第3話 剣聖を愛した聖女には馬に蹴られて地獄に落ちる未来が待っている

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「もー!シャルルったらまた拗ねてるの?あいつらなんて無視するなりボコボコにするなりしちゃえばいいのに!」

村の丘にある一本杉の下で、幼馴染の男の子はその日も小さく膝を立てて座っている。


黒い髪の両親から生まれた彼は、何故か緋色の髪を持って生まれてしまった。顔も…ちょ、ちょっとだけかっこいいけど?でも、おじさんにもおばさんにも似てなくて、それでよく村の子どもたちにイジメられていた。


「か、簡単に言うなよ…あいつら強いんだよ。きっと俺なんかじゃ敵わないよ。」

ううん、そんなことない。

この前だって私がアイツらにスカート取られそうになった時、体ごとぶつかって助けてくれたじゃない。


「ふーん!だったらずっとそうしてればいいわよ!」

なんて、いつも言うけど放っておけなくて、今日も彼の隣に座る。

言葉と行動が微妙に一致してない私を見て、彼はちょっとだけ笑った。


一本杉に座ってると、小さな村を一望できた。私はこの景色が好きだった。川があって、水車があって、森があって、遠くには山がある。ここから眺める夕日が好きだった。そしていつも隣にシャルルがいてくれた。


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彼が冒険者になると言って拠点を王都に移してから一年。私は13歳になった。今日も一本杉から夕日を眺めて一日が終わる。隣にシャルルはいなかったけど。


周りには秘密にしてたけど、この頃から治癒の力に目覚めていた。気付いたきっかけは本当に些細なことで、包丁でちょっと深く指を切ったときに傷口を洗ってたら、その最中に傷が塞がった時だった。


治癒の力を持つ女性は聖女と呼ばれて尊ばれる。ただし聖女はその力を失うまで教会に保護という名目で丁重に軟禁されてしまう。そして神のお導きと称して怪我人を治す日々を送るのだ。安全と安定した生活を引き換えに。


だから私は黙っていることにした。バレたらもうシャルルに会えなくなると思ったから。


この歳になると流石に男の子たちも私にちょっかいを出したりはしなかった。けど、何故か彼らの中で私は喧嘩友達みたいな位置付けにされてて、すごく気持ち悪かった。


「な、なぁ。俺とお前って付き合い長いよな。俺、実はお前のこと昔から好きだったんだ!」

昔、スカートを掴んだ男の子の一人が顔を真っ赤にしてそう告白してきた。一体どう解釈すれば彼の中であれを美談にできるのだろう?恥ずかしくて一日死にそうなほど辛かったのを、黙って横にいて支えてくれたのはシャルルだ。お前じゃない。


「俺との結婚を考えてくれないか?」

「嫌。」

秒で即答した。当たり前でしょうが。なに青くなってるのよ。

「絶対嫌。あんたが父親なら、イタズラされてた自分の娘とそいつとの結婚許せるわけ?」

「イタ…」

なに白くなってるのよ。いつの間にか周りに見慣れた男どもが集まって来てるし。


「私は村の誰とも結婚しないから。特に女の子にいたずらするアブナイ人達とは。さよなら。」

もはや灰すら残っていない連中を無視して、家のベッドに飛び込んだ。いつもより汚れた気がして気持ち悪い。湯浴みしたかったけど、今日はアイツらに覗かれそうな気がしてそれも躊躇われた。シャルルと一緒に見た夕日が恋しかった。


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彼が久しぶりに帰ってくると聞いて、私は舞い上がってた。だから、薄暗くなってきた村の入り口から彼が見えた時、我慢できずに走り出してしまった。


お夕飯の準備で肉の匂いが服に残っていたのが良くなかった。 

突然、横からオウルベアーと呼ばれる夜行性の魔獣が飛び出してきた。あまりに唐突で悲鳴すらあげられない。


「セイラ!!危ない!!」

次の瞬間、彼に庇われながら地面に倒れていた。彼はオウルベアーの爪を背中で受けてしまった。血がドバドバと流れでて、服越しでも深手だとわかった。


そんな、私が、私のせいで…!?

