第15話


         ※


「これでよし、と……」


 僕たちはすぐに宇宙服の装着にあたった。幸い、制御室には緊急退避用のハッチがあり、そのそばのロッカーに、宇宙服が吊るされていたのだ。

 十着ほどが備えられていたが、皆適当に手に取って、さっさと装着し始めた。


 しかし、博士の言っていた『次の指示は三時間後』というのが気にかかる。

 というのも、基地外部空間との接触や、酸素・循環機器を搭載したバックパックに身体を慣らすため、少なくとも三時間はかかるからだ。


 この制御室に立て籠り続けてもいいのではないか、という意見もあった。ここで再び博士の指示を待とう、と。

 だが、前回と同じ要領で、博士からの通信を受信できるとは限らない。ここは、地球から遥かに離れた辺境の外惑星なのだ。

 ワームホールで空間接続されているとはいえ、地球だって自転・公転を行っている。少なくとも、こちらは離陸し、ある程度ワームホールに接近していた方がいいだろう。


「ワームホールは、物体のみならず電波も通します。できるだけワームホールのそばで待機した方が、博士からの通信を受け取りやすいかと」


 と、説明してくれたのはトニーだ。


 これらの事情からして、僕たちはこの星を後にすることにした。

 そういうわけで、現在は互いに、宇宙服をきちんと着こなせているかどうかを確認している。


「よし、大丈夫だよ、レーナ」

「じゃあ、今度は私がアルのヘルメットを」

「うん、頼む」


 僕はレーナに背を向け、密封用のチャックが二重に締められているのを確かめてもらった。


 その時目に入ったのは、同様に確認作業をしているフィンとフレディさんだ。


「ところでフレディさん」

「何だ、アルくん?」

「その頭の怪我、どうしたんです?」


 フレディさんは『ああ、これか』と、何でもないことのように話した。

 曰く、フィンにヘルメットの上から蹴り飛ばされたらしい。


「その時に俺の顔が覗いて、フィンさんは手を緩めてくれたんだ」


 そう言いながら、ひしゃげた警備員用のヘルメットを取り上げた。


「この勢いだと、ヘルメットがなかったら俺は首を――」


 と言いかけて、フレディさんは口をつぐんだ。


「どうしたんです? まさか、首を刎ね飛ばされた、なんて言わないでしょう? いくらフィンが強いからって、彼女は武器も使わずに蹴りを見舞っただけでしょう?」

「あ、ああ、そうだ。気を失わずに済んでよかったよ」


 フレディさんがフィンのバックパックの確認作業に入ったのを見て、僕はそっと、フレディさんが着用していたというヘルメットを取り上げた。そして、ぞっとした。

 

 警備員用のヘルメットは、ものの見事にひしゃげていたのだ。

 拳銃弾なら易々と跳ね返すはずのヘルメット。それをここまで破壊するとは、フィンの蹴りの威力は想像を絶すると言ってもいい。


 僕はレーナにバックパックの点検をしてもらいながら、フィンの方を見つめた。

 普段通りの姿のフィン。いつもと違うのは、せいぜい左腕に包帯を巻いていることくらいだ。


 だが、僕はその包帯の向こう側を想像し、ひやりとした。

 あの包帯は、フィンの負傷をケアするのみなならず、隠す狙いもあるのではないか?

 果たして、フィンは僕たち同様、生身の人間なのか?


 そんな想像に駆られ、僕は氷の手で自分の心臓を引き抜かれるような思いがした。


「アル? ど、どうしたの?」

「なっ、何でもないよ、レーナ。次は僕が、君のバックパックを」

「うん」


 僕はかぶりを振って、自分の考え過ぎなのだと自身に言い聞かせなければならなかった。


         ※


「では、わたくしは先に」


 そう言って、一足先に外へ向かったのはトニーだ。

 僕たち人間は、一旦エアロックに入って、外の環境や宇宙服のシステムに身体を慣らしていく必要がある。

 トニーにはその必要がない。だから彼は、エアロックをさっさと通り過ぎ、外部の様子を偵察に出ることを提案したのだ。

 幸い、制御室には携帯型の通信端末があったので、トニーから詳しい状況を中継してもらえる。


 トニーが外部に出て、エアロックの外壁が封鎖されたのを確認してから、僕たちはその手前の扉、すなわちエアロックの内壁を開放した。ふっと、新しい風が吹き込んでくるような錯覚に囚われる。


