第二章 初恋

 僕の人生セカイには予定外な出来事が三つある。そのひとつは彼女ができたことだ。  

                  ※


 手のひらの感触が渇ききらずにまだ残っている頃、三崎飛鳥に放課後の学校屋上に呼び出され、僕は告白を受けた。


 「君はいつだって死にたい顔してる。」

 「恋人を殺すのが夢だったから、君の彼氏になりたい。」

 

 恋の動機はきっと人それぞれだ。僕は混じりっけのない告白に胸を打たれた。

 僕はずっと三崎飛鳥を見ていた。セカイが壊れるのが怖くて認めることができなかったけど、モブではないちゃんと顔のある三崎飛鳥をずっと見てきた。

 セカイをふたりだけのものにしよう。周りを陣取るモブ子モブ太郎にバズーカ砲をぶちかまして、その屍の山頂でコーラとコンビニチキンで乾杯しよう。

 もしこれが恋だとしたら、恋を以て死ぬのはやぶさかではない。どうせこのイカれてイカしたセカイ、僕と三崎飛鳥しか存在しないのだから、何をためらうことがあろうか。


 僕は三崎飛鳥の夢を叶えるために恋人になった。

 僕にしか叶えられない完璧な彼氏になるのだ。

 今すぐにこの場で恋人である僕を――例えば僕なりに想像するに、理科室に忘れられた液体窒素で僕をカチンコチンに冷え固め薔薇ともども金づちで粉々に砕いてしまうとか、重力の実験と体育実技を兼ねて一枚のティッシュと僕を同時にこの屋上からグランドに向かって落下競争させてみたりとかして――殺してみたいという三崎飛鳥の切なる願いで、僕たちは3日間限定の恋人になる事を決めた。始まるそばから終わりがカウントダウンされる時限的恋愛なんて流石は三崎飛鳥、麗しいのはその姿形だけじゃない。限りあるゆえ美しい素敵な関係を僕の為に一生懸命に考えてくれていたと思うと泣ける。これ恋じゃなく愛だろ。

 

 3日後のエンディングは彼女である三崎飛鳥に一任した。

 こうして僕と三崎飛鳥によるある種の共犯的恋人関係が始まった。


「どうせ君は死ぬんだから何だってできるよ。」


 僕の天使は太っちょでハゲたオジサンじゃなくて良かった。

 恋人シートであるアリーナど真ん中最前列から眺める三崎飛鳥が創造した三日月は格別に眩く、チケットを買えなかったプラネタリウムアーティストが武道館入口の階段下でむせび泣く声が玉葱にこだまするのは恐ろしいほど快感で僕を満たした。感動映えを共有する友人もSNSの相手も僕には存在しないけれど、そんな些細なことはどうでもいい。僕が羨ましいかい? 嫉妬で苦しいかい? 悔しくて眠れないのなら、その目をかっぽじってモブかモブじゃないかを選別してればいい。方法だって? 習うより慣れろだ。僕に訊くな。


「とりあえず何したい?」


 元来予習とアドリブが苦手な僕が選択肢をすぐに準備できるわけもなく、嫌な予感が募る。案の定、失言俺様野郎ことバトウスキーが暴発した。


「俺、飛鳥のパンツ拝みたいぜ」

 

 ――――げっ、何言ってんだあああああ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@あ@!!!!!

 ――――しかもバトウスキーお前、飛鳥なんて気安く呼び捨て何様のつもり。

 

 キング•オブ•ザトラブルメーカーとの徹底抗戦の構えをみせる僕をよそに、軽くうなづいた三崎飛鳥はためらいも恥じらいもなしに、短くしていた制服のスカートをコンクリート床に落とした。ブラウスの裾とルーズに床に寝そべるスカートの間に、カーテンでしか見たことがないような模様が宙に浮かんでいた。


「げっ。僕はそーいう事がしたいんじゃないって」


 それでも男か、根性ねーの。とりあえず拝んでおけよ。

 僕とは違ってバトウスキーには余裕があった。


「その気になったら言って。 」


 ――――その気って何だろ……。

 おい、分からないのなら、俺が教えてやるぞ、と当分理解できそうもない僕に非難を浴びせる奴。

 ――――消えろ!

 

 気づくと僕は三崎飛鳥の身体を力任せに抱きしめていた。

 肉の塊りから反発する弾力と、生まれたての仔馬がすぐそこにいるような生々しい匂いとが僕を熱く混乱させた。恥ずかしながら南半球の温暖化を叫ぶには手遅れだと分かったあとも僕は抱きしめ続けた。

 バトウスキーは消えたが、三崎飛鳥の体温だけは過熱しすぎた僕とは同期せず、冷めきったまま。僕は恋人としての無能ぶりを突きつけられた気がして、床に寝そべるスカートのグレーががったホックを相手にどれだけ泪が流れ落ちようとも瞼を見開き続けることにプライドらしきものをかけた。

