風野明藍

「化け物!化け物――!!」


心の底から迸った絶叫を聴き、我に返った私が見たのは恐怖で顔を引きつらせ、怪我をした腕を押さえながら泣きじゃくる女の子。今叫んだのは彼女か、それとも他の子達か。それを考えるよりも先に私は私のしたことを思い返して――その場から踵を返した。


「わぁぁぁん!!お母様―!!」


「たすけて、たすけてー!!」


堰を切ったように溢れ出した悲痛な声を背に私は走った。

どうして、こんなことになったんだろう。未熟だから?人とは違う力を持っているから?私はただ、他の皆と同じように遊んだりお話したりしたいだけなのに、仲良くしたかっただけなのに。


「お待ちください!お嬢様!」


「旦那様達に報せろ、急げ!!」


嫌われているから、何をしてもいいはずない。相手が傷つけるから私も傷つけるなんてしたくない。私が嫌だと思うのと同じように相手だって嫌なことをされたり傷つけられたりすることは嫌なはずだ。だから、絶対にしたくない。

だから、もっと私のことをちゃんと知ってほしくて話をしようとした。いつも皆、私が他の子ども達と違うからって私の話を聞いてくれないけど、話したらわかってもらえるかもしれない。ううん。ちゃんと話せばわかってくれる。そう、思っていたのに。


「化け物が来た!逃げろー!」


違う、私は化け物じゃない。


「追いかけてくんな!さっさとあっちいけよ!」


どうして、仲間はずれにするの?


「明藍ちゃんと一緒にいたら、皆に酷いこと言われる。だから、もう話しかけてこないで」


どうして、一緒にいちゃいけないの?


「「僕達・私達と違う生き物だから」」


違う、違うよ。私は皆と一緒の人間だよ。精霊さんとお話しできるだけの、人間だよ。


「だけじゃないよ。ママも言ってた。精霊さんとお話しできる明藍ちゃん達は特別な存在だから、私達と違うんだって。だって私の周りに精霊とお話しできる子なんて、ひとりもいないもん。私達は同じじゃない。」


違うところがあったら人間じゃないの?でも私、精霊さん達の仲間じゃないよ?皆と同じ人間なのに、どうして――。

誰も私をわかってくれない、わかろうとしてくれない。それどころか、私が人と違うからと勝手に判断して線引きして、平気で私を傷つけてくる。もう、どうしたらいいのかわからない。

とにかくあの場所から離れたくて精霊の力を足に纏わせて走って、走って――気が付いた時には全然知らない場所だった。

荒廃した大地、広がる絶壁。周囲に森も建物も一切ないため人も全くない。生き物の気配さえ感じられないこの場所はまるで死後の世界のように何もなくて、恐怖で身を震わせたその時だった。


《あーあ、こんなところまで来ちゃったか》


「シルフ!ここがどこか、知っているの?」


《まあね。君みたいな人間に絶望した神子は大抵、ここに来るよ》


「絶望なんて、私は」


《君を拒絶する人間を君はまだ赦すの?お人よしというか夢見がちというか、君は本当に人間を理解していない。人間はね、自分に利のある人間は好きだけど害をもたらす人間はとことん嫌いだ。そしてその基準は個人で変わる。君のように君自身が何をしていなくても、僕達精霊を嫌いな人間は君を嫌いになる。僕も君も彼らに害をなしていなくても、彼らの考え――価値観が害を成すと判断したら、彼らにとって僕達は悪になる》


「どうして?」


《物事を価値観でしか決められない人間だからとしか言いようがないね。だから僕も君達以外の人間と関わろうなんて思わない。誰のおかげでこの地が守られているのかもわかっていない愚か者と関わるなんて馬鹿馬鹿しいし、嫌われている人間と仲良くするためにかける時間が勿体ない。特に僕達風の精霊は気まぐれで自由だから、嫌なことは嫌、楽しいことは楽しい。それだけでいい。君も、今が辛いなら生き方を変えていい。君は神子、僕達と近い存在なのだから》


衝撃的な言葉の連続で呼吸が止まりかける感覚をこの数分で何回覚えたか。その内何回かは心臓が止まったんじゃないかって思うくらいに胸が痛くて苦しくて息ができなくなった。夢じゃないかって何度も思った。でも、痛みがあるから夢じゃないってわかって、その度にまた衝撃を受けての繰り返し。


「私は人間じゃないの?」


《人間だよ。ただ僕達の世界の理からすれば君達神子は人間というよりは人間と精霊を繋ぎ、世界を守る者。君の父や兄はあくまで精霊と人間を繋ぐものだけど、君は更にその上――世界の均衡を守る者。役割が違う。だから君は彼ら以上に人間を守らなくちゃいけない。君を嫌う、人間達を。でもね、その場合君は人間を嫌ってはいけない。君が人間を嫌うと力が暴走して世界の均衡が崩れる。だから君は選ばなくちゃいけない。生き方を》


生き方?生き方って何?これからどうしていくかってこと?


