第三膳『シチューと苦手料理』

咖喱菩薩カリーナ、我々SPICIAスパイシア使命ミッションは、"Pay Forwardペイ・フォワード"の思想を布教することである」

「はい。精進してまいります」

 この都を拠点とする慈善団体SPICIAスパイシア(SPIritual Club for Invisible Aid)は、腹を空かした者を救済し、同時にオマエにできることは何だと問いかける活動を行っている。

 ただ与えるだけが救済ではない。そこには『流れ』が必要なのだ。施しを受け、得た活力で何をするのか。それが肝心だ。

 持続可能なエネルギーの潮流を生むための方法論を研究し実践する。そうして『悟りを得る』ため、SPICIAスパイシアに所属する『菩薩』は今日も修行に励む。


 SPICIAスパイシアの気高き代表たる薬師如来メディカは、を訪ねるように言った。そこで学べと。

 そして僕たちは今、ここにいる。


 目の前の料理は『ホワイトシチュー』というそうだ。要はカレーの一種であろう。


 同僚の普賢菩薩フーゲンは両手を膝の上から離さず、じっとシチューを見つめている。これまで何度も食事を共にして普賢菩薩フーゲンの好みは把握しているつもりだ。

 が、この微妙な空気は……。

 ふむ。このシチューという代物。この白い御姿みずがたからするにミルクベースのスープ。

 ははぁ……普賢菩薩フーゲンの奴め、さては牛乳が苦手だな。まぁ誰しも苦手なものくらいあるだろうが。


「解せぬ」

「……?」

咖喱菩薩カリーナ、お前はコレを許容するのか?」

「む。これって要はホワイト・カレーだろう? ココナッツミルクベースのグリーン・カレーの親戚じゃないのか?」

 その言葉にキョトンとした顔がこちらに向けられる。


「おい、アンタラ」

 しばらく見つめ合っていた僕と普賢菩薩フーゲンは、同時に声の方へ顔を上げた。

「いつまでぼさっとしてんだ。俺が作ったものが食えねえってのか?」

 BAR【古都奈良】の店主、六科ムジナはとびきりの美人! ……というほどでもないけれど、得も言われぬ迫力をまとっている。何故かは解らないけれど。

「「いえ、滅相もない」」

 僕のソプラノと普賢菩薩フーゲンのアルトがハモる。

「人の味覚は食べたものによって変化する。苦手なものでも、食べ方ひとつで好物に変わることだってある。とりあえず騙されてみろ」

 知り合ったばかりなのに強引な人だ。いや、これが魅力なのか。

「でも……」

 なおも食わずに食い下がろうとする普賢菩薩フーゲンに、ジロリと目線だけを差し向けた六科ムジナは明王さながらの迫力だ。ぶるりと身震いする僕とは対照的に、普賢菩薩フーゲンはあからさまに納得のいかない様子。

 これはイケナイ。

 僕は印を結び、普賢菩薩フーゲンにさり気なく合図を送った。伸ばした人差し指でテーブルにそっと触れる。『触地印そくちいん』すなわち『降魔印ごうまいん』だ。

(『悪魔よ、去れ』(超訳:やめておけ。敵に回すな))

 それに対し、普賢菩薩フーゲンは右掌をこちらへ、左掌は掬い上げるように上に向けた。いわゆる『施無畏印せむいいん』と『与願印よがんいん』である。

(『恐れるな。そなたの願いを叶えよう』(超訳:怖いのか? だがお前の言う通りだ。))


