その2

 俺はその名刺を一瞥しただけで、黙ってポケットにしまい、

『さて、それではご依頼の主旨を伺いましょう』

 マスクを下げ、付け人氏から渡された缶コーヒーに口を付けて言った。

 向こうはどうやら俺が自分の顔と名前に驚かなかったのが、いたくご不満だったようだ。

『あんた、その名刺を見て何とも思わないのか?』苛立ったような表情でそう言い、すぐ横に直立不動で立っていた別の付け人氏に缶コーヒーを渡す。

『私だって貴方の顔と名前くらいは知っています。でも生憎演歌にはまるで興味がないものですからね』

そう言って一気にコーヒーを飲み干し、近くのごみ箱に投げ入れた。

『たかが探偵の癖に、随分生意気な男だな』

 苦虫を噛み潰したような声で、彼が言った。

『何とでも、私は貴方から依頼の話を伺いに来たんであって、サインや握手を貰いに来た訳じゃないものでね』俺はもう一本シナモンスティックを取り出して咥えながらそう答える。

 まあ座れ、演歌歌手のくろぬま健は、そっぽを向きながらソファを開ける。

 俺は遠慮なく、隣の席に腰を降ろした。


『おい』、彼は手を上げ、あの痩せたキュウリみたいなマネージャーを呼ぶ。

 すると彼は持っていた鞄の中から、クリップに挟んだA4サイズの紙束と、ICレコーダーを取り出した。

 紙束を俺に渡し、レコーダーを目の前の卓子テーブルに置く。

 一枚一枚めくってみると、どうやらそれは彼宛に来たメールをプリントアウトしたものらしい。

 全て同じ名前(当たり前だがハンドルネームだ)で、

”お前を許さない”

”僕らのヒーローを侮辱した人間には制裁を加える”

文言は少しづつ変えてはあったが、大体同じような内容ばかりだった。

『次はこっちだ』

 くろぬまが首を振ると、慌てたようにマネージャー氏がスイッチを押す。

 男の声だ。

 どうやら電話にかかってきたものを録音したらしい。

 しかし聞こえてくる声は加工がされていて、これだけでは誰のものか判別は付きにくい。


 内容はこれもメールとあまり違いはない。

”我々のヒーローを侮辱したお前には正義の鉄槌を下す”

 大体そんなことが繰り返されているようだ。


『これだけじゃないんだ。』そう言って彼が、

”NO SMOKING”

 の表示が出ているのも構わずに煙草を咥えると、付け人氏の一人がすかさず火を点ける。


『一昨日、ウチの事務所宛にこれが送り付けられてね』

 次にマネージャー氏が取り出したのは、なんて事のない普通の白い封筒だったが、中から出て来たのは.22口径の拳銃弾が二発。

 薬きょうが付いたままだった。

『何故警察に届けないんです?脅迫メールや脅迫電話はともかく、拳銃弾まであるなら、警察オマワリだって何とかしてくれるでしょう』

『それが出来るくらいなら、とっくにやってるさ』

 彼はパーラメントの煙を矢鱈にふかす。

 別の付け人氏が金属製のドラム缶みたいな灰皿で、1ミリも逃すまいと、捧げ持って灰を受けている。

『君の探偵料ギャラは基本一日六万円に必要経費。拳銃が必要なんて時にはプラス四万円の危険手当なんだろう?僕はその倍は出そうじゃないか。』

 俺はため息をついた。

 しかしウラに何かありそうな事件というのは、それなりに面白い。

『引き受けましょう。ああ、それから料金ギャラは通常通りで構いません。

 これが契約書です。一通りお読みになって、納得が出来たら署名をお願いします。くれぐれも言っておきますが、直筆で頼みますよ。確認でき次第仕事にかかります。』

 くろぬま氏は忌々しそうに舌を鳴らしてから、マネージャー氏に手を出す。

 すると彼がすかさずその手にペンを握らせ、中身をロクに読まないうちに、手早く署名をして返した。

『結構』

 俺が言うと、スタジオのドアが開き、スタッフの一人が顔を覗かせた。

『先生、お願いします』

 彼はソファから立ち上がると、こちらには一瞥もくれずにスタジオへと消えて

言った。


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