《父・丈達のように本心を悟らせないように仮面を被る?それとも兄・丈成のように警戒心を緩めてから行動する?それともそれとも、僕達のように自分の気持ちに正直に自由に生きる。さあ、どうする?》


「そんなこと言われても…急には決められない」


《駄目だよ、明藍。君はここまで来てしまった。だから、今決めないといけない》


「どうして?ここは、どこなの?」


あの場所から離れたくて力の加減を考えなかったから領地の端っこみたいな自分の知らない場所まで来てしまったのだと思っていた。でも、そうじゃなかったってこと?でもシルフが領域を展開しているわけでもない、かといって私自身の力が暴走している感覚もない。――ここは、どこ?


《ここは“狭間の世界”。君が世界の均衡を保つ者か、崩す者かを判断する場所》


「言っている意味がよく、わからない」


《ごめんね。詳しくは言えない。今の僕が言えるのは君が今後、どうしていきたいか。その意見を聞いて君の意志を僕は尊重し、叶えるだけ。さあ、明藍。君はどうしていきたい?》


皆と仲良くなりたい。だって同じ人間だもの。仲良くなれるってずっと信じてきた。家族が愛情を注いでくれたから、その世界を知っているから、私は世の中には愛がたくさん溢れていて皆が仲良くなれるってずっと信じてきた。でも、そうじゃなかった。

皆が受け入れてくれるわけじゃない。受け入れてくれているって思っていた人も、離れていく。怖い、怖い。これからも人に裏切られ続けていく。信じていた世界が崩されていく。これから、そんなことが起きる度にこんな辛くて苦しくて悲しい思いをしたら、私は――。

過った未来を想像した自分が恐ろしくておぞましくて、両目を見開いて両手で口を覆った。そうしないと自分の想像が現実になるために体の中から出てきそうだった。


《君はどうしたい?》


「仲良くなりたい。でもどうしたらいいか、わからない。お兄ちゃんが冷たくなった。お母さん達を頼っても事態は私が願った方に行ってくれない。でも、誰も傷つけたくない。誰かを傷つけるくらいなら、いっそ――」


心の奥の扉の鍵が回された感覚だった。閉じ込めていたというよりは見てはいけない、開けてはいけなかったものに手を伸ばそうとして止めて、でも結局手を伸ばして鍵の開いた扉を開けた。その瞬間に流れ込んできた答えを、私は拒もうとは思わなかった。


「ああ、そっか。こんなにも簡単だったんだ。嫌なら、どうしたらいいかわからないなら、逃げてしまえばいい。私は、逃げてしまえばいいんだ。誰も私を傷つけない場所。私が誰も傷つけない場所。何も考えずに済む場所」


《それはどこ?》


「この世界の誰も、いない場所」


辛くて苦しくて悲しい思いをし続けたら、人間を嫌いになってしまう。私は世界を憎んでしまう。世界を呪ってしまう。世界を――壊してしまう。それは家族を嫌いになること。仲良くなれると信じ、自分が信じてきたものを自分で捨てて、壊してしまうということ。駄目だ、そんなの駄目だ。誰かを傷つけるくらいなら、こんなことを想っている自分を消してしまう方がいい。私が、消えてしまった方がいい。誰かを傷つける前に、ここからいなくなりたい――!!!


《そう。わかった》


竜巻のような大きな風が私を呑み込むように吹き荒れ、あまりの暴風に目を閉じて開いた時には風野家の自宅近くの丘に座り込んでいて、空は夕焼けも色濃くなってもうすぐ日が落ちそうになっていた。そして私の側には黄緑色がかった刃に柄の短剣。全身がクリスタルのように透き通ったそれはこの世のものではない美しさと怪しさが滲み出ていて、震える手を動かした。


「明藍!!」


「!お兄ちゃん」


「お前、今までどこに行っていたんだよ!皆、心配していたんだぞ?!」


伸ばした手をそのままに振り返るとお兄ちゃんが息を荒げながら立っていた。制服のままだから、多分家族の誰かから連絡を受けて探していてくれたのだと思う。こんな時だと言うのに嬉しかった。でもこの後を思うとすごく、すごく申し訳なかった。