私のせいでシャルルが死んじゃう!?


「セイラに…セイラに、触るなあああ!!このふくろうもどきがあああ!!!」


次の瞬間、強烈な光が渦となってシャルルと私を包み込んだ。巻き込まれたオウルベアーが塵になって消えていく。薄暗かったはずの空は一瞬まるで昼間のような青空を見せた。


凄まじい光の渦はすぐには消えなかった。そして彼の血も止まらなかった。恐らくもう意識もない。きっとこのままだと彼は光を全部吐き出して死んでしまう。


「いや…!だめ!絶対死なせない!」

どうすれば彼を治せるかなんて考えなかった。体の奥から湧き出てくる、風とも熱とも言えない見えない何かをシャルルの背中に叩きつけた。ただがむしゃらに、そうしなくてはと思っていた。


すると背中の出血が止まるどころか、内臓まで達していそうだった傷はみるみる消えていき、抱き合う彼と私の周りには花畑が出来ていた。もしかしたら、私は自分の命を彼に分け与えたのかもしれない。


意識を失っていた彼の目が、ゆっくりと開いていく。

「ん…セイラ…?あれ、俺…生きてる?なんで?」

「シャルル…!シャルルう!」

もう奇跡がどうとか、光とか、そんなのはどうでも良かった。ただシャルルが無事ならそれでよかった。


それで良かったのに。


「勇者だ…。」


ハッとして振り向くと、そこには以前灰にしたはずの男達の一人が呆然と立っていた。

「光で魔獣を消し…緋色の髪を持つ…なんてこった…!はは…!」

やめて、それ以上余計なことを言わないで!


「伝説の勇者の再来だ!」


その一言が、私達を裂いた。


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『なんで…!なんでシャルルなの!!なんでよぉ!!』


『さあな。でも俺は伝説の勇者と同じ力に目覚めたんだ。世界を救うためにも俺は――』


『勇者になったからってなによ!シャルルが行くことないでしょ!誰かが世界を救うわよ!馬鹿!馬鹿シャル!なんで…!なんで行っちゃうの…!一緒にいてよ…!もう知らない!シャルルなんか…だいっきらい!!勝手に世界を救ってくればいいわ!』


嘘つき。私は嘘つきだ。

でもあの時の嘘はとびっきりで、だからきっと、神様は私を許さなかったんだろう。


次の日にはもう後悔してた。ごめん、嫌いだなんて嘘。あなたの事が大好き。そう言いたかったのに、もうシャルルは王都に向かっていた。伝説の勇者として名乗りを上げるために。


だけど、私には彼の気持ちがわかっていた。彼は真面目な人だ。すごく臆病で小胆なのに、私を守るときだけは勇敢で大胆になってた。臆病さを汚い口で隠そうとするのに、相手を傷つけないように言葉を選ぶ。だから勇者だから世界を救うなんて、きっと嘘。彼は知らない誰かのために戦える人じゃないから。


私はきっと間違えた。

治癒の力に目覚めたあの日…ううん、最初から私は彼の隣に立ってるべきだった。彼の隣を歩かなきゃいけなかったんだ。彼が冒険者になった時、外が怖くて村に残ったから、今私は彼に置いてかれちゃったんだろう。

だから今度こそ、私は間違えたくない。

もう彼の横には立てないかもしれないけど、せめて彼を後ろから支えてあげたい。

だから私は。




教会の扉は、私が思っていたよりも軽かった。




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「これが俺のぉ!最後の光だああ!!全部食らって消えやがれえええ!!!くたばりぞこないがあああ!!!」

