第6話

 キィン、と張り詰めたその悲鳴は、その鋭さで空を斬るような感覚を僕に与えた。


「きゃっ! 今の声、もしかして……」

「ああ、フィンだ。ポールを見つけてしまったみたいだね」


 僕はわざとレーナから顔を逸らし、フロア前方を見遣った。


「ポールに何かあったの? 怪我をしているの?」

「それは……」


 無視しようとしたが、それはできない相談だ。せっかくレーナが意識を取り戻したというのに。

 だからと言って、クラスメイトの遺体を今の彼女に見せつけるのは――あるいはそれを口頭で伝えるだけでも――、あまりにも残酷に思われる。


 僕がどうしたものかと思い、ぎゅっと両目を閉じていると、レーナがソファから身を乗り出して問うてきた。こうなったら、もう言ってしまう外ない。


「ねえどうしたの、アル? ポールは? フィンはどうしちゃったの? あなた、知ってるんでしょう?」

「……んだよ」

「えっ?」

「ポールは死んだよ」


 両目を開くと、視界の中央にはレーナのつぶらな瞳があった。それから一瞬、その瞳が揺らめいて、はっとレーナは息を吸った。喉元に両手を当てている。


「な、何を言っているの、アル? 私たち、ただこのHMDを被せられて、変な映像を見せられて、それだけじゃない。それなのに人が死ぬわけがないでしょう?」


 レーナの方が常識的なことを言っている、ということは分かる。にも関わらず、僕ははらわたが煮えくり返る思いを抱いていた。

 あのHMDによって、ポールは死に至らしめられたのだ。何故それが分からない?

 悔しさのあまり、僕はぎゅっと自分の両手を握りしめた。


「今の状況がどうなってるか分からないけど、まさか誰かが死んでしまったなんて――」

「だったら自分で見てみればいいだろう!」


 僕は、さっきのフィンの悲鳴に劣らない大声を上げた。音もなく呼吸を止めるレーナ。

 今の状況が分からないというなら、分からせてやるしかない。


 レーナの腕を取って、引っ張り立たせる。彼女は痛みを訴えたが無視した。そして半ば突き飛ばすようにして、隣のソファで事切れているクラスメイトの前に立たせた。

 そのクラスメイトは、ポールと同様に顔の数か所から鮮血を垂れ流し、着ているブレザーを台無しにしていた。


 僕はじっと、レーナの横顔を見つめた。これでもかという勢いで、彼女の目は見開かれ、手が口元に遣られる。

 すると、ふらり、とレーナの身体の軸が揺れた。キュッ、と場違いな音を立てて、彼女のスニーカーが後ずさりする。

 それからゆっくりと、足先から頭頂にかけて、彼女はがくん、と脱力した。


「おっと!」


 慌てて手を伸ばし、レーナの背中と膝の裏に腕を差し込む。仰向けに倒れ込んだ彼女を、ちょうどお姫様抱っこするような姿勢になった。

 見下ろすと、血だまりが広がって僕のスニーカーの裏を染めていた。


 その上で、自分でも意識しないほど、僕は軽々とレーナを抱えていた。火事場の馬鹿力? いや、それにしては落ち着いているな、と僕は自分を分析する。

 それよりももう一人、心配な人物がいるではないか。


「フィン……大丈夫か!」


 僕はレーナを抱えた腕のバランスに気をつけて、小走りでフロアの前方に向かった。


         ※


 幸いなことに、フィンはぺたりとその場にへたり込んでいた。少なくとも、転倒して頭部を強打する、という事態には陥っていない。

 しかし、僕は声をかけられずにいた。フィンの周囲だけ、時間が止まってしまったかのようだ。とてもそこに展開された心理的障壁を破ることはできそうにない。


 僕はそっと、腕の中のレーナを見下ろし、ぞっとした。

 もしレーナを失ってしまったら、自分は一体どうなるのか。――想像もつかない。

 そっと視線をポールに遣って、レーナの姿に置き換えてみた。


「ッ!」


 急に湧いた不快感、胃の内容物がひっくり返るような異様な神経の痺れ。

 僕は慌ててその妄想を捨て、辛うじて嘔吐を止めた。それでも、鼻の付け根までもがひりひりと炙られるような感覚に囚われた。


 その時、先ほどと同じ人工音声がフロアに響いた。


《適性試験、ご苦労様でした。生存者の皆さんは、亡くなったお友達のご冥福を共にお祈りいたしましょう。その後の指示は、遺体の回収作業後、担当教諭から与えられます。繰り返します――》


 適性試験? 今のが試験? あれほどの苦痛と死をもたらすものが?

