第二十七話 シルフ視点 加筆修正あり

雲一つない晴天。穏やかな風吹き渡る緑豊かな大地。雷鳴轟き、豪雨が降りしきる。暴風が吹き荒れる荒廃した大地。相反する環境の中央に立つ、翠の神殿。明藍の元から戻ってきた僕は迷うことなくその中に足を踏み入れて石畳の見慣れた廊下を真っすぐに進み、奥を目指す。神殿の深奥にある白く大きな扉の前に立ち、手をかざすと扉が眩い光を纏い出したかと思えば扉の端の方から風の力の紋章が刻まれていく。そして最後、中央に僕達の司る力の紋章である風車が浮かび上がり、纏っていた眩い光を放ちながら扉がゆっくりと開いていく。

真っ白な壁。フロアに入ってすぐの床から一直線に伸びる翠の布の上を進んだ先には玉座があって。僕は迷いのない足取りで真っすぐ進み、誰もいない玉座のすぐ下に片膝をついて頭を下げた。


「ただいま戻りました」


「おかえりなさい、シルフ」


春風のように柔らかな声と共に空気が揺れる。音もなく玉座に人影が現れる。

一纏めにされている翠緑の美しい長髪、丸くて大きい深碧の瞳を持つ絶世の美女。僕達風の精霊達の王、アイオロス様。


「好きなようにさせてもらいました」


「ええ。ご苦労様」


「お待ちください。それで済ませてよいのですか?シルフは右翼でありながらあなた様の断りなく勝手に祝福を授けたのですよ?それも、神子に」


アイオロス様の側にいたもう一人が静かな口調の中に押し殺した怒気を込めながら僕の方を見る。肩につくくらいの長さの常磐色の髪、猫のように吊り上がった若葉色の瞳を持つ青年。僕と正反対の容姿の持ち主での彼の名前はジン。アイオロス様の左翼を担う、僕の半身のようなもの。

頭の固い彼だし、もとよりこの件には色々と思うところがあっただろうから、こういう反応が返ってくるのはわかっていた。特に表情を変えなかった僕の態度が癇に障ったジンは眉をぴくぴくと吊り上げた。


「シルフ、聴いているのですか」


「聴いているよー。固いなーって思いながら」


「何ですか、その言い方は!あなたは今回自分が仕出かしたことがどれだけ重大なことかわかっているのですか?」


「もちろん。僕達精霊が授ける祝福は授けられる相手によって意味が全然違う。

アイオロス様は幸福と繁栄。守護精霊は自らの力を分け与えて相手に取り込ませることで潜在的な力を引き出して能力を向上させる。そして僕達は授けた相手がアイオロス様の絶対的な味方であることを認める。

アイオロス様の祝福はすべての人間に平等に分け与えられるものだけど、守護精霊と僕達は違う。個人に向けられる分、結びつきはとても濃密なものになる。深く強く結ばれた絆は魂にまで影響を及ぼして、離れられなくなる」


「寿命以外で神子が死んでしまえばあなたも消滅してしまう。冷たい言い方になりますが、あなたは守護精霊に選ばれる精霊達とは違って替えがきかない。代理を立ててもあなたには及ばない。それほどの力を秘めているあなたが何故、ひとりの人間にそこまで肩入れするのです?現存する右翼と左翼の中で一番歴が長いあなたが、人間を知り尽くしているであろうあなたがそうまでして彼女を守る理由は何なのですか?」


心底わからないと言うようにジンが叫ぶ。理性を司る彼がここまで感情を露わにするのは珍しい。まあでもそれほど大事なことだからねと僕は内心独り言ちる。


僕達右翼と左翼はアイオロス様をお支えすると同時に見極める役目も担う。アイオロス様に近い人間が本当にアイオロス様に害を成さないか、役目を果たせるのかということを。だから僕達は神子が生まれると守護精霊になって側でその成長を見守る。そして周囲に害を及ぼさない程度に力を貸す。


ジンが言った通り、僕は王達に仕えている右翼と左翼の中では最年長。反対にジンは最年少。僕達右翼と左翼が代替わりするきっかけっていうのはたくさんあるけど、そのほとんどは人間が関係している。


・神子の力を奪って殺害し、精霊の世界を滅ぼそうとする。

・神子を唆して神子を精霊に造り替えて、精霊の世界を混沌に陥れようとする。

もう何百年…いや、何千年も前だね。思い出すのも憚られるくらい昔の出来事。この時の人間達は今よりもずっと好戦的で毎日世界中のどこかで戦争を繰り返していたからすごく殺気立っていた。そんな人間の気に強く影響を受けた精霊達が悪事を重ねた時代。あれは大変だったなぁ。僕達の世界がたくさん壊されて、たくさん死んじゃって――思い出すのも嫌になるくらいの記憶。

だからこういったことがもう二度と起きないように右翼と左翼が守護精霊になる際は力を制限されたり自死の呪いをかけられたりと何らかの措置を王様達がするようになった。そして人間達から受けた影響を王様達が浄化していき、平和を享受することでその有難みを実感し、尊むようになって僕達精霊の思考から“精霊の世界を破壊する”という意思は消えた。


こうして僕達精霊の世界に平和は訪れたけど、人間達の世界は違う。人間達は平和と争いを繰り返し続けた。それでも王様達は人間を見捨てることなく、力を貸し続けた。だけどそんな王達の想いを裏切るように現れたのが“反逆者”と呼ばれる神子達。

