第二十話

私の内心を読み取ったシルフは笑顔を浮かべながらうんうんと頷いていたが、彼女の人となりを少しでも知っている者としては彼女の態度を単純な肯定と受け取れず眉を顰めてしまう。だけど、それでもシルフは笑顔を崩さない。


《素晴らしいね。君は本当に面白い。君の心意気や意志はじゅうぶん伝わった。じゃあ質問を変えるね。今までの、そしてこれからの努力がすべて報われると思っているの?》


『おもっているよ。だって、まえのわたしといまのわたしはちがうから』


前世の私は努力し続けることは得意だったけれど、勉強面でのエンジンがかかったのは大学生になってからだった。もちろん、大学生の時に努力したからいい成績を残して卒業できたし就職だってできた。でも、就職した会社を退職するように追い込まれて、今後を考えた時、未来への展望が何も浮かばなかった。

大学で得た専門性の高い知識を活かせる場所に進むためには英語や資格など足りないものがいっぱいあって、それらを補うには時間も金銭も足りなかった。かといって今の職の知識を活かせるよう、同じ系統の別の会社に転職する気もなかった。1年2年は続けられても、その後の未来を想像できなかったから。要するにたくさんの未来を選ぶために活かせる知識が、経験が圧倒的に不足しているとこの時にやっと気づいたのだ。その時に自分の好きなことだけじゃなく、もっと幅広い努力しておけば…。できないことをできないと諦めて投げ出さなければ…。もっと早い時期に努力していればもっと前に別の道があったかもしれない。尽きない後悔をたくさんした。

退職後の数か月を想像できてもその後の数年――況してや数十年後なんて全然見えなかったから余計に、過去に縋ってしまった。でもこの後悔があったからこそ、今世では変わろうと思った。もっと努力して早い段階から未来を変えなければって。だって前世とは違って今世で努力が足りなかった場合、招くのは大切な人達を失くす未来だ。

想像するだけで怖くて、辛くて体が震えてくるその未来を変えるために早い段階で努力をしておけばその未来は回避できる。そう信じているからこそ、私はうまくいかなくてもままならなくても、努力する。前世と同じ轍を踏まないため、大切な人達の未来を守るために。


《前世での後悔と焦燥を教訓にして努力し続けるから前世では叶えられなかったことが叶う。積み重ねた努力の分だけ成長できて未来への選択肢が広がるってことだね。でもね、明藍。どんなに可能性を信じていても、一個人が持っているキャパシティは決まっている。同じ努力をしていてもできることに差が出るのは予め決まっている容量が、思考の引き出しの数が違うから。それをわかっていない人間達は他者よりできる者達には特別な才能があると思い込み、神童、才女と呼んで祭り上げる。そして自分達の基準で祭り上げた者達が多ければ多いほど期待する。人類の進歩が進んだ。これで今よりも先へ行けるって。…勘違いも甚だしい》


シルフの雰囲気が変わった。ふわふわとつかみどころのなかった柔らかな風のような奔放さではなく、冬を切り裂く一陣の風のように鋭く冷たいものに。ぶるりと体を震わせた私を底冷えするような暗い瞳が貫く。


《一個人の持つキャパシティこそが才能。生まれた瞬間から天才か秀才か、そして凡才かはもう決まっている。幼い頃に才能を開花した人間が遅咲きの人間に追い抜かれてしまうのは開花の時期が違うから。才能は目に見えず、いつ、目の前にわかりやすい形で現れるかはわからない。わかる?重要なのは自分が秘めている可能性じゃない。すでに決まっているキャパシティの発現が遅いか早いかも関係ない。自分の果てを知っているかどうかなんだ。

君は自分がどっちだと思う?僕の言った果てが既に訪れているのか、それともまだ伸び代があるのか。君はどこまで自分を理解しているの?》


「わたし、は…」


《そこまで考えてなかった?それとも考えないようにしていたことを突きつけられて答えが出ない?でもね、君の見たい未来のために努力するなら現状を知ることは必要だ。そして現状を知って一瞬先の未来を変えるためにどうしていくかを思考するだけでも足りない。君自身がどうあるべきかを考えないと、気持ちと経験が伴わないまま闇雲に頑張って頑張り続けて――叶わなかった時に君はどうなる?どうする?