「よし。行くぞ、皆」


 フレディさんは、随分この工程に慣れているようだ。まあ、当然と言えば当然か。

 しかし、『行くぞ』と言ったはいいものの、次はエアロック内での三時間に及ぶ『待機』である。


 それでも、緊張感は解けなかった。解けるはずがない。

 今更だが、僕はこの星以外のことを、ほとんど何も知らないのだ。

 地球の環境や自然については知っているつもりになってはいる。だが、ワームホールを通過した経験はないし、宇宙レベルでの長距離移動と言ったら、実家からこの星の学校にやって来た一度きりだ。


「アル? 大丈夫?」

「ん」


 レーナに声を掛けられ、僕はエアロックに足を踏み入れた。

 すると、背後でゆっくりとドアが上から下に降りてきて、ガシュン、と重厚な音と共に封鎖された。


《外気調整システム、起動します》


 という人工音声がする。しかし実際のところ、何が変わっているのかよく分からない。

 いや、そのためのエアロックなのだけれど。


 エアロックは、完全装備の宇宙服で四人が入ると、あっという間に隙間がなくなった。

 随分窮屈で、宇宙に出る前に窒息しそうになる。かと思いきや、唐突に視界が広がった。

 と同時に、僕は声も出せずに目を見開いた。


 エアロックの壁面に、立体映像が照射されたのだ。

 それだけだったら、警備員のストレス軽減のための装置であろうとは分かる。

 問題は、そこに『何が映されていたか』。


 紛れもなく、地球だった。

 人工衛星から撮影された、青と白からなる巨大な球体。まさか、こんなところで相まみえることになろうとは、思いもしなかった。


 僕が呆然としている間に、どれだけの時間が過ぎただろう。

 僕以外の三人の意識が、僕に向けられているように感じられるのは気のせいだろうか?

 いや、気のせいではあるまい。僕の、地球への執着心を嫌と言うほど理解している三人なら。

 

《こちらトニー、皆様、聞こえていらっしゃいますか?》

「こちらフレディ、どうした?」


 真っ先に正気に戻ったのは、フレディさんだった。鋭い声で、トニーに応答を促す。


《スペースプレーンの周辺に、武装した警備員の姿を確認。数は十。無反動自動小銃を手にしています》

「いつもより警戒が厳重だな。スペースプレーンの状況は?」

《無傷ですが、燃料の残量は不明》

「他に何か、気づいたことはあるか?」

《映像を送ります。フレディ主任に、警備状況の確認を願います》

「了解」


 すると、通信の切れる小さな音と共に、地球の立体映像が消えた。

 僕は思わず、あっ、と声を上げそうになったが、辛うじて喉の奥で食い止めた。


「では、映像を拝見させてもらおうか」


 一瞬、エアロック内は真っ暗になった。直後に、再び映像が展開される。

 ただし今回は立体ではなく、旧世紀の二次元カメラで撮影したような平面映像だった。


 濃い緑色で描かれた、鉄骨やコンテナ、まっさらな地面。

 その奥には、トニーの報告の通り、自動小銃を構えた警備員が十名、周辺の警戒にあたっていた。

 武器の形状が違うのは、やはり宇宙空間での戦闘を想定して改良されたからだろう。

 発射の反動をなくし、低重力下での使用者の挙動を支援する。


 それに対し、僕たちの手にしている火器は、全て地球と同じ重力下での使用を想定したものだ。反動で意図せず後退してしまったり、思わぬ方向に流されてしまったりするかもしれない。


「フレディさん、基地周辺部の重力はどのくらいですか?」

「内部の三分の一だ。月面と同じだな」


 否応なしに思い出されたのは、二十世紀半ばに初めて成功した、人類の月面着陸の映像だ。

 現在は月面のあちこちに基地が建設され、二億人近い人口を擁しているとか。もはや立派な人類生存圏の中枢である。


 それはさておき。

 僕の目が次に捉えたのは、警備員たちの後方を真横に横切って建設されたレールである。スペースプレーン発射台だ。

 映像の左隅に、発進待機中のスペースプレーンがその翼を休ませている。


 位置関係からすると、今度は僕たちが攻める側だ。スペースプレーンを奪取しなければならない。

 対する警備員たちは、僕たちから施設や機材を守る側。最初からスペースプレーンを人質に取られているようなものだが――。


《ご心配には及びません。わたくしに考えがあります》


 僕の懸念事項を汲んだのか、トニーはそう請け合った。


「頼むよ、トニー」


 間もなく、エアロック開放だ。僕は自分の自動小銃の弾倉を確認し、バチンと叩き込んだ。

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