第8話【第二章】

【第二章】


「……」


 警備員二人の死体を見つめながら、僕は自分の無力さを自覚した。

 この『残酷』という言葉ですら生温く感じられる、凄惨な光景。それを、レーナの視界から引き離すことができないでいたのだ。


 それはトニーが廊下に出て、照明を点けたことで、より確実なものとなった。

 僕でさえ、再び嘔吐感に襲われた。フィンはどうか分からないが、レーナにとって大きな衝撃があったであろうことは想像に難くない。


 僕は振り返り、レーナを視界の中心に据えた。


「レーナ、これが酷い状況だってことは分かる。僕だってそう思う。でも、トニーが助けにきてくれなかったら、こんな目に遭ってたのは僕たちの方なんだ。だから――」

「分かってる……分かってるけど、でも……!」


 レーナはぐっと顔を上げ、僕を見返した。


「この人たちにだって家族はいるんでしょう? 悲しんでくれる人がいるはずでしょう? それをこんな、こんな……」


 正直、意外だった。今のレーナの口から、そんな道徳心溢れる言葉が発せられるとは。

 しかし、それもそう長くは続かなかった。

 フィンが、レーナの胸倉を掴み上げたのだ。


「レーナ、あんた、自分が何を言ってるのか分かってんのか!」

「フィ、フィン……」

「アルが言った通りだ、殺らなきゃ殺られる! 簡単な話だろう? あたしだって、一歩間違えばポールと同じ目に……」

「フィン様、お気は済みましたか」


 トニーがそっと、フィンの腕を握る。気遣わし気でありながら、どこか白々しさを込めて。


「今、わたくしたちにとって大切なのは時間、それと団結です。どうか喧嘩はお止めくださるよう、進言致します」


 するとフィンは、実に呆気なく腕を下ろした。というより、脱力させた。

 ふっと顔を背ける。ポールの死という現実が、フィンの心を揺さぶっているのだろう。砂浜に打ち寄せる波のように。


「先を急ぎましょう、皆様」


 そう言ってトニーは先頭に戻り、僕たちは一列になって廊下を進んだ。


 さして歩く間もなく、トニーが立ち止まる。僕は鼻先から、彼の装甲じみた胴体にぶつかるところだった。


「サブコントロール室はこの先です。もうじきですよ」


 そっとそちらを覗き込む。そこには、また他の警備員たちの遺体があった。否、散らばっていた。心なしか、トニーの身体が先ほどよりも血生臭く感じられる。

 

 僕は意識を逸らすべく、トニーに話題を振ってみた。


「なあ、どうしてサブコントロール室に向かうんだ?」

「メインコントロール室は、あまりにも警備が手堅いものですので」

「ああ、そうじゃなくて。サブコントロール室で何をする気なんだ?」

「情報収集、と申し上げました」


 トニーの口ぶりは柔らかだが、どこか会話が成り立ちきらない奇妙な感覚を与える。

 僕は廊下の血だまりから目を逸らすように努めつつ、詳細を訪ねた。


「わたくしの知識には、対人戦闘の方法やスペースプレーンの操縦方などがございます。しかし、この宇宙基地の情報はあまり記録されておりません。きっと、ポール様も適当なデータファイルを発見できなかったのでしょう」

「そ、そう、なのか」

「ご安心ください。廊下の監視カメラは、道中に破壊して参りました。わたくしの計画が露見することはありますまい」


『そうなのか』と再び呟く頃には、僕は一つの疑問を頭に浮かべていた。


「この基地の情報が得られたとして、どこへ向かうつもりなんだ?」

「スペースプレーンを奪取し、地球へ向かいます」


 その時、僕の心臓が大きく波打った。

 行けるのか? 地球へ? 本当に?