“反逆者”が反旗を翻す際に守護精霊との繋がりを利用して守護精霊の力を全部奪いつくして死に至らしめる事も少なくなかった。だから王様達は策を講じた。

世界の均衡を保つ者か、崩す者かを判断する――“狭間の世界”という王様達が創り出した空間に招き入れて、神子を審判に掛ける。でも審判っていっても別に僕達精霊が直接手を下して何かをしたりするわけじゃない。神子達に自分の本当の気持ちを自覚させて行動を決めさせる。彼らの守護精霊である右翼か左翼を見届け人にして。人間達に過干渉をしない、王様達の最後の慈悲。


気持ちによってはたくさんの道があるはずなのに、ここに呼ばれた者達が選ぶ道はいつだって二択だった。

“反逆者”に堕ちるか、自死か。


自死を選ぶと狭間の世界から現実世界へ帰った後、傍らに王様の力の籠った武具がある。そうして自決を選び、武具に付着した神子の血液から神子に授けた力を回収する。そして事切れる前に王様達が守護精霊の契約を断ち切る。自死を選ばなかった場合は?って思うかもしれないけど、選ばないことはないんだ。“狭間の世界”は王様達が創り出した特別な空間。理から外れ、人間の力では到底及ばない原理が働いているこの空間で起きたことは絶対的に従わなくちゃいけない。たとえどんな力を持っていたとしても、王様達の力をその身に宿している限り、一度下した決断を変えたりやり直したりはできない。絶対に逃れられない運命。


もう一つの“反逆者”に堕ちると確定した際は王様の力で守護精霊の契約を無理やり断ち切ることは一緒だけど、その時に“反逆者”が自分の力を制御出来るかできないかがすごく重要になってくる。

契約を無理やり断ち切った瞬間、神子の力が人間の世界に影響を与えないように調整して制御していた守護精霊の力がなくなって急激に力が溢れ出してくる。その時にきちんと力の制御のやり方を身に着けている人間は溢れ出た力を自分のものにできるけど、制御できない人間は力に呑まれてその形を変える。過ぎた力は身を亡ぼす。正にこれだよね。

力に呑まれた人間は“反逆者”に堕ちるきっかけになった気持ちを増幅させてその気持ちを満たすために行動する。大体が世界を壊したい、とか破壊衝動だね。その強まった気持ちのまま、その目的の遂行のためだけに動く。そうなったらもう、人間の形をした只の化け物だよね。こうなってしまったら僕達にできることはないから、成り行きを見守るだけ。国が滅んで、世界が終わりそうになっても僕達は見守るだけ。

王様達の慈悲をわかろうともせず、精霊に見捨てられる。そして自分達の世界を壊す。一体、何がしたいのだろうっていつも思っていた。だから人間って本当に――って吐き捨てるだけだったのに。


“反逆者”に堕ちた神子見捨てられず、悪事に加担する。

こんなことが起きるようになった。感受性の高い――つまり、僕みたいに右翼を担う守護精霊がこうなるパターンが多い。でもこんなことになったらせっかく王様達がしてきた努力が無駄になっちゃう。またいずれ、“精霊の世界を破壊する”精霊が出てきてしまう可能性がある。だから王様が契約を切ることを拒んだ守護精霊は精霊という理から外され、“只の大きな力”になる。意思の疎通も取れない、“反逆者”に吸収されるだけの力の塊。それでも彼らはその道を選んだ。精霊の世界から見放されても、“反逆者”に堕ちた自分の元相棒っていうのかな、そんな人間を見捨てられない。ここ数百年で一番多い、代替わりの理由。


こうした同僚のことを聴く度、僕は馬鹿だなってずっと思っていた。

君が心を砕いても人間には伝わらない。そんなになってまで、どうして人間を想う?

人間は同じ歴史を何度も、何度も繰り返してきた。戦いたくない、平和がほしいと言いながら武器を置くこともなく、考えを変えるまでもなく戦って淘汰して淘汰されて――破壊と再生を繰り返す。そうして何度も文明を再構築して、それでも学ばない。愚かで弱くて脆い、人間達。


《人はとても脆い生き物だわ。脆くて弱くて、困難にぶつかって立ち止まって動けなくなってしまうことも少なくない。でもそうした困難を乗り越える力を秘めているのもまた、人なのよ》


だから、人間を想っているアイオロス様の言葉にいつも頷くことができなかった。

あなた達が期待を寄せる神子ですら、容易く堕ちる。彼らの存在が世界に多大な影響を与えたことは一度や二度ではない。害されたから、相手を害してもいいなど単純で愚かな思考回路ばかりして楽な方に逃げる。その思考になった時点で自分も自分を害した相手と同じだということに何故、気づかない。人に傷つけられたと声高に叫ぶばかりで打開しようともせず、自分で自分を終わらせる覚悟もない、惰弱で脆弱な生き物。それが人間。


それでも使命だから、力を貸さなければいけない。どれだけ彼らに思うことがあっても僕はアイオロス様の右腕だから。人間達を見極め続けないといけない。

やりたいことをやる、やりたくないことはやらないって常日頃から口にして実践してきているけど、それはあくまで使命の範囲内。使命から外れることは絶対にしない。だから神子の決断にも口は出さないし、必要以上に力を貸すことはなかった。


使命だから君達の側にいてやっているだけ。僕が君達に心を許すことはない。僕と君達の関係は使うものと使われるものだけど、君の判断が僕の使命に則らないと感じたら力を貸さない。僕は消滅していった同胞達とは違う。僕は君達の絶対的な味方にはならない。昔も、今も、これからも。――変わらない、はずだったのになぁ。


『シルフ!』


柔らかな明藍の声が、笑顔が脳裏を過る。君が僕を変えたんだ。

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