船上の襲撃者

船上の襲撃者 -1

 港は朝日に輝いて、一日の始まりに活気づく。

 商品を競り合う威勢のいい声。お客を呼び込む明るい声と、商品をより好条件で手に入れようと交渉する声と、働き者たちの活気で市場は賑わう。

 枝がついたままの甘橙の実に止まる雀。水揚げされたばかりの魚は新鮮で、銀色の鱗がきらめいていた。

それらの商品を買うこともなく、市場を冷やかすこともなく、オリバーたちは船着き場へと急いだ。

 朝一番にお使いに来たことも、市場に買い物に来たこともあるけれど、波止場までやって来たのはオリバーにとって初めてのことだった。

 ヴェルレステの住民は船に乗ることに慣れている。けれどそれは、すぐ近隣の島まで漕ぎ出ることができる程度の小舟や、数人で操舵する規模の漁船などで、ヴェルレステ城のように背の高い、こんな巨大な客船に乗ることは滅多にないことだった。

 オリバーもヴェルレステ本土からごく近い小さな島に、小舟で渡してもらったことがあるくらいで、まさか自分の人生でここまで立派な帆船に乗るなど、想像もしていなかった。


「すごい……」

 真っ白い大きな帆が風を受けてはためいている。まるで山が聳えるようで、遠目で見ていた時には気づかなかった存在感に圧倒された。

「本当、立派な船」

 頭を覆う頭巾を少し持ち上げて、エルダが言った。エルダの外套には頭巾がついていて、それをすっぽり目深にかぶっている。

「王だって、船は持ってるだろ。これよりもずっと豪勢なやつ」

 建国祭の祝賀航行で見たことがある。帆に王家の紋章が染め抜かれている、船体まで真っ白な船だ。ところどころ黄金の装飾が施してある豪奢なもので、船そのものも見ごたえがあるが、多くの民は船上にお目見えする王を一目見ることを喜びとしていた。

 オリバーも祭りのたびに船に近づこうとするのだが、人だかりがすごくて波止場まで入っていけない。運よく船上の王を見つけた者も、船首に立つ人物の顔はあまりに遠いので、よく分からなかったというのだった。

「私、あまり乗ったことないの。城からほとんど出ないし」

「ああ……」

 それ以上、オリバーは何も言えなかった。

 高貴な身分の人を街中で見かけるものでもないから、エルダに限らずそうそう王族が外を出歩くとも思えない。けれどエルダの曇った顔を見れば、彼女が宮中でも特に、窮屈な生活を強いられているのだろうということは、想像に難くなかった。

「だからこれが、私にとって初めての旅。頑張らなくっちゃ」

 それでも陰りを拭って笑うエルダに、オリバーも笑みを返す。エルダはもう、ちゃんと前を向こうとしているのだろう。


「二人とも、はぐれるなよ。乗り遅れると、次が出るまで四日待たされるぞ」

「あ、はい」

 レナードの呼びかけに、オリバーとエルダは慌ててその後ろに続いた。レナードとフランチェスカが横並びしていた間に、オリバーとエルダが割って入る形になって歩く。

「頭巾、乗船の時は外してください。顔が見えないと却って怪しいので」

「はい」

「……懐かしいな、その外套。明るいところで見てわかった」

 エルダの着ている外套は、市井の民が着ているものとほとんど変わらない仕立てのものに見えた。ややくたびれていて、どうやら古着のようだ。

「フランチェスカが、私くらいの年の頃に着ていたものを貸してくれたの。この方が目立たないからって」

「それで、なんでレナード先生が懐かしいの」

「俺とフランは、子どもの頃からの付き合いだからな」

「ああ、そうなんだ」

 それで揃って王女付きというのは、そういうこともあるものだろうか。宮中の人間関係なんて、オリバーには下働きの者のことですら事情は分かりようもないから、推察のしようがないけれど。

「では乗船しましょう。船員への受け答えはレナードがいたしますので、二人は黙っていてくださいね」

 フランチェスカの言う通りに、オリバーとエルダは口を引き結ぶ。


 乗船口では、船員が検札を行っていた。あっさり船に乗り込んでいくものもいれば、声を掛けられている客もいる。

 先頭のレナードが、船員に乗船券を手渡した。

「皆様、どういったご関係で?」

 ぎくりとする。そんなに怪しげな顔ぶれに見えたのだろうか。いや、確かに疑問を抱く一行だろうけれど。

「俺の妻と、弟と妹。ペルラ島に妻の実家があるから訪問する」

「ご家族ね。はい、じゃあ行ってらっしゃい」

 堂々とした足取りの大人二人に続いて、オリバーとエルダも急いで船に乗り込む。船員の姿が遠くなったところで、レナードが呟いた。

「ろくに身分検めしてないな、あれ。興味だけで声掛けしてやがんの」

 助かったけど、とレナードは息を吐く。

「いやいやちょっと待って」

「ん?」

「レナード先生とフランチェスカさんって、夫婦なの?」

 自分たちが兄弟なんて似てないにもほどがあるだろうとか、目的地ってペルラ島だったっけとか、言いたいことは色々あるけれど、一番気になるのは。

「あれ、俺たち結婚してたっけ」

「オリバー君が混乱するようなこと言うのやめてあげてね、レナード」

 フランチェスカが、オリバーににっこりと笑いかける。

「そういうことにしておいた方が、面倒な説明や言い訳をしなくてすむでしょう。人目のあるところでは、私たちは家族です」

「あー……」

 なるほどと、腑には落ちたけれど。

「レナードとフランチェスカって、ものすごく仲良しよね」

 そのうち本当にまとまりそう。

 そんな風にエルダが言うものだから、オリバーは結局、混乱したままなのだった。


 甲板に屹立する帆柱はあまりに高く、てっぺんを見ようとしたら太陽に目がくらんだ。空に向かって真っすぐ伸びる帆は、真下から見ると山というよりは針葉樹のようにも見える。

 無事乗船を終えた一行は甲板の上にとどまって、船が岸を離れるのを見届けた。

 陸地を離れるというのは、ずいぶんと心細いものだった。同じ距離を進むとしても、陸路と違って海路を行くのでは、後戻りができないような気分にさせられる。大海原という大自然の前には、人はあまりに無力だから。

(でも、帰る)

 そう約束した。

 ライエのもとに、あの丘の上の家に必ず帰ると。

 海辺に寄り添うようにして建つヴェルレステ城、今ライエはあそこにいるはずだ。

 すべてが終わった時には、ライエも城での役目を終えて家に帰るだろう。

(エルダも)

 隣に立つエルダの顔をうかがう。

 潮風に長い髪をなびかせて、エルダも城を見つめていた。その寂しげな横顔に、エルダも笑って城へと、王と王妃のもとへと帰れればいい、そう思わずにはいられなかった。


(王妃様か。エルダの……お母さん)

 様々な思いが巡る中で、オリバーの中でどうしても実感となって伴わないものがあった。

 レイラ島には、オリバーの母がいるという。

 アデイルという名のその人と、一緒に帰っておいでとライエは言ったけれど。

 その人と再会することも、ライエと一緒に三人で顔を合わせることも。オリバーにはうまく思い描けないのだった。



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