「ともかく、すぐに帰るぞ。理由は家に帰ってからゆっくり」


「帰らない」


「え?」


「私、もうお家に帰らない」


「な、何言ってんだよ。何で急にそんな」


困惑の色を顔中に浮かべているお兄ちゃん。私は顔を前に戻して短剣を手に取り、ゆっくり立ち上がって振り返る。お兄ちゃんは私の手に短剣が握られていることに気づいたみたいで大きく目を見開いて信じられないと言わんばかりに私を見ていた。


「明藍、それ、どうしたんだよ、一体、何を」


「お兄ちゃん、ごめんね。私、知らない内にたくさん迷惑をかけたんだよね。夢見がちで現実を見ていないってよく言われていたけど、でも意味がわかっていなくて、恥ずかしいよね、ずっと自分の気持ちばっかりで。だから、お兄ちゃんは私が嫌になって離れていっちゃったんだよね」


「明藍?」


「本当にごめんね、お兄ちゃん。こんな駄目な妹で、本当に、ごめんね」


「明藍、落ち着くんだ。全部、帰ってからゆっくり話そう。だから、今はそれをこっちに」


「お父さんとお母さんにも伝えて。迷惑をかけてごめんなさい。育ててくれてありがとうって」


「待て、待ってくれ、明藍…なんで、そんな」


「皆のこと、ずっと、ずっと大好きだから。だから――」


涙が次から次へと流れて頬を伝っていく。嗚咽で邪魔されそうになりながらも、今の自分にできる精一杯の謝罪と感謝を伝えて、下がろうとする頬に力をいれて、無理やりにでも笑みを作った。そしてさっきの暴走でいくつかに罅は入ってしまっているけど、未だに制御装置の役割を果たしているブレスレット目掛けて自分の持てるすべての力を流し込み、破壊した。


「だから、さようなら」


「明藍!!!!」


お兄ちゃんの絶叫が響くと同時に破壊したブレスレットから風の力が一気に溢れ出して集約し、凄まじい竜巻となって私とお兄ちゃんの間を隔てる。竜巻越しにお兄ちゃんの声が途切れ途切れに聴こえてくるけど、何を言ってくれているかは全く聞こえない。でも聴こえなくてよかった。お兄ちゃんの叫びを全部受け止めたら、もしかしたら、選んだ答えが変わったかもしれない。でも、ごめんね、おにいちゃん。私、変わってほしくないの。

自分が傷つくより誰かを傷つける方が嫌だから。誰にも傷ついてほしくないから。だから、ごめんなさい。身勝手な私を、赦さないで。でも、人間は嫌わないで。私はもう見つけられないけど、この世界にはたくさんいいものがあるはずだから。だから、だから――。

色が白くなるくらいまで力を込めて短剣を握っている右手に視線を向け、震える左手を動かして短剣を両手で包み込むように握る。逆さまに持ちながらゆっくりと持ち上げる。夕日が沈む瞬間が視界に映る。鮮やかな橙色、美しい群青色。そう、世界はとっても美しい。私は最期まで信じている。


「どうか、しあわせに。みんな、だいすき」


そのまま勢いよく胸元の心臓めがけて振り下ろした。胸がとんでもなく痛んで呼吸ができなくなり、左の胸元から血が零れだして短剣の柄を紅く染めていく。全身の力が抜け、ゆっくりと自分の身体が倒れ込んでいく。


ああ、よかった。これでもう、だれも、きずつけ、ない。


霞む視界の中、膜を挟んでお兄ちゃんの悲痛な絶叫が聴こえたのを最後に私の意識は闇に堕ちていった。


神子・風野明藍。死去。享年、5歳。人を愛し、傷つき傷つけることを嫌った少女は最期まで人を愛したまま、死んでいった。

彼女の死後、遺された家族は自分達の無力を悔やみ、深い絶望を抱く。そして神子を無為に死なせた罪として皇帝陛下に自らを罰するよう強く求め、皇帝は彼らの想いを汲んで苦渋の決断を下した。風野丈達は地位を返上し、妻子と共に領地に隠居。しかしその数年後、火野家の神子が反逆者となり、世界は戦禍に包まれる。風野明藍は自ら死を選ぶことで自らが直接世界に手を下す形は避けたが、自らの死が人間に絶望する神子を生むことになるとは予想できていなかった。火野家の神子の反逆は国に大きな爪痕を残し、この事件を機に国は弱体化。その後は蜂起した者達によって国は崩壊の一途を辿り、各地で戦火が頻発する戦乱の時代へと突入。そして、すべては『天下再生』に繋がっていく。

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