 ふざけるなと叫びたくなるところを、僕は何とか堪えた。叫んだところで、ポールは戻ってこない。


 こうなったら、僕たちで何か行動を起こすしかない。しかし、何をどうしたらよいのだろう? 反乱でも起こすのか? たった三人で?


 僕はふるふるとかぶりを振った。フレディさんが手にしていた自動小銃が脳裏をよぎる。あれで一掃されたら、僕たちはたちまち肉塊だ。勝負にならない。

 それでも、ここから行方をくらませた方がいいのは事実だ。少なくとも、動ける者たち、すなわちフィン、レーナ、そして僕の三人で。


 たとえ逃げるだけであろうと、フィンの近接格闘戦能力は貴重な武器になる。どうにかして、彼女を正気に戻さなければ。


 僕は血だまりを避け、そっとレーナを床に横たえた。それからフィンに向き直る。


「フィン、大丈夫?」

「……」

「ポールは死んでしまったんだ。このままじゃ、僕たちも何をされるか分からない。ここから逃げ出そう」

「ぁ……」


 僕がフィンの声を聞きとろうと、顔を近づけた。すると、勢いよく平手打ちが飛んできた。

 バシッ、といい音が響き渡る。フィンの突然の暴力に、僕は反応しきれなかった。


「嫌だ、そんなの!」

「フィン……」

「嫌だよ、そんなの……。ポールを置き去りにして行くなんて……」

「彼は死んでるよ。見れば分かるだろう?」


 どうして自分はこんなに冷静なのか、という疑問はあった。しかし今は、ここから脱出するのが第一だ。レーナの存命を確認した今、僕にとっての最重要事項はそこだった。


 ゆっくりと顔を前面に戻すと、そこにはフィンの瞳があった。レーナのそれと違い、凶暴性を秘めた――もしかしたら、僕の方が似ているのかもしれないと思わせる瞳だ。

 しかし、そんな程度の威嚇で怯んでいる場合ではなかった。僕は右手を振り上げ、さっと左下へ振り下ろした。


 パチン、とさっきよりは軽い音がする。自分がフィンを引っ叩いたのだと気づくのに、数秒の時間を要した。


 はっとしてフィンの目を視界の中央に入れる。フィンは、血だまりに着いていた左手で、自分の頬を押さえた。

 するりと手が脱力する。フィンの左頬は、真っ赤に染まっていた。


「泣いている暇があったら、策を練ってくれ。ここから脱出するためにできることを」

「ここから逃げる、って言うの?」

「今言ったばかりじゃないか。そうでないと――」


 と言いかけて、僕は口をつぐんだ。四方からストッ、という音が連続したからだ。

 ハニカム構造の壁面が展開し、担架を乗せたロボットがたくさん入ってきた。

 それは、人間の腰の高さに担架を掲げた小人のように見える。それらロボットは、細くも頑強な腕を伸縮させ、亡くなった生徒たちの遺体を担ぎ上げていった。


 やがてロボットの一体が、ポールの回収作業に入った。

 血だまりの中で、呆然と佇む僕やフィンの前で、かつて親友だった遺体が運び出されていく。

 

 フィンの無力感が伝染したのか、僕はただ茫然と、その過程を見守ることしかできなかった。

 ポールの身体が、このフロアの外へ通ずる廊下に搬出される。もう二度と――生きていようと死んでいようと――ポールに出会うことはない。


 僕が無力感で発狂しそうになった、その時だった。

 ドォン、と凄まじい轟音がした。壁がフロアの外側から、凄まじい力でぶち破られたのだ。


「きゃっ! な、何……?」


 横たわっていたレーナが気を取り戻し、僕の下へ駆け寄ってきた。

 ポールを運んでいたロボットが急停止する。その前方には、真っ暗な空間が広がっており――いや、真っ暗ではない。緑色に輝く、一組のライトがある。

 正確には目、というより赤外線センサーだ。

 

 一瞬目が点滅し、平常光学モード、すなわち青色に切り替わった。

 突然、硬質なフロアの隔壁を破った何者かの目。だが、僕に恐怖や不安はなかった。

 暗闇に向かって呼びかける。


「トニー? 君はトニーか?」


 すると、その青い目の巨人――ざっと二メートルほど――は、こちらに目を向けた。


「アレックス様ですね? わたくしはトニー、ポール様の生命の危機を感知致しましたので、参上致しました」


 その声は、ロボットとは思えないほど人間味に溢れていた。さっきの人工音声より、よっぽど温もりがある。

 

 フロアに踏み込んだトニーは、目の大きさを調整して、ポールの亡骸を見下ろした。

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