第33話 江戸を出発

 しかし、その反応の差で、飛鳥は自分の考えが足りないのだろうかと思った。

 少なくとも、雨月は飛鳥よりも鬼の一族のことをよく考えている。どうすべきか。どういう歴史を背負っているか、それを考えて行動している。

 一方、次期長という地位にある自分はどうだろう。鬼について、真剣に考えたことがあっただろうか。人間ばかりに興味を持ち、鬼のことを蔑ろにしていなかっただろうか。

 似ているが非なる存在。鬼と人の関係はそんなものだ。飛鳥はどこかでそう考えている。しかし、この国に残る歴史は、そう簡単に割り切れなかったが故に作られた記録だ。

 長になるということは、その歴史を背負うということだ。今までのことをなかったことには出来ない。たとえこれから認識を変えさせようと努力するとしても、紡がれてきた歴史、互いがいがみ合ってきた歴史を無視することは出来ない。

 今回の事件で問題になっているように、家を継ぐということは、そう簡単ではないのだ。背負うものが沢山ある。歴史、血、祭祀、一族に伝わる物。それと同時に、自分を支えてくれる人たちの期待に応えていかなければならない。

「俺もそろそろ真面目に考えなきゃいけないんだよな」

 どこかで長になるなんてまだまだ先の話だと、逃げていなかっただろうか。飛鳥は思わず呟いてしまう。

「真面目に考えてくれ。俺たちにとって、お前は絶対だ」

 その呟きに対し、雨月からは重たい返事しかもらえないのだった。



 陸奥へ向けての出発は、優之助が色々な段取りをしてくれた後、二週間後のことだった。

「いやあ、晴れて良かったね」

「そうだな」

 いつもながらに呑気な優介は、この旅を楽しむ気満々だ。目的の妙観院が住んでいた村まで、奥州日光道中を歩いて十日ほど掛かる旅程である。その間の宿はすでに優之助が押えてくれているから、気楽なのは当然だった。

「行くぞ。ゆっくりしていて宿に着かないなんてことがあっては困る」

「ああ、そうだね」

 往復で二十日掛かる上に真相を解き明かすという仕事もある。しばらく留守にすることを裏長屋の大家に伝え、三十日分の家賃を先払いしておいた。この金ももちろん優之助が立て替えてくれている。

 そうやってようやく出発だ。まずは浅草方向に進んでいくことになる。

「しばらく留守にすると思うと、不思議と見え方が違うね」

 優介は江戸の中を歩きながら、そんなことを言っている。

「そんな調子じゃあ、三日後には江戸に帰りたいって泣き出すんじゃねえか」

 江戸を離れがたいと思っているのならば、付いて来なくていいんだぞと飛鳥はからかう。

「そ、そんなことないよ。それに、陸奥まで行ける機会なんてそうそうないからね。止めるなんて滅相もない」

 伊勢参りと違い、江戸より東側に行く理由はなかなかないものだ。それに江戸生まれの優介は遠出をした経験がほとんどない。せっかくの見聞を広げられる機会を棒に振るつもりはなかった。

「じゃあ、江戸はとっとと抜けるぞ」

 東に行くのは初めてだというのは飛鳥も同じで、さっさとしてくれと急かしていたのだった。



 初日は順調に進み、粕壁かすかべまでやって来た。優之助が取ってくれていた旅籠はたごに腰を下ろすと、二人はやれやれと畳に寝っ転がる。

「途中までは日光の東照宮へと続く道と同じとはいえ、道のりは大変だなあ」

 日頃から足腰の鍛錬を怠りがちの優介は、筋肉痛が大変だとぼやいている。

「ここまではまだ平坦だっただろうが。風呂でしっかり足をぬくめてこい」

 飛鳥はそれではこの先が大変だぞと、しっしと優介を追い払おうとする。それに優介はのそっと起き上がると

「風呂かあ。近くに湯屋があるんだっけ」

 汗を掻いているからなと着物をくんくんと臭い始める。

「街道だからな。くたびれている旅人を商売相手にしているんだ」

「ほうほう。吹っかけられないかな」

「そういう心配はするんだな。大丈夫だろう。間違って岡場所に迷い込むなよ。それと、夜鷹よだかに捕まりそうになっても無視しろよ。お前さんはよく解らないところで仏心を出すからな。それに見てくれは金を持っていそうだから、漏れなく狙われるぜ」

 他に心配すべきことがあるだろうよと、飛鳥は意地悪く笑ってしまう。金を持っていてぼんやりしていては、商売女たちの格好のカモだ。

「だ、大丈夫だよ。いくら俺でもそこまで馬鹿じゃないよ」

 どちらも宿を開けるのは不用心ということで、優介が先に湯屋に向った。その間、飛鳥はごろごろとしておく。

 それにしても、わざわざ現地で解き明かせとは、この事件はよほど落としどころに困ったのだろう。妙観院も薄々それは気づいているようで、大騒ぎすることはなかったようだ。

 それでも、娘を思えば黙ってはいられなかったのだろう。そうして巡り巡って自分に事件が持ち込まれている。

「人の心は複雑だな」

 結論がなければ、どうしても落ち着かないものだ。そんなことを考えていたら、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。

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