モーゼス・メンデルスゾーンとの出会い

 俺は、カントの紹介により、ユダヤ人の啓蒙思想家であるモーゼス・メンデルスゾーンと会うこととなった。


 メンデルスゾーンは、貧しいソーフェル(聖書筆写師)の子としてドイツのデッサウに生まれる。父は名をメンデル・ハイマン (Mendel Heymann) といい、「デッサウのメンデル」という意味でメンデル・デッサウと呼ばれていた。モーゼスもモーゼス・メンデル・デッサウなどと呼ばれていたが、後に「メンデルの息子」という意味でドイツ語風にメンデルスゾーン姓を名乗る。

 メンデルスゾーンは、ユダヤ人の貧困階層のため就学できなかった。そのため、父親とラビのダーフィト・フレンケルから聖書やマイモニデスの哲学、タルムードなどのユダヤ的な教育を施される。

 フレンケルがベルリンへ移住したため、後を追って同地へ移り住むこととなった。メンデルスゾーンはベルリンで貧困と戦いながら、ほぼ独学で哲学等を修得する。その他、ラテン語、英語、フランス語なども修めた。

 また、メンデルスゾーンはジョン・ロック、ヴォルフ、ライプニッツ、スピノザなどの哲学に親しみ、これらの教養が彼の哲学の下地となる。

 21歳の時、裕福なユダヤ商人イサーク・ベルンハルトから子どもたちの家庭教師を依頼された。家庭教師を4年務めた後、ベルンハルトの絹織物工場の簿記係となる。後に、社員、そして共同経営者となった。

 1754年にメンデルスゾーンは、ドイツの劇作家レッシングを知る。レッシングの数々の劇作において、ユダヤ人は非常に高貴な人物として描かれていた。なお、レッシングの代表作「賢者ナータン」のモデルはメンデルスゾーンである。

 レッシングの劇作は、メンデルスゾーンに深い感動を与えるとともに、メンデルスゾーンを啓蒙思想へと導く。そして、信仰の自由を確信せしめた。

 その後、処女作としてレッシングを賞賛する著作を書くこととなる。また、レッシングもメンデルスゾーンに対する哲学の著作を書き、互いに親交を深めたのであった。

 同時期に、メンデルスゾーンはカントとも文通で交流を深めている。


 その後、メンデルスゾーンの名声は高まり、1763年にはベルリン・アカデミー懸賞論文で、数学の証明と形而上学に関する論文でカントに競り勝つ。後にカント哲学を論難する人物とみなされるに至った。

 晩年には主として神の存在の証明に関する研究に没頭し、『暁 − 神の現存についての講義』を著すこととなる。また、生涯を通じての親友レッシングを巡ってヤコービらと汎神論論争を起こしていた。


 メンデルスゾーンは、当時キリスト教徒から蔑視されていたユダヤ教徒にも人間の権利として市民権が与えられるべきことを訴えるとともに、自由思想や科学的知識を普及させ、人間としての尊厳を持って生きることが必要であると説いている。

 そうした目的を成し遂げるためには、信仰の自由を保証することが必要であるとした。



 俺はポツダムの宮殿にて、メンデルスゾーンを迎え入れる。プロイセンの宮廷には他の神聖ローマ帝国諸邦の様に、宮廷商人や宮廷ユダヤ人がいるので、ユダヤ人が訪れること自体は不思議では無かった。プロイセンではブランデンブルク選帝侯領の頃から、貨幣鋳造のための銀調達や鋳造の監督をユダヤ人に任せたりしているしな。

 ただ、家臣たちが心配しているのは、年若い王子がユダヤ人に唆されないかどうかであろう。


 メンデルスゾーンは啓蒙思想家であるとともに、織物工場の経営者である。絹織物などのビロード工場を経営していた。

 プロイセンは重商主義を採用し、特に絹織物工場に力を入れている。そのため、絹織物産業への進出の敷居が低く、宗教も問われなかったため、多くのユダヤ人たちが絹織工場を経営していたのである。


 メンデルスゾーンの話を聞いてみると、始めは無難な話や市中のこと、絹織物産業についての話をしてくれた。王族に下手なことを聞かせられないと警戒しているのだろう。

 俺はメンデルスゾーンを何度か呼び、話を聞くことで親しくなっていく。次第に、ユダヤ人も政治的に解放されるべきだとか、信教の自由についてなどを匂わせる様な言葉も出て来ている。メンデルスゾーンは、ユダヤ人がキリスト教社会に受け入れられるためにも、キリスト教社会へ同化すべきだと考えている様だ。


「プロイセン的なユダヤ人である」


 俺は信教の自由や同化すべきだと言うメンデルスゾーンがプロイセン的だと評価する。すると、メンデルスゾーンは嬉しそうに微笑んでいた。


 俺はメンデルスゾーンの思想こそ、プロイセン国家にあるべきユダヤ人だと思い、彼のことを気に入った。それからも、何度かメンデルスゾーンを呼び出して話を聞くようになる。

 メンデルスゾーンには2人子息がおり、メンデルスゾーン一族はプロイセンにおいて銀行家として成功を収めることとなる。メンデルスゾーン一族はユダヤ教を棄て、キリスト教に改宗し、ドイツ人社会に同化していった。


 メンデルスゾーンの息子たちは、プロイセンの勅許会社に関わらせるのも良いかもしれないな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る