第二話

あれから数日後。家族と触れ合いながらゲームの設定や事件を整理していた時だった。私は重大なことに気づいてしまった。

ゲームの知識を忘れないように細かな設定や事件を書き起こしたいのに、書き起こせない!これじゃあ、忘れていくだけだよ…。

そう、トリップもので定番の記憶維持の手段が私にはないことだった。赤ちゃんの手では当然ペンも握れないし、言葉も話せないから録音もできない。対策を考えても覚え続けられず、忘れていく。

な、なんてこと…転生トリッパーの意味がないよ…。

トリップのきっかけになった姉妹、その姉妹に影響を受けた皆、そして私の家族達。救いたいのに、救えないかもしれない。

悲しい、悔しい。辛い、怖い。

情緒不安定な赤ちゃんの体に私の気持ちは大きすぎたみたいで今まで以上に大きな声で私の口から泣き声が漏れ出していく。えーん、えーんなんて可愛いものではなく、まさに怪獣が喚いているような大きな泣き声になってしまった。でも気持ちが収まってくれなくてなかなか落ち着けない。私の異変に気づいたお母さんが縫い物をしていた手を止め、すぐさま抱き上げて優しくあやしてくれる。


「どうしたの?よしよし、よしよし」


「泣き止まないな。それにどこか悲しそうだ。また夢見が悪かったのか?」


「そうじゃない気がする。何か別の理由があるような…」


「俺達、うるさくしすぎたか?」


「そうかも。ごめんな、明藍。父上にはもう少し大人しくするようちゃんと言っておくから」


「丈成。どうして俺だけのせいにする…」


「父上が大人気なくはしゃいでいたからです」


「大人気ないとはなんだ、大人気ないとは。せめて子どもっぽいと言いなさい」


「どうしてそっちはいいのですか…」


「2人とも、そこまでです。不安がっているこの子の側での小競り合いは不安を煽るだけです」


「す、すまない」


「ごめんなさい、母上」


お父さんとお兄ちゃんの漫才のようなやりとりをいつもなら見守っているお母さんだけれど、今日は私の様子が様子だけに少し厳しい口調で2人を窘め、お父さん達は素直に謝った。

その後はあの手この手で私を落ち着かせようと、お父さんは慰め、お兄ちゃんは励ましてくれるけれど、感情の制御が利かない私にそれを受け入れられる余裕がなかった。お母さんの腕の中で泣き喚く私にお父さん達はわたわたと慌てているのがなんとなくわかったけれど、自分ではどうすることもできず。結局、疲れ果てて眠るまで私は泣き喚き続けたのだった。


お尻辺りの不快感で目が覚めた。羞恥心は消えないが、慣れつつあったこの感覚も情緒不安定な今では煩わしくてしょうがない。自分では何もできない、迷惑しかかけられない状態を否が応でも突きつけられる。

それでも、なんとかなる。私にはこのゲームの記憶がある。これさえあれば先を予見して救えなかった人を救える。そう、思っていたのに――。

どうして、今なのだろう。もう少し大きかったらメモを書いて忘れないようにできる。もっともっと大きかったら最悪の事態になる前に動くことだってできる。

でも今の私じゃ、何もできない。最大の武器である記憶は宝の持ち腐れになるだけ。

不快感と悲しさや悔しさでまた気持ちがぐちゃぐちゃになって口から嗚咽が漏れ出ていく。でも今度は大きな泣き声に変わる前に優しい、慈しみに溢れた声が頭上から聞こえてきた。


「明藍。目が覚めたのね。どうしたの?夢の中でも嫌なことがあったのかな?」


大きな泣き声に変わる前に慈しみに溢れたお母さんの優しい声が頭上から聞こえてきた。お母さんは片手で私の頭を優しく撫でながらもう片方の手でお尻の辺りを触り、私の粗相に気づいてその後処理をしてくれる。新しいおしめに包まれてすっきりしても気持ちは晴れない。そしたらお母さんがそっと私を抱き上げ、両腕で包み込むように抱きしめながらゆっくりと揺らしてくれる。


「よしよし、よしよし。大丈夫よ、明藍。大丈夫」


ゆりかごのような揺れとお母さんの温もり、優しい声にほんの少しずつだけれど気持ちが落ち着いてくる。


「あなたが何に怖がって何を悲しんでいるのか、わからない自分がとても歯がゆくてもどかしい。不甲斐ない母でごめんね、明藍」


トントンとお腹の辺りを叩いて宥めようとするお母さんの手はとても優しいのに零した言葉はとても悲しみに溢れていた。

そんなことないよ、お母さん。お母さんが私のためにお仕事をセーブして私の傍にいてくれていること、時間を作って極力私の傍にいようとしてくれること、全部、全部知っているよ。だから、そんなに気に病まないで、お母さん。

こういうとき、言葉を話せない未発達な体がもどかしい。だから少しでもお母さんに気持ちが届くように声を出しながら両腕を伸ばし、笑顔を見せる。応えるようにお母さんが顔を近づけてくれたおかげで私の両手がお母さんの頬に触れる。なんとなくお母さんの輪郭や顔立ちがわかる距離で元気づけるようにお母さんの頬をペチペチと叩くとお母さんが小さく笑った。


「…ありがとう。明藍、あなたは本当に優しくて思いやりのある、とてもいい子よ。だからこそ、私は心配なの。優しいあなたが抱え込みすぎていつか、潰れてしまうのではないか。悪意に負けてしまうのではないかってすごく、心配なの」


お母さんの顔が悲しそうに歪められ、抱きしめてくれている腕にも少し力が込められる。

私の気持ちをわかってくれているお母さんを素直にすごいと思った。今の私の意思表示といえばわんわん泣くか聴力とぼやけた視界を使ってなんとなく状況を把握してほとんど動かない表情筋や手足を動かすことしかできないのに、それでもお母さんは私の気持ちをほとんど理解してくれている。


「だからね、あなたは無理しなくていいの。自分の気持ちに正直に生きていいの。辛くて苦しかったら私達を頼って。ひとりで抱え込まないで。私達の可愛い娘、丈成の可愛い妹。明藍、あなたが生まれてきてくれて本当に幸せよ」


何もなくてもいい。あなたがいるだけでいいの。

お母さんの想いのこもった言葉達に自然と嗚咽が漏れ出し、涙が零れた。役に立たない、意味がないと無力を嘆いていた気持ちが少しずつ晴れていく。単純かもしれない。でもね、しょうがないじゃない。無条件で存在を認め、受け入れてくれたのって家族や本当の友人以来だったから。

負の感情を吹き飛ばしてしまうくらい、強い幸福感に包まれた私は感情のまま暫く泣き続けた後、再び眠りに落ちていったのだった。

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