刀身が半ばから折れた聖剣が見えないくらい強い光を放つと、勇者はそのまま魔王の剣に折れた聖剣を叩きつけた。


「ふ、ふはははは!こ、この時代の勇者の力など、この程度か!!この…こそばゆいわ!!」

魔王の哄笑が響き、勇者に対して闇の衝撃を放ち続ける。だけど魔王も焦りの表情を隠せない。勇者の光もじわじわと魔王の体を削っていた。


傷だらけの勇者の全身からは鮮血が溢れ出始めていた。無理な力の反動と魔王が放つ衝撃で体が崩れかけているんだ。このままじゃ魔王が消えるより先に、勇者の体が砕けてしまうだろう。


「シャルル!!!」

私も指が折れて変な方向に曲がった右手を精一杯勇者に伸ばして、体に残った治癒の力を全開にして彼を包み込んだ。傷はどんどん塞がるけど、次々と新しい傷が出来てまた鮮血が飛ぶ。


(駄目…!やっぱり私だけじゃ治癒力が足りない…!)


一瞬、勇者の顔が歪んだ。左膝のあたりに強い衝撃を受けたらしい。大量の血が流れ落ちていた。

「終わりだなあ!勇者あああ!!」

魔王は勇者を聖剣ごと弾き飛ばし、魔剣を振りかぶる。既に私の両足も折れていて、走って向かうことも出来なかった。


「いやあああああ!!シャルルー!!」


ドスっという、肉に刃を立てる鈍い音がした。


「………な……にぃ……!?」


魔王の腹から聖剣が飛び出していた。魔王が首だけを後ろに向けると、剣聖のエドが、聖剣の刀身を直接握りしめて魔王に突き立てていた。

聖剣に選ばれていないエドの両腕が、光の残滓によって焼け焦げていく。


「やれえええ!!シャルルーー!!」

「くたばれくそやろうがあああ!!!」


右脚の力だけで魔王へ跳躍し、再び聖剣を光ごと叩きつける。魔王もすぐに魔剣を持ち上げようとしたが、間に合わなかった。


魔王に直接聖剣と極光が叩きつけられ、ついに魔王はこの世の憎悪を全て集めたような絶叫を上げながら、消滅した。




「勝っ……た?」

「嘘…ほ、ほんとに…!?」

「ああ…やった…!勝った!勝ったぞ!!俺達は魔王に勝ったんだあ!!!」


勇者は折れた聖剣を天に掲げ、魔王に放った極光を曇天にぶつけた。深紫の雲は一瞬で晴れ渡り、魔王の瘴気に当てられた魔獣やリビングデッドが消えていく。


エドの腕も、シャルルの傷も、私の折れた手足も、冗談みたいな速さで治っていく。まるで聖剣が私達を祝福しているようだった。


魔王の瘴気が消滅したことは、世界中で観測され、勇者が魔王を討伐したことはその日のうちに知れ渡った。




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「勇者様、よくぞ魔王を討伐してくださった。デュヴァリエの民を代表し、心より貴公に感謝申し上げる。」

「いえ、私は自分が成すべきことを成したまで。そしてそれすらも私一人では成し得ない事でした。陛下と民、そして私についてきてくれた仲間たちの深いご理解とご支援を頂けたからこその結果であります。出発に際し無礼な申し出をしましたこと、心よりお詫び申し上げます。」


謁見の間で、シャルルは陛下に跪いていた。出発前とはまるで人が変わったかのような殊勝な態度に、私だけでなく見ていた全員が驚いていた。


「……変わりましたな、勇者様。そのようなこと、私は気にしておりませぬ。さて、褒美の話を致します。我が国の準王族の地位と財産、そして娘のクリスティーヌを下賜致します。」

「ありがたき幸せ。これより私は、世界のためだけでなく、陛下とデュヴァリエ王国の為にこの身を捧げましょう。」


陛下が王にのみ所持を許された聖剣デュランダルを抜き、シャルルの両肩に一回ずつ当てた。忠誠を誓った貴族に爵位を与える際の儀礼だ。


「今このときより、平民である勇者シャルルは準王族の地位と侯爵の爵位を得たものと認め、王族に連なる家系としてシャルル・フォン・エル・ブロートを名乗ることを許すものとする。」