未来を想うというのはそういうことだよ。相手だけじゃない、自分の未来をイメージしていないとできることが増えても選べる道は他者が優先される道に限られる。君自身を優先しないといけない道が必要になっても選べない。本当の意味で相手を思い遣れない者の行動は思い遣りじゃない、偽善だ》


「……」


あまりの衝撃に一瞬、呼吸が止まった。浅くなっていく呼吸を落ち着かせようと胸に手を当て、ゆっくり呼吸をしながら咄嗟に何か言葉を発しようとしたけど、声にならず口からは呼気ばかりが漏れる。それならと言葉ではなく思考の方に行動を切り替えようとするけど衝撃が大きすぎて思考がまとまらず、鼓動ばかりが速くなる。そうして鼓動の音がはっきりと聞こえ出すにつれ、周囲の音が遠ざかっていくような感覚を覚えて私は気持ちを立て直すように大きく首を横に振った。

受けた衝撃の大きさに心を乱され、咄嗟に感じた怖い、辛い、見たくないと目を背けたくなる気持ちに従っちゃいけない。この場から、逃げちゃいけない。

そうして自分の気持ちを奮い立たせて何かしらの行動を取ろうとするけど、感情と身体の乖離が激しくて自分の身体なのに何も言うことをきいてくれない。葛藤と混乱の只中で身動きが取れない私の名前をシルフが呼んだ。


《未来のための君の努力を否定するつもりはない。でも今の君が努力し続けた結果が君の望む、“大切な人達の笑顔が溢れている未来”になるには未来までの道中の選択が似すぎてしまう。他者のものは他者のもの、君のものは君のもの。それなのに、君が分岐点で選ぶ答えはいつだって自分ではない誰かを優先すること。そのために必要になる君の才能よりも他者の才能の方が大きかったら?必要な分を満たせなかったら、君の望む未来は永遠に手に入らない。君の望む未来に繋がる道がどれだけ危険を孕んでいるか、わかってくれたかな?》


「…でも、がんばったら」


《まだ逃げるの?そんなに、自分の未来を想像するのは怖い?》


「わたし、は…」


《前世でどんなに努力をしても君にはない才能を持つ同年代や後輩を超えられなかったのは、先の未来を描けなかったのは自分の努力が足りなかったから。でも今生は違う。自分にはまだ秘められている可能性はたくさんある。だから、今から努力を重ねればできることはたくさん増えて、それらは全部大切な人達を救う未来に繋がる。――これは君の夢であり願望であって、君自身の未来じゃない。君はちゃんと自分の未来を見ている?前世で縋った過去から脱却できている?君は――“今”を生きている?》


「――」


今なら努力すればなんでもできる。未来はまだ決まっていない。だから、そのためにできることを頑張ってきた。大切な家族、前世で自分が心を寄せていたけどこの世界ではまだ出逢えていない人達に生きていてほしいから。誰かのために、ずっと頑張ってきた、これからも頑張ろうとした。でも、シルフの言う通り彼らのいる未来を掴んだとしても私は自分がそこにいることを想像していなかった。おかしなことを言っていると思う。掴みたい未来を掴んだのならそこに私はいるはず。でも、私はその未来で自分が何をしているのかを想定も、想像もできていなかった。そこに、自分はいるはずなのに。

初めて自分が掴み取りたかった未来の像が揺らぎ、そう思った自分の気持ちが信じられなくて思わず片手を口に当てた。これからの惨劇や悲劇を食い止められるのは私だけなのに、大切な人達の生死がかっているのに、自分を想像できないだけでこんな――。


《だからこそ、だよ。事件が起こらないように立ち回ったり未然に防いだりするしかない姿しか浮かんでいないから、困難以外の日常を想像できていないから全部が詰まった未来を思い描ききることがでない。

今の君にもう一度問おうか。君の努力は報われる?君は何を目指す?君はどこを生きる?》


シルフの言葉は頭の中に入ってくるのに何も考えられない。思考できる余裕がない。答えが浮かばない。悩んでいる。困っている。そんな次元じゃない。捨てきれない未来を想えば否を選べるわけがないのに否しか浮かばないなんて、口が裂けても言えない。今の自分がどうこうすることができない。でもシルフに答えを渡さなくちゃいけない。だって彼女は私の守護精霊。私と共に生き、歩むもの。私が迷えば、私が揺らいだら――ゲーム通りになってしまう。それは、それだけは…でも、どうしたら――。


《残念。邪魔が入っちゃったね》


「明藍!!」


呆然と途方にくれるばかりだった私から視線を逸らさないままシルフが呟いたその時、お兄ちゃんが飛び込むように部屋に入ってきた。お兄ちゃんの登場で張り詰めていた部屋の空気が一気に緩み、それに比例するように全身を酷い倦怠感が包み込んだせいで身体が傾ぐ。


《またね。明藍。今度逢う時は必ず答えを聞かせてね》


安堵か防衛本能か。その両方か。

無邪気なシルフの声が頭の中に直接響くように木霊したのを最後に私の意識は闇に落ちていった。

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