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  • 本文。への応援コメント

    酷評しあいましょう、より。

    まず、段落一字下げが徹底されていない。

    それから、書いてある内容の意味が分からない。

    第一段落は、葬式、あるいは臨終のシーンを、映画を観ていた風に語っているのだと解釈した。それは、「エンディング」と「あなたの目を閉じて」などから推量した。ここでは、「あなた」が死んで、「私」が葬式の列席者(あるいは、みとった何人かの一人)という立ち位置。
    第二段落にも「私」と「あなた」は出て来る。そこから、ここからの話は、葬儀の場で聞いた、亡くなった「あなた」の回想だと解釈した。「あなたが私と出会う前の話」「私はそこにいない」とあるから、「一つ目の話」は、二人が出会う前の回想なのだろうと思った。
    が、すぐに「あなた」は消え、私の思想だけが流れて来る。そして「私」が話の主人公になっている。
    三段落からは、「私」の回想になっている。
    最後の段落で「本当の感想」とあって、「私」が死ぬ。「あなたが、明るい部屋から」、は先に死んだ「あなた」が天国から手を振っているということか。
    これだけでも、ついていけなくなった。

    さらに、「一つ目の話」から「五つ目の話」で展開される、「私」の回想について。
    深い意味が隠されている。何かの隠喩。何か哲学的な思想。
    そんな言葉が並んでいるだけで、結局よくわからない。
    読者に考えて、と投げやりなパスをして終えている印象。
    きれいで、それっぽい言葉を並べているだけで、筆者の方にも内容が