因果の魔女

御崎わか

惚れ薬

1-1

 とあるボロアパートの一室で一人の少年が本を読んでいる。だらしない姿勢で椅子に座る少年はとても退屈そうな表情をしていた。少年は本から視線を挙げて窓から外を見た。街を行き交う人々や、木々の葉が風に揺れる様子が目に入る。


「はぁ……」


 少年は読んでいた本を横のベッドに投げ捨てた。本はベットの上で少し跳ねて、その勢いのまま奥の床に落ちて視界から消えた。少年はもう一度溜息を吐く。拾いに行く気力はない。彼の使い魔である黒猫のネムは冷ややかに彼を見る。


「ウィル、一日中、君の溜息を聞かされる僕の身にもなってくれよ。だいたい君は何をしているんだ?今日は休日だってのに家でゴロゴロと……」


 ネムは棚から机へ飛び移りながら言った。使い魔は魔術師と契約した動物のことで、契約することで人の言葉を話せるようになる。


「もしかして友達いないのか?もう5月にもなるのに。学校が始まって1か月経ってる」


 自分の使い魔の言葉に胸が苦しくなる。


「別に、一人が好きなんだよ。気の合わないやつとは関わりたくないし」


 そう返したものの、更に自分が惨めに思えてつらくなった。


「あっそ」


 ネムはそれだけ言い放つと、床に飛び降りて向こうの部屋へ行ってしまった。


「はぁ……」


 ウィリアム・ベーカーは立ち上がって、床に落ちた教科書を拾いに行った。表紙に付いていた埃を手でパッと払う。少しページをめくれば幾つもの魔法陣の図が目に入る。魔法陣の説明文は無駄に難しい言葉を用いた長い文章で構成されている。僕はまともにこの説明を読んだことはなかった。


「あーいっそ悪魔でも召喚してみるかな……」


 僕は自嘲じちょう気味ぎみに言った。悪魔は人間とは別世界にいる存在で、人知を超えた特別な力を持っている。悪魔と契約した人間は秀でた才能を与えられたり、莫大な富を得たりすることができるという。しかし、素人の悪魔召喚は法律で禁止されてる上に、そもそも素人魔術師に召喚できるようなものでもない。それこそ魔法陣のエキスパートでもなければ不可能である。


「ウィル!ご飯!」


 隣の部屋からネムの食事の催促が飛んでくる。


「カエル食べていい?」

「あれは調合用だ!」

「どうせ目玉しか使わないじゃないか」

「鮮度が重要なんだよ。あれは来週使う予定なんだから」


 僕は教科書をスクールバッグに詰め込んで、使い魔の元へ向かった。


 *****


「おはよー」

「おはよう、今日寝坊しちゃって、バスに遅れるかと思った!」

「あはは、道理で寝癖が!」


 スクールバスの中で仲の良さそうな一年生の男女が会話をしている。男子生徒が女子生徒の髪の毛をなおしてやると、女子生徒は照れくさそうに喜んだ。

 僕は心の中で舌打ちした。一人でいると何故か耳が発達するらしい。嫌でも他人の会話が耳に入ってくる。


(お前ら出会ってまだ一か月だろ。なんでそんなイチャイチャしているんだ、しかもバスの中で!こんなことなら箒で来たらよかった)


 内心でイライラしながらも、僕は何ともないように装って外の景色を見ているフリをした。しかし、今バスは雲の中を飛んでいるので視界は白で覆われている。たまに雲の隙間から眼下の小さな建物が見えるくらいである。会話を無視できるほど面白いものではない。


「チャーチル先生の課題終わった?」

「でさ!あいつ何て言ったと思う?」

「終わったよ。お前は?」

「バスの中なんか臭くない?」

「これは悪魔の印だってよ!ただの焦げ跡だってのに!」

「マジ?終わってないんだよ。見せてくれない?」

「あ、ごめん。ウジの宿り主としてネズミの死体持ってきたの。防臭の魔術は施したんだけど…」


 しばらく景色を眺めていたが、僕は諦めて彼らの会話を盗み聞きすることにした。どの会話もとても生産性があるとは言い難いが、さっきのカップルよりマシである。そうして彼らの会話を聞いていたところ、ふと、こんな会話が聞こえてきた。


