第6話 路地裏に潜む化け物

 人と同じ形をしながら、路地裏に斃れている屍を食らうモノ―――明らかに異質な化け物としか言いようのない光景に、恐怖で声が出ずにいた。アレは何なのか?虚なら何かしら知っているのではないか?そう思い、虚の顔を見て気づいてしまった。

「そんな……あれはもう、なのに」

 恐怖に染まりきった顔、呼吸の乱れは酷く、明らかに異常だった。非日常的な光景を目の前に状況が飲み込めず、虚に付いて行くように、ゆっくりと後退りしていく。



 ――――――コツッ

 だが、運悪く靴に小石が当たる音が路地裏に響き渡り………化け物と目が合った。その刹那、こちらへと迫ってくる。

「―――っ!?まずい!」

 虚に引っ張られながら、来た道とは反対側へ路地裏を右へ左へと迂回しながら進んでいく。時折、後方を確認しながら進んでいくが、化け物は徐々に距離を詰めて来る。


 20m………15m………10m………5m―――


 化け物は徐々に距離を詰めて来ていたが、薄暗かった路地裏に光が差し込む辺りまで来ていた。

「あと、少しで――――っ!?」

 だが、逆光を浴びるように新たな化け物が立ち塞がる。リィンが一箇所だけ逃げられそうな道を指差すが、その先は袋小路だ。つまり、目の前の化け物を斬り伏せない限り……生き残る術がない。

「……もう一人!?どうする?どうすればいい?このまま対峙したとしても、準備が間に合わない……最悪の場合、リィンだけでも―――」

 逃げる二人を追い詰めるように、化け物はにじり寄ってくる。その生命の刻限が迫る中、虚は動揺しリィンはただ震えていた。


怖い……怖い……異形の化け物が怖い、死ぬのが怖い。だが、それ以上に――――


(……そっか。そう……だよね)

「……リィン?」

「い、嫌だ……私だけ逃げるのは、虚が死ぬことになるのは……もっと嫌だ」


 ――――自分のせいで人が死ぬのはもっと怖い


「――――っ」

 決意ある眼差しに虚は少し驚いた顔をみせたが、静かに握ったその手の震えは無くなっていた。

「―――分かった。それなら、5分だけ時間を稼いでくれないか?」

 静かに頷いたリィンに安心したのか、虚は目をつむると『簡易書斎結界ライブラ』―――そう呟き、突如出現した半透明の空間に包まれていく。


 虚が半透明の空間に包まれていく中、思案しながら化け物と相対する。剣を振るっていた記憶はあれど、目が覚めてから戦ったのは野犬しかいない……それも虚の助力でなんとか生き残った。ましてや、化け物は更に格上の相手だ。前後から迫る二体を相手取れば―――確実に死ぬ。


(―――どうすれば良い?)

 化け物の様子を伺うが、幸いなことに出口側だけの化け物がゆっくりと近づいてきていた。

(一人だけなら、なんとかなるかもしれない)

 ゆっくりと息を整えながら、刀を抜刀するとただまっすぐに走っていく。化け物もまた何かを察したリィンへ向かって突進していく。目と鼻の先まで近づくと、化け物は勢いそのままに振り下ろす右腕を寸前で回避していく。

「ここで―――っ!?」

 身体の回転に体重を乗せた刃は、化け物の右腕を刎ねていくはずだった。

「なに……これ……か、硬い」


 それは最早、鉄塊だった。予想外の結果に動揺が走り、一瞬だけ刀を握る力が緩んでしまう。その隙を逃すまいと左腕からの追撃が迫る―――回避は間に合わないと我に返ったリィンは、咄嗟に刀身を右上へ振り抜きながら受け流していく。刀を通じて伝わった砲弾の如き衝撃は、後ろへ吹き飛ばされそうなるのを相殺して堪えた―――

「―――っ!ここでっ!」

 攻撃を受け流され僅かによろけたのを見逃さず、更に追撃を叩き込むが、脇腹も腕と同様に刃が弾かれる。

(ここもダメ……やっぱり刃は通らない。でも―――)


 これでいい―――そう自身に言い聞かせて振りかぶりをいなしていく。止まらぬ猛襲に鼓動は高まり、息が徐々に荒くなっていったが、無駄な力を省いた最小限の動きは、徐々に洗練されていく。極限まで研ぎ澄まされた集中力は、攻撃を完璧に見切っていった。


―――……。


―――………。


 ―――どのくらいの時間が立ったのだろうか?自分ではない、そんな感覚になりながら剣を振り続ける。


「――――痛っ!?あ……くっ!」

 だが、それは唐突に訪れた。頭が割れるのではないかと錯覚する程の激痛が走ると同時に、脳裏に濁流のように映像が流れ込む。


 少女と師匠、二本の剣、逃避、苦悩――――以前見た夢の続きがより鮮明に、脳裏に焼き付いて離れなかった。


「―――っ!?……これは!?……なんで、こんな時にっ!」

 頭痛は治まらずに集中を掻き乱されるが、それでも猛攻を凌いでいた

。だが、徐々に酷くなっていく頭痛に耐えきれず、完全に立ち止まってしまった。

「―――リィン!準備はできた!早く!」

 虚の叫び声でようやく現実へと引き戻されたが、寸前へ迫る腕を刃で慌てて受けながら、衝撃を利用して虚の元へ飛んでいく。もろに受けた影響による両腕の痺れと、未だ治まらない頭痛で不快感が広がり続ける。大丈夫か?と虚に心配されるが、小さく頷くと虚もまた頷いて、目の前の化け物を見据えて呟きながら詠唱を開始する。