 僕がこの僕以外の対象を想い、気に掛けるなんて。微塵も想像したことはなかった。

 もしこれが恋だとしたらこれが恋なのだろう。堂々巡りのようにそう思った。


                  ※


 僕のデートは誰もいなくなった教室や屋上で冷え切った氷のコートを身にまとう三崎飛鳥を力の限り抱きしめることだけに費やされた。理由は分からないけど、僕はそれが恋人の権利でもあり義務だとも感じたのだ。三崎飛鳥は僕のされるがままに従った。

 永遠と感じる3秒ほど短いものはない。悔しいけどバトウスキーの言う通り、あっという間に二日間が過ぎた。

                  ※

 

 三日目の恋人たちは朽ち果てる運命にあるから、僕の恋と僕は今日終わる。

 1限目がはじまる前の朝の喧騒はモブ達の得意とするところであり、今日も三崎飛鳥を取り囲む城壁をせっせとこしらえている。僕は構わず突破する。モブは一斉に散った。想定外の緊急事態に何もできず指をくわえているのがモブがモブたる由縁だよ。


「今日が最後の日。よろしくお願いします」


「なにそれフフッ。君らしくないな、しおれちゃって。」


 清々しく映る三崎飛鳥の顔は少しばかりか生への執着心が芽生えた僕をそっと恥じ入らせた。


「デートプランを書いたから読んでみて」僕は三崎飛鳥にノートを手渡した。


「分かった」とすぐに三崎飛鳥は読み始める。


 守りを固めたいモブが敵である僕と姫様との一連の不穏な動きを察して声をかけにくるが、姫様は見向きもせず奴等はすごすごと退散に追い込まれるんだ。

 そんな生き急ぐモブ達を見ていると、今すぐに恋人を抱きしめたくて、たくてたくてたくて…(以下無限ループの為、略)…たまらんッツ!


「いいんじゃない。 」と三崎飛鳥はノートを閉じた。

 クール過ぎる三崎飛鳥と僕との温度差は最後まで埋まらない。

 でも最後のデートは僕らしく。恋も僕も死んでいこう。高望みをせず身の丈にあったセカイで。


                 ※


 1限目の数学の板書が始まったばかりだというのに、放課後のことばかりで頭がいっぱいになる。我が人生に一点の曇りなし、とは言えないのが情けないけど、僕はまだ体の中に残る三崎飛鳥を想像する。


 喜べ、お前に最高のプレゼントだ、と教壇に立ったバトウスキーがニヤついた。

 ――――嫌な予感。


 我に返ると教室が騒然となっていた。

 三崎飛鳥がまるでこれが義経公直伝の空中殺法だと言わんばかりに黒のローファーを履いたまま勉強中の机の上を次から次へと飛び渡って教科書やノートをメチャクチャにまき散らし、とうとう僕の机までやって来た。


「死んで。」

 そう言って三崎飛鳥は僕をステージの上に引っ張り上げた。

 僕の頬を両手で挟むとそのまま唇を重ねてきた。

 僕と三崎飛鳥はキスをした。

 モブや権威ある上級モブが何やら騒いでるようだが、ヘッドホンで塞がれたように僕の耳には届かない。三崎飛鳥を超えた遠くの視野でノートや教科書が舞っていた。

 

 バトウスキーが拡声器を手にして叫ぶ。

 映画のエンディングは恋人のキスシーンしかないだろ、俺が演出してやった。

 観客はただそれを見守ることしかできないんだ。スクリーンは別世界であって、お前とは生きてるセカイが違うだろって見せつけてやるんだ。バカな観客達は自分が主人公にでもなった気分で決して安くない対価を払ったことさえ忘れ感動する。まったくもってバカだ、だたのバカ野郎だ。


 ――――消えろ、バトウスキー!


                 ※


 マスコミの玩具にされるのを恐れ、学校はクラスメイト全員に誓約書を突きつけ、緘口令を敷いた。十代の好奇心は大人が簡単に抑えつけられるものではなかったが、それでも三崎飛鳥が次の日から学校に来なくなったという事実は重く、うつろいやすい彼ら彼女らにはすぐ別のもので満たされ、いつしかあの事を口にする者は減った。

 天罰が下ったのか、僕には、それまでまるで見えなかったモブ太郎モブ子の顔が見えるようになった。ちょうど僕がちょっとしたヒーロー扱いを受けるようになった時分に重なる。高校受験の文字がちらつく頃には、僕にそのことをネタにしてくる者は誰もいなくなった。そして、まるで始めから三崎飛鳥が存在していなかったかのように、だれもかもが三崎飛鳥のことを忘れた。恋人の僕だけは、仮に時限的恋愛関係が終了していると三崎飛鳥から一方的に解除通告されたって忘れることはないと思っていたけど、友人と呼ばれる存在と戯れるうちに、あの大好きだったはずの三崎飛鳥の顔を全くといっていい程思い出せなくなって、遂には出来損ないのパン生地に上書きされてしまった。友人と呼ばれる奴が知ったふうによく言った、初恋なんてそんなもの、あってないものだと。お前は三崎飛鳥の何を知って、そんなふうに語るべき資格証を一体誰に発行してもらっているんだ、と強く反論したい気持ちもあるが、どうせ伝わないという絶望のドアに阻まれるのがみてとれるから、一度も反論を試みたことはない。



 続く


























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