自己管理出来ないおじさんをスカウト

 幼子の俺でも、アメリカ独立戦争に介入出来ることはある。

 俺が目を付けたのは、アメリカ独立戦争の功労者であるシュトイベン男爵だ。シュトイベン男爵は1775年だと、まだアメリカには行っていない。それどころか、職を失って求職中である。


 シュトイベン男爵は、1730年にプロイセンのマクデブルクで、技師中尉ヴィルヘルム・アウグスティン・シュトイベンの息子とし誕生した。

 シュトイベン男爵は、プロイセン王兼ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の御代に、父親に従ってロシアで過ごしている。俺の曽祖父は、シュトイベンの父親に、当時のロシア皇帝アンナ1世に仕えるよう命令したからだ。

 1740年、フリードリヒ大王がプロイセン王に即位した後に、シュトイベンの一家はプロイセンに帰国する。

 シュトイベン男爵は、ブレスラウのイエズス会で教育を受け、17歳の時にプロイセン陸軍に士官として入隊した。七年戦争の際には、歩兵隊の参謀将校の一員として従軍している。

 その後、参謀本部の一員として一時的にロシアで働いたりしていたそうだ。シュトイベンの勤務態度は賞賛に値するものであったため、最終的にはフリードリヒ2世の参謀職を割り当てられている。

 シュトイベン男爵は、プロイセン陸軍での参謀本部要員としての経験によって、豊かな知識を身に着けた。その経験を元に、シュトイベンはアメリカ独立戦争において、大陸軍の兵士を訓練し、軍隊に必要とされる技術的な知識にもたらしたのだ。

 シュトイベン男爵がアメリカに赴かなければ、どうなるか何となく分かるだろう?

 

 フリードリヒ大王の下で順風満帆に出世していたシュトイベン男爵だが、1763年の33歳の時に、ほんの思いつきで陸軍大尉のまま除隊している。

 翌年、ホーエンツォレルン=ヘヒンゲンゲン家に執事として仕えている。その際に男爵号を贈られたそうだ。

 ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家は、プロイセン王家となるホーエンツォレルン本家と遙か昔に分かたれた家である。

 ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家は、ホーエンツォレルン本家がニュルンベルク城伯を継承した際に、当主の弟がホーエンツォレルン城があるシュヴァーベンの本貫地を継承したのだ。今もなおシュヴァーベンの本貫地を統治し続けている。

 1771年にホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家の当主子息が、お忍びでフランス王国へ行く際に、シュトイベン男爵は廷臣として同行した。シュトイベン男爵な資金的に苦しんでいた様で、借金できることを期待していたらしいが、資金造りに失敗し、負債を抱えたまま職を失った様だ。

 


 俺は、侍従武官のブリュッヘル少佐を呼ぶことにした。僧侶の模擬処刑を起こす前に、俺の侍従武官になったので、少佐に昇進することが出来た様だ。


 ブリュッヘル少佐が現れるが、相変わらず厳つい極道顔である。初めて見た頃は恐かったものの、今ではすっかり見慣れたものだ。


 「欲しい。シュトイベン男爵」


 俺は、いつも通り横柄で簡素な言葉で、ブリュッヘル少佐に要求する。


 「シュトイベン男爵を側仕えになさりたいのですか?確かに、職を求めて各領邦に仕官を願い出ていると言う噂を耳にしますが」


 ブリュッヘル少佐もシュトイベン男爵のことは知っていた様で、彼が求職していることは知っていた様だ。


「シュトイベン男爵は、国王陛下(フリードリヒ大王)から評価され、厚遇されつつも除隊した人物です。陛下が軍への再復帰をお認めになられるかどうか分かりませぬぞ」


 ブリュッヘル少佐は、シュトイベン男爵が俺の侍従武官として召抱えられるのは難しいと思った様だ。ブリュッヘル少佐も歳上の同僚が出来て、自分の役職が奪われることを危惧しているのかもしれない。ブリュッヘル少佐も異動した当初は不満そうだったが、フリードリヒ大王と反りが合わないのを自覚しているのか、軍を離れるよりは良いと俺の侍従武官として大人しくしている。


「執事で良かろう」


 ブリュッヘル少佐の危惧を払拭するため、侍従武官としてでは無く、執事として勧誘する様に、簡素に伝える。シュトイベン男爵の前職は分家のホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家の執事であるし問題なかろう。執事であれば、父フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の権限でも採用出来ると思う。


「父君にご確認いたします」


 ブリュッヘル少佐は、父上に確認した上で勧誘をする様だ。父上に問われたら、俺からも頼むことにしよう。



 ブリュッヘル少佐にシュトイベン男爵の勧誘を要望して、暫く経った。俺の住まう宮殿にシュトイベン男爵が現れる。


「この度は、召抱えていただき、ありがとうございます」


 シュトイベン男爵は、俺に召抱えてくれたことの感謝を伝える。父上は、シュトイベン男爵の勧誘に応じてくれた。俺が説明しても伝わないことを分かっているので、召抱えたい旨を再確認されただけで、要望は通ったのだ。

 父上曰く、プロイセン軍を除隊したので、すぐに軍への復帰は難しいが、将来的に軍へ復帰させるつもりらしい。父上も優秀なシュトイベン男爵のことを気に掛けていた様だ。フリードリヒ大王の御代での復帰が難しければ、自身が王に即位した後に復帰させるつもりなのだろう。史実のブリュッヘルでも父上が軍に復帰させている。

 父フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は何故か評価が低いが、内政や外交の成果は高いのだ。軍事にも熱心で、シャルンホルストを高待遇で引き抜いている。父上にの評価が低いのは、好色で女癖が悪いため、評判が悪かったからだろう。


 こうして、シュトイベン男爵は、俺の執事として仕えることとなった。

 しかし、シュトイベン男爵は軍事には優れているが、自己管理能力に乏しいと言う致命的な欠点がある。

 思いつきでプロイセン軍を除隊したり、資金造りに失敗して負債を抱え、ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家の職を失ったことからも、自己管理能力に問題があると言える。特に金銭面に関してだ。

 シュトイベン男爵は史実において、アメリカ独立戦争後にアメリカ市民になった後も、金銭的に苦労することになる。シュトイベン男爵の商才は、それほど鋭くないのだ。

 アメリカ独立戦争後に金銭的に苦労した大きな理由として、アメリカ合衆国政府から年金が支給されていなかったことも大きかった様だが。

 1790年6月になって、やっと年金$2,500が認められたものの、シュトイベン男爵の財政的基盤は盤石のものではなかった。そのため、アレクサンダー・ハミルトンなどの友人達の強力で、ニューヨークにある約16,000 エーカーの土地に基づく貸付金を得たりしている。シュトイベン男爵は、1794年に独身のまま亡くなっており、妻がいなかったことも自己管理出来なかった要因の1つなのかもしれない。


 俺はブリュッヘル少佐を呼び、「妻を与えよ」と命じた。ブリュッヘル少佐は妻帯しているので、勿論シュトイベン男爵に縁談を用意せよと言う意味である。ブリュッヘル少佐は難し気な表情をしつつ、頷くのであった。

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