構想展開プロット・オープン……『夜の帳は落ち、暗夜の路を征く。影に埋もれし無名の戦人よ、旱天の慈雨となれ―――』」


 召喚陣から発せられる紅い光は強くなり、人の形を成していく。そこに現れたるは、名を刻むこと無く戦火の中へ消えていった亡人――――白き鎧を纏いし大剣の騎士だった。



―――そこからは圧倒的だった。大剣を振り回しているとは思えないほど無駄のない動き、鉄塊のような肉体を斬り伏せられる膂力、まさに歴戦の猛者を彷彿とさせた。

「す、凄い……あれが、本物の―――」

不快感を忘れ、自然と感嘆の声が漏れる。瞬く間に一人斬り伏せた騎士は、静かだった化け物へ向かっていく。踏み込みからの剣の振り下ろしと流れるように、化け物の眼前に刃は迫る―――

「よし……これでっ!?」


―――だが、状況は大きく変わり始める。化け物は人では成し得ない動きで騎士を拘束すると、口へ何かを流し込んでいた。動転した素振りを見せた騎士は徐々に苦しみだし、純白だった鎧は漆黒へと塗り潰れていく。


「そんな、まさか……飲み込まれている、のか……?召喚術式を上書きできる概念が存在しているなんて―――」


立て続けに起こるイレギュラーに驚愕の色に染まっていた。そしてそんな虚を尻目に漆黒へと変貌した騎士は、どす黒い殺意の奔流を浴びせながら靴でコツッと音が鳴る。

「―――っ!?」

認識した時には既に手遅れだったのかもしれない。事実、視認できた時には騎士は眼前に迫り、大剣を振りかぶって斬り伏せようとしていた。


 キィィィィィン――――!


 それでも脳内が警鐘を鳴らしていたことが功を奏し、なんとか間一髪で振り下ろされる大剣を受けきった。だが……それはあまりにも重すぎた。鍔迫り合いの音が響き刀身から火花が散る中、叩き潰さんとする意思に飲み込まれそうになり、片膝をついてしまう。

「リィン!」

 このままでは危ないと虚は助けに動くが、好機と捉え身をひるがえした騎士は、勢いのまま蹴りを繰り出した。咄嗟に迫る攻撃に対応できず、後方の壁まで虚を吹き飛ばしていく。


「―――カハッ……!」

「……虚っ!?」


 騎士の攻撃が緩んだ隙を見て、急いで虚に駆け寄った。意識はあるものの、背中の打撲に捻挫とすぐに動ける状況ではなかった。

「ごめん、リィン……ここまで状況が悪くなってしまっては、もう……っ、僕を置いて……逃げるんだ。そして、ギルドにこの事を知らせるんだ」

「………」

「―――リィン?」

考えるように黙り込んだリィンの視線の先には虚が持っていた剣があった。


―――頭の中に流れ込んでくる、体験した記憶すらない映像……記憶のない今、そんな断編的で朧げなモノが正しいと縋りつこうなど、到底信じることは出来ないだろう。分かっている、このままギルドまで助けを呼びに行けばリィンは助かるし、化け物も倒せるだろう。だが、その間に虚が無事であるという保証はどこにもない……いや、周囲の人の態度を見るに“虚を助けたい”というお願いを聞いてくれる人は殆どいないだろう。最悪の場合、虚が叩き潰されて死ぬかもしれない。そうなっては一生後悔してしまう。絶対に二人で生き残る―――明日も虚と一緒にいるためにも、こんな記憶に頼る以外の選択肢は思いつかなかった。


(多分、後から考え直せばバカだなぁって絶対思う……それでもこんな状況下で思い出した記憶だし、きっと意味はあるはず……だから―――)


「……これは借りていくね」

「一体何を………っ!?まさか……駄目だ!助けを―――」

 そして小さく頷くと、剣に手をのばしていた。虚の制止も虚しく、両手に剣を携えると騎士へ再び向かっていった。


「大丈夫、大丈夫……視てきた通りなら、私はきっと強くなれる。ううん――――

心を落ち着かせ、自らに暗示を掛け続ける。イメージするのは記憶の中に出た少女、そしてその先に在る小説の主人公―――自分ではないと心の奥底で否定しながらも、今この場で在りたいと願ってしまった“双剣の守護者”に。


その様子を虚は只々見つめることしかできなかった――――否、決して死地に向かわんとする事を、止められずに悔いているからではない……見惚れてしまったのだ。本来、この状態では起こり得るはずのない変化に、言葉を失う。その先には、リィンと重なるようにして映る双剣の剣士の姿があった。

「あれは、輪廻の書の?いや……まさか、疑似憑依強化トランス・ブーストか!?」



 ―――疑似憑依強化トランス・ブーストは矛盾した身体強化能力ブーストである。誰もが扱えるにも関わらず、その魂と刻本されている輪廻の書との親和性が高くなければ本来の力を引き出すことはできない。



「あり得ない……あの時、確かになかったんだ。“輪廻の書がないのに擬似憑依強化が使えるわけがない”」

―――ましてや、。だが、当たり前だった現実は断ち切られ、非現実が現実へと書き換わっていく。


 そして―――彼女は疑似顕現を果たす。滅びの運命を断ち切るために双剣を振るう少女、神を恨み神から死神と恐れられた英雄……その生き写しとして。


 状況は変わらず化け物はその場に留まり、騎士も同様にこちらをただ見据えていたが、リィンが歩み寄るのに応じて剣を構え始めた。それは倒すべき相手へと変化し、殺気を通じて伝わって来ていた。


――――『かかって来い、全力で殺す』


それに呼応するように、リィンもまた刀の剣先を向けて叫ぶ。

「お前を――――倒す!!」



 ――――名無しの騎士と双剣の喪失者の戦いが始まった。

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