 僕が口を利けないでいる間に、僕たちはサブコントロール室へ踏み込んでいた。


         ※


 トニーは、この部屋の入室認証カードキーを手に入れていた。きっとここに横たわっている警備員から奪ったのだろう。

 最後尾にいたフィンが踏み込むと同時に、スライドドアがスタッと閉鎖される。


 僕は急に、生きた心地を取り戻した。空気から死の臭いが消えたからだろう。

 レーナは視点が定まらない様子だったが、フィンに背中を擦られ、何とか心を持ちこたえさせている。


 サブコントロール室は、一見真っ暗だ。しかし、あちこちにある電装機器の光が瞬き、目はすぐに慣らすことができた。


 トニーはと言えば、部屋の片隅で何やら自分の腕を操作している。


「何をやって――」


『何をやってるんだ』と尋ねかけて、僕はのけ反った。トニーの左腕の肘から、大きな立体映像が照射されたのだ。昔の童話『アラジン』に出てくるランプの精霊を思い出す。


 そこに映されたのは、等身大と思われる男性だった。薄緑色に輝くその姿は、まさしく霊体だ。


《やあやあ諸君! 今のところご無事かな?》


 と、何とも呑気なことをのたまう男性。


「ご報告いたします、ミヤマ博士。まともに生存状態を維持できたのは、こちらのアル様、レーナ様、それにフィン様のお三方です」

《ということは、君の主人は?》

「残念ながら、ポール様は……」


 すると、立体映像に映った男性――ミヤマ博士は、眉をハの字にして肩を落とした。


 恰幅のよい男性で、突き出た腹の前で両手を組みながら回転椅子に座っている。

 薄緑色なので分かりづらいが、羽織っているのはおそらく白衣だろう。髪はオールバックにし、真ん丸の黒縁眼鏡をかけている。


《確認するが、生存できたのはその三人だけなのだね?》

「はい。わたくしがもう少し早く、ポール様の身の危険を察知できていれば……」

《君の責任ではないよ、トニー。間違いを犯したということは、君がそれだけ人間らしいということの証左だ。死者は生き返りはしない。今後のことを考えようか》

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 僕は会話に割り込んだ。


「ここに長居するわけにはいかないんです! というより、あなたは何者なんです? どこにいらっしゃるのですか?」

《おっと、待ってくれアルくん。回答は一問につき一回ずつだ》


 ミヤマ博士は回転椅子をこちらに回し、神妙な顔を作った。


《まず、君たちはこの惑星面基地を横切って、スペースプレーンに搭乗してもらいたい。トニー、君はそこから、この基地の見取り図をダウンロードしたまえ。私も、時間はかかるがそちらのデータを引っ張ってみよう。何か助言できるかもしれん。――というわけで、私は君たちの味方だよ、アルくん》

「は、はあ」


 一気呵成に語られて、僕は何が何だか分からなくなった。最後の『私は君たちの味方だよ』という言葉だけが、すっと心に下りてくる。


《そして私がいるのは、地球、アメリカ合衆国のヒューストンから伸ばされた軌道エレベーター上の地表観測基地だ。軌道エレベーターについては、知っているかね?》


 僕は無言で頷いた。

 軌道エレベーターとは、地表から宇宙空間にまで伸ばされた、長大な建造物だ。スペースデブリ、すなわち宇宙ゴミとの接触を避けるため、極めて高度なシミュレーションの下で建造されている。


 僕が記憶を漁っていると、唐突にそばでガシャリ、と音がした。

 トニーの胸部ハッチが展開し、そこにケーブルの差し込み口が並んでいる。トニーは器用に指先でケーブルの類を選り分け、その先端を自らの差し込み口に嵌め込んだ。


「そ、そうだ! 僕たちは地球へ行くべきだって、トニーが言ってました。どういう意味です?」

《そのままの意味だよ》


 ミヤマはやや表情を和らげ、軽く首を傾げてみせた。


《いいかい、三人共。君たちは、違法な実験に付き合わされたんだ》

「じ、実験?」

《そうだ。非人道的な人体実験だよ》


 僕たちを殺そうとしてまで、一体何の実験をするつもりなんだ?

 その疑問が顔に出たのだろう、ミヤマは姿勢を改め、はっきりとこう言った。


《量子コンピュータの代替計算機の開発実験だよ》

「量子……コンピュータ……?」

《言葉くらいは、聞いたことがあるだろう?》

「ええ、今のスーパーコンピュータとは比較にならない、超高速演算を可能にする夢のコンピュータ、でしょう?」

《そうだ》


 身を乗り出し、ミヤマは神妙な顔つきで頷いた。


《人間のように、有機的にものを考えるには、量子コンピュータを完成させるというブレイクスルーが必要になる。だが、人間の欲求とは飽くなきものでね。未だに量子コンピュータの開発ができないと分かるや否や、科学者たちは別な道を模索し始めた。そして思い至ったのさ。生身の人間の脳を並列接続して利用すれば、より早く精確な高速演算が可能になるのではないかと》


 僕の背筋に、冷たいものが走った。


「まさか、僕たちは――」

《実験の第一回被験者だよ》


 僕は自身のみならず、レーナとフィンも硬直してしまったのを気配で感じ取った。

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