旅の中で私達は色んなものを得て、多くのものを失った。


魔獣に蹂躙されていた村や街を救った。

間に合わなかった街もあった。

女子供を犯した罪で自ら仲間を処刑したこともあった。

目の前で子供が食われたこともあった。

発狂した騎士に介錯をして、その騎士にお礼を言われたこともあった。

新しい仲間を得て、失い、時々裏切られた。


そして旅の途中で唯一のヒーラーとなった私は正式に聖女に処され、剣豪さんは剣聖を名乗ることを許された。


『私には幼馴染がいました。しかし、どうやら彼女はもう、私のことを忘れたいらしい。』

『そんなこと…』

『手紙の返事がね、旅に出てから一度も届かないのです。恐らく、村に帰ったところで彼女も既に結婚しているでしょう。私も…先日彼女に別れを告げました。小さな紙しか残っていなかったので、別れの花言葉を持つシオンの押し花を送ることしかできませんでしたが。』

『剣聖様…。』

『エドです、聖女様。私は、あなたからは名前で呼ばれたい。』

『…じゃあ、私のこともセイラと呼んでください。』

『…セイラ。君を愛している。君がシャルルに心砕いていることはわかっている。それでも俺は、君を諦められない。この旅が終わったら、俺と結婚してほしい。』

『…少し考えさせてください。』


けど、私はもうこの時、エドのことを好きになっていたんだと思う。その日は少し時間を貰ったけど、数日後には宿で結婚を約束した。


彼は魔王を倒すために、そしてシャルルを守るために聖剣の罰を受け入れてくれた。もしかしたら二度と剣を握れなくなってたかもしれないのに、彼はシャルルのために命を賭けてくれた。

彼もシャルルが好きなんだ。彼と一緒にシャルルを支えても良いんだ、そう思ってしまったら、もう彼のことしか見えなくなっていた。

そして、私はシャルルが第一王女と結婚した同じ日に、剣聖様と結婚した。


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彼の違和感には私でもすぐに気付いた。

村に着いてすぐ、彼は幼馴染のアンリさんの所に向かっていった。

でもそれは、村に行く途中でちゃんと話し合って決めてたことだ。


『以前話していた幼馴染に、立派になって帰ってくると約束していたんだ。あいつからしたら何を今更って思うだろうけど、ちゃんとケジメはつけたくてさ。』

『でも、恋人だったんでしょう?私がいて良いのかしら…。』

『アンリは君に対して何か思うようなやつじゃないよ。きっと子供だって祝福してくれる。良い子なんだ。俺にはもったいないくらい…良い子だったんだ。』


そう懐かしむ彼の顔は、私が今まで見たことの無い幼い顔をしていた。それはアンリさんにしか出せない顔なんだと思うと、ちょっとだけ妬けた。


でも、実際に会った二人は、とても旧知を懐かしむ雰囲気ではなかった。エドは気さくに話しかけていたけれど、アンリさんはあくまで彼を貴族として接したからだ。それも、あまりに完璧に。


遠くにいたからよく分からなかったけど、茜色をした彼女は化粧をしていないのにすごく顔立ちが整っていて、村人とは思えないほど引き締まった体をしてたのが見えた。そんな彼女が完璧なカーテシーをしているのを見ると、まだ貴族教育は受けてない私には強烈な劣等感すら覚えた。