「ねえ、知ってる?」


 最初は他の会話と同じようなくだらない話始めだった。


「私も別の人から聞いたんだけど、この学校には魔女がいるんだって!」

「それって、生徒の中に?」

「まさか!魔女だよ?」


 魔女。悪魔の子とも呼ばれるその者達は、僕達のような論理や法則に基づいて術を行使する魔術師とは異なり、制限なく自由自在に魔法を操ることが出来る。難解な魔法陣を描かなくとも指を振れば思うままに、空飛ぶ箒を使わなくともその足で自由に空を翔け、友達感覚で悪魔を呼び出せるらしい。しかし、魔女は滅多に世間に姿を現すことがない。一説では魔女の秘密を探られないように隠れてるとか、知識を人間に渡さないようにしているとか。


「どこにいるのよ」

「人気のない場所に住んでいるらしいの。悪魔棟の近くだとか、植物園の近くだとか、地下に潜んでるとか色んな噂があるらしい」

「えぇ……怖いね。隠れて何かしてるのかな?ちょっと気になるかも」

「探してみる?」

「嫌だよ!変な目にあいそうだもん」


 女子生徒達がキャッキャと騒いでいると、ドンッと音が響き、スクールバスは地面へ着地した。僕はバスの前方を見た。大きな鉄製の門が聳え立ち、その背後には巨大な石造りの建物が立ち並んでいる。アリアート魔術学校は古くからある伝統的な魔術学校で、卒業生の中には有名な魔術師もいる。ここの生徒は13歳で入学し、6年間魔術及び魔術的技能を学ぶ。更に卒業後、望めば魔術院で4年間研究を続けることもできる。また、生徒の人数に見合うように校内は広大で、長年勤めている教師でもその全貌を知る者は少ないという。


「ご乗車ありがとうございます。間もなくアリアート魔術学校に到着いたします」


 前日の雨でできた水溜まりをタイヤで蹴散らしながらバスは構内へ進み、中庭で停車した。バスを降りた僕は1限目の薬草学の教室がある棟へ歩き始めた。始業のチャイムが鳴り響く。授業が始まると、バスで聞いた話のことはすっかり忘れていた。


 *****


 授業が終わりランチの時間。僕は校内のカフェを訪れていた。チョコが練りこまれたマフィンを平らげた後、ゆっくり紅茶を飲む。最近はずっとこのように昼を過ごしている。カフェは落ち着いた雰囲気に包まれ、遠くから聞こえる小鳥のさえずりも耳が心地いい。正午をゆったり過ごすのにピッタリである。

 ここで、何人かの女子生徒が入店した。僕がチラッと視線を向けたその瞬間、一人の女の子に釘付けになった。金髪のロングヘアーが風になびき、綺麗な青い瞳は光を反射して輝いている。スラっと伸びた足は美しく魅惑的で、一種の芸術を思わせる風格が彼女にはあった。


「ウィル、何見てるんだ?」


 隣の椅子で丸まっていたネムの言葉に我に返って、僕は慌てて視線を逸らし、誤魔化すために紅茶を一口飲んだ。


「別に」


 僕はそう取り繕ったが、視線の端で彼女の姿をチラチラ捉えていた。彼女の動作一つ一つが麗しく、後ろ姿だけでも彼女の美しさが伝わってくる。それほどまでに、彼女は非凡な魅力をまとっていた。


「なーもう外出ない? 中庭行きたい」


 一方、人間にそのような魅力を抱かないネムは、非常に暇そうな反応をしていた。此奴が求めているのは飯、睡眠、遊びだけである。


「もうちょっとだけ待って。あと五分」


 僕はもう少し彼女を観察したかった。しかし、ネムはそんな事は気にしない。


「はーやーくー」

「お願いだって」


 僕はせわしない使い魔をたしなめようとしたが、ネムは僕の制止を振り切り、席を降りてカフェの出口へ歩き始めた。


「ちょっと!待ってよ!」


 僕はネムを追いかけようと急いでバッグを手に取った。しかし、バックをちゃんと閉じていなかったのか、手に取ると同時にバッグの中身が床に飛び出してしまった。僕は慌てて拾い集める。すると、フワッと花のような香りが漂ってきて、僕は反射的に顔を上げた。


「大丈夫ですか?手伝いますよ」


 あの女性が目の前にいた。一瞬、教科書を拾う手が止まる。


「……あっ、ありがとうございます」


 僕は何とか言葉を絞り出し、再び手を動かし始めた。


「はい、どうぞ!」


 彼女は手際良く本を集めると、形と方向を整えて差し出した。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 僕がお礼を言うと、彼女は優しく微笑んで、友人の下へ帰っていった。その後、カフェを出た僕はネムと中庭へ向かったが、しばらくはさっきの出来事で頭がいっぱいだった。

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