただ、ライエに魔法を指導したのは僕なので。つい教師の目線になってしまうんですよね」

「え⁈」

 これにはオリバーだけでなく、全員で声を上げた。

「ライエさんに魔法の先生がいてもおかしくないでしょうけど、なんだかびっくり」

「二十年以上生きてきても、ライエ以外に魔法使いを見たことがないから、それだけでも驚いてたんだけどな」

「っていうかさ、いくつなのトーラスさん」

「若返りの魔法があるって、本当のことなのかな……」

 好き勝手に言葉を投げる一同に、トーラスは眉一つひそめない。


「魔法使いはなんでも魔法で解決できると思い込んでいる人がいますが、それは夢を見すぎというものです」

 僕は単に若く見えるだけなので、と言ってトーラスは続ける。

「僕たちも人間にすぎませんから、若返るとか寿命を延ばすとか、死した者を生き返らせるとか。生き物の理を大きく外れたことなど、叶えることはできません。『はじまりの魔女』と呼ばれる存在は、もはや遠い昔の伝説なのでしょうね」

 いよいよ年齢のわからない顔で、穏やかに笑う。

「例えばこの家、実はペルラ島の住人だろうが誰だろうが、簡単には見つからないようになっています。ここに至るまでの道のりに魔法で少し細工をしてあるので、決まった手順で道筋を追わないとたどり着けないようになっているんですね」

「あ、だから地図じゃなくて手順の説明だったんだ」

「そういうことです。僕の指定した道筋を追わない限りたどり着けないので、他の人は近くを通ってはいても、家を見つけることはできません。けれどそれは、せいぜい『魔法で目隠しをしている』『魔法で小さな迷路を作っている』程度の話。異空間を作ったり、この世のどこにも存在しない場所を生み出したり、なんて無茶は、魔法でだってできないんです」

「難しい……」

 唸るようにエルダが呟く。

「空間や距離を縮めることは、簡単にはできないということです。なので、レイラ島にもひとっとびで行ける、なんてお手軽な方法はないんですよ」

 肝心の話題が切り出されて、全員で身を乗り出す。

「僕もレイラ島からペルラ島に来る時は、毎回船を漕ぎ漕ぎ来てるんですから」

「レイラ島から、来る?」

「そうですよ。僕はレイラ島に住んでいますから」

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