一瞬だけ、彼女と目があい、お互いに会釈する。彼の言うとおり、アンリさんは私に敵意を向けなかった。むしろ、お腹の辺りを見てものすごく傷ついた顔をしていた。

…もしかしたら、彼女は彼の子供を見たくなかったんじゃないか。そう思わざるを得なかった。


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「あら?あなたもしかして…」

母体を休ませるため剣聖様帰省祝いの宴を早々に切り上げて、村長さんの屋敷に向かう途中、アンリさんとは違う美少女に出会った。今日はよく美人と出会う日だ。


「剣聖様と結婚した聖女様ではなくて?」

その特徴的な口調が妙に引っかかった。

「あ…はい。セイラと申します。あの…どこかでお会いしたことがありませんか?」

「多分、ちゃんと会ったのは今日が初めてですわね。私はジュリア。よろしくね?」


どうやら彼女とはどこかですれ違うなりして会っていたらしい。不思議な縁もあるものだ。


「ちょっとあなたにお願い事がありますの。聞いてくださる?」

「え?あ、はい、内容にもよりますけど…。」

なんだか胸騒ぎがした。 


「実は私、剣聖様の事が憎くて仕方ありませんの。それも、彼を殺してやりたいほどにね。彼は私の親友を裏切って、ひどく傷付けてくれましたから。めいいっぱい死ぬほど後悔してもらおうと考えてますの。」

…突然何を言い出すのだこの人は!?


「あなたに罪はないわ。むしろ親友を救ってくれたようなものですから、あなたには感謝すらしていますの。あなたにとって彼が最良の夫かはわからないけども、彼にとってあなたは最高の妻になりえますわ。だからこそ、あなたにやってもらいたいことがありますのよ。」

「…それで、お願い事とはなんですか?」

隠した左手で障壁魔法の印を結ぶ。この女が何を仕掛けてきたとしても、一撃は耐えられるはずだ。お腹の子だけは絶対に護ってみせる。




「あの男を見捨てないでやってくださいまし。」

「……………え?」

思わず、左手の印を解いてしまった。まずいだろうか。でも、今の女からは殺気が感じられない。


「私はこれから、親友に代わって彼に罪を教えて差し上げますの。彼は馬鹿だから、一つ一つ痛みをもって教えて差し上げないとわからないと思いますから。でもね?多分彼って一般的な剣聖のイメージよりもスライムメンタルだと思いますの。だからすぐに暴走して、あなたを蔑ろにするような行動をとるかもしれませんわ。」

「一体何を言って…」

「けれど、彼を見捨てないであげてくださいな。あなたが彼を見捨てたら、多分彼は死んでしまいますわ。それでは夢見も悪いですし、何より彼には生きて後悔してほしいですから。」


彼女の言葉は強く、鋭利だった。にも関わらず、彼女はエドに対して敵意こそあれど、悪意は無いようだ。むしろ、彼を正そうとしているかのように見える。


「彼の罪って…?」

「それは私よりも、彼や彼のお父様から聞いてくださいまし。私もこのあとちょっと忙しくなりますから。」

なんとなく、アンリさんのことだと思った。彼とアンリさんに何があったのだろう。


「では御機嫌よう、聖女様。あなたの幸せな結婚生活を心から祈ってますわ。」

あれだけエドに憎悪を向けていたとは思えないほど、慈愛に満ちた声だった。


その後、彼の父から聞いた話に、私は衝撃を受けすぎて予定より早く産気づいてしまった程だった。


どうやら剣聖様を愛してしまった私には、馬に蹴られて地獄に落ちる未来が待っているらしい。




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出産を終えた私は、彼の生家で緋色の髪の愛娘に母乳を与えていた。この子の髪色を見たとき、私はあまりのことに衝撃を隠せなかった。産後は感情が制御できないとは聞いていたけど、髪色の事で彼に謝るなんて、自分でも信じられなかった。


だけど私の胸を一所懸命に握って必死に生きようとする娘を見ていたら、髪色や顔立ちのことなんてどうでもよく思えてきた。シャルルの両親も、きっと同じ気持ちだったに違いない。私は、この子のことを誰よりも深く愛するだろう。


「………いま帰ったよ。」

憔悴した様子でエドが帰ってきた。

「おかえりなさい、あなた。」

「ああ…。」

エドは疲れ切って、そしてこの数日ですごく傷ついていた。出産に忙しかったとはいえ、彼の側にいられなかった事が悔やまれた。


「アンリさんとのこと、お義父さんから聞きました。」

彼はびくりと肩を震わせ、青褪めながら私の前で跪いた。


「セイラすまない…!すまなかった!俺が、俺がたくさん間違えたばかりに、たくさんの愛する人たちを傷つけた!!アンリも、親父も、セイラも!!お、俺は…!お前を愛していながらあいつを追いかけて!!俺は最低だ…!アンリの未来を捻じ曲げて…セイラのことまで蔑ろにした…最低の男だ…!!」