「アンタラ、何やってんだ? これはな、俺のとっておきレシピなんだ」

 互いに印を結び無言で交わした僕たちの視線を、六科ムジナは一刀両断した。

「ったく、まだ グズグズする気か?」

 明王の憤怒の形相が再び。僕たちは慌てて手を合わせて合唱する。

「「南無!(超訳:いただきます!)」」


 それから慎重にスプーンをシチューにひたした。


「「こ、これは……」」

 顔を見合わせた僕たちの心はきっと同じだ。

「まさかシチューがライスに合うなんて!」

「カ、カレーがまったく辛くないなんて!」

「「え?」」

普賢菩薩フーゲン。まさかライスカレー・スタイルが気に入らなかったのか?」

「何言ってんだ。シチューは別物だろ」

 言葉を失った僕たちは、もうひと掬いを口に運ぶ。

「カレーが飲み物だとは言い得て妙だと思っていたが、このシチューは白い味噌汁だな。言われたとおり、まんまと騙されたぞ。完全に見た目で判断していた」

 普賢菩薩フーゲンが満足げな顔でニヤリと視線を送ると、六科ムジナも少し口角を上げた。

「シチュー on ライスは外道とでも思っていただろう? そういった先入観を叩き潰すのが俺の趣味なんだ」

「ああ、やられた。コクがあって旨い。ライスにも合う」

 味噌? 置いてけぼりの僕には目もくれず、普賢菩薩フーゲンはパクパクと食べ進めている。


「あ、あのう……」

 僕は自戒の念を込めて、おずおずと遠慮がちに『施無畏印せむいいん』を掲げた。

(『恐れなくともよいのだ』(超訳:恐縮ですが))

 ホワイトペッパーのほのかな辛みと、白い皿から立ち上るナツメグの甘い香気はミルクによく合っている。恐らく溶かし込まれたチーズが濃厚さに磨きをかけていて、コレはコレで美味い。

 が、私にはどこか物足りない。

 ああ、と六科ムジナが何処からともなく取り出した小さな竹筒を、テーブルの上にコンと置いた。青竹に彫り込まれた竜の文様が見事である。

「なんだ、コレ。密書が入っているとか? ま、まさか……秘伝のレシピ!!」

 普賢菩薩フーゲンは興味津々で、食い入るように竹筒を見つめている。

「な、わけないだろ。試してみてくれ、って知り合いから預かったんだ」

 えっと、僕で? とは思ったが、言われるままに竹筒に刺さった細い栓を抜くと、懐かしい香りが漂った。ハッとして、皿の隅に少し振りかけてみる。

「これは……! 白い皿に白いライス、白いルウ。そして太陽の恵み!」

 僕はオレンジ色の粉がかかった白いルウを掬い上げ、恐る恐る口に運んだ。濃厚な口溶けに爽やかな風味が加わり、身体の芯から満たされてゆく。


 これは〈希望〉だ。


 僕はさらに魔法の粉スパイスを追加し、白いカンヴァスに灼熱の太陽を描いた。それを粗いタッチでせっせと混ぜ合わせ、夢中で口に運ぶ。この風味はやはりカルダモンに、クミン、チリ、そして温州蜜柑の皮に――

咖喱菩薩カリーナ、お前ってホント、カレーしか食わないよな」

「む。失敬な。……そういえば、味噌なんて入ってた?」

「ああ。これをわざわざカレーにするなんて。まあ、アリかもしれないけどさ」

 どうもボタンを掛け違えたような、しっくりこない違和感がある。

 僕たちは大先輩である弥勒菩薩ミッキーの真似をして、揃って思惟手しいしゅを頬に当てた。いわゆる『今、考えてます』のポーズだ。


 その時、耐えかねたように六科ムジナが笑い出した。

「アンタラ、まだ気づかねえのか? だから、騙されてみろって言っただろ」

 あー腹いてえ、と思いきり笑う六科ムジナに対し、僕と普賢菩薩フーゲンは顔を見合わせた。

「ま、まさか」

「そこまでするのか?」

 つまり、僕たちは全く別の味付けがなされたシチューを食べていた、と?

「ご明察。なあ、まだ食えるだろ」

 六科ムジナは心底楽しそうだ。

「「む、無論。望むところ……」」

 あらたにテーブルに並んだのは、全く同じ見た目のホワイトシチュー。湯気まで白い。しかし、先程とは逆の中身らしい。

「「南無!(超訳:いただきます!)」」

 僕たちは早速、熱々のシチューを掬った。

「こ、これは……!」

「そっちは隠し味に白味噌を溶かしてあるんだ。どうだ? 魔法の粉スパイスは必要か?」

 必ずしも辛くなくともよい。それにこのコクと旨味。なるほど、こうした境地もあるのか。これなら――

 ふと、竹筒に手を伸ばす普賢菩薩フーゲンの姿が視界に入る。

「やっぱりお前も物足りなかったのか?」

「いや、コレはコレで旨い。だが、料理には『味変』という楽しみ方があるだろ?」

 僕たちの皿が空っぽになると、六科ムジナは満足げな顔をしつつ、さっさと皿を持って厨房へ戻ってしまった。


 ここへ僕たちを寄越した薬師如来メディカの真意が解った気がする。

 

 やるならトコトン。そして楽しめ。

 それを体現している人に出会ってしまったから。



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色々と創作上の独自解釈や表現が紛れ込んでおります。ご容赦くだいませ。

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