後悔に彩られた言葉の刃は、全てエド自身に向かっていた。それはまるで、処刑場に立つ罪人が、自ら首を差し出すようだった。彼は自分を許せないでいるようだ。

馬鹿な人。それより大事なことがあるでしょう。


「エド。」

静かな声で呼んだつもりだけど、彼にはそれすらも雷鳴に聞こえるのかもしれない。魔王の攻撃よりも深いダメージを負ったような様子で、それがなんだか妙に可愛く見えて、ついつい笑ってしまう。


「見て、エド。私達の娘よ。エドったら私が頑張って産んだのに、ずーっと上の空でちゃんと見てくれないんだもの。ほら、抱っこしてあげて。」


首の座らない赤子の抱き方を彼に教えると、彼は触れたら砕けるんじゃないかと怯えるように、そっと娘を抱き抱えた。

青くなってた顔色は、娘を見ると今度は赤くなっていった。涙と鼻水が溢れててちょっとみっともないわよ、パパ。


「どう?」

「………かわいい。」

そうでしょうとも。


「髪色が違うわね。」

「………よく似合ってるさ」

その通りよ。


「私達に似てないわね。」

「………セイラと同じくらい美人だ。」

あらお上手ね。


「ごめんなさい。私はあなたに、この子の髪色で謝っちゃいけなかった。それにあなたが大変なときに、私はあなたに寄り添えなかった。不甲斐ない妻で、ごめんなさい。」


だから、もう良いよね?シャルル。


「誰よりもあなたを愛しています、エド。あなたの傷は私の傷よ。だから、私とこの子が傷ついたら、あなたもいっぱい傷ついて。そして必ず守ってみせてね。私の剣聖様?」


剣を抜けば如何なるものも両断し、あらゆる剣を使いこなせる剣聖様は、遂に涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったまま私と娘を抱きしめた。


「ああ…!ああ!セイラとアネットには指一本触れさせない!触れさせるものか!!」


ああ、どうか愛しいあなたに祝福がありますように。


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7歳になった緋色の娘は目に見えぬ速さで木剣を振るい、父親の右手を強かに打ち付けた。幼児とは思えない鋭い一撃に、思わず木剣を取り落としてしまう。もし鉄剣なら怪我では済まなかったろう。


「お父さん弱すぎ!アンリお姉様の方が全然強いじゃん!本当に剣聖なの!?」

「な、なに!?そ、そんな…!!」


世界を救った剣聖様は、その実力を娘から三行半を下されたばかりか、過去の恋人より弱いと言われ再起不能になっていた。

彼の名誉のために言うと、剣聖が弱いのではない。緋色の娘が異常なのだ。だが、その強さには秘密があった。


「ああ…!アンリお姉さまって本当に素敵よね…!女王様の専属騎士にして王国最強のウェポンマスター!剣を使わせたらもちろんのこと、槍も弓も罠も自由自在に使いこなして、魔法以外ならなんでもできちゃう!将来私もアンリお姉さまみたいな人と結婚したーい!」

「う…うそだろ…お、おのれアンリ…!」


そう、アンリは剣聖には秘密にしながら、この幼い勇者に手解きをしていたのだ。なお、私には事前に許可を求めてくるあたり、なかなかのお人である。


「あらあら、やっぱり腕が落ちたんじゃないかしら?」

「そ、そんなことはない!もう一度だアネット!」

「えー!?」


微笑ましいやりとりに思わず笑みが溢れる。私のお腹は再び膨らんでいて、アネットの妹がもうすぐ生まれようとしていた。


その成長が普通よりも早いことに、私もエドも気付いてたけど…すでに私達は何が産まれてきても良いやと開き直っていた。


「ふふっ!頑張ってね?私の剣聖様。」

だって彼と娘がいれば、どんな傷にだって耐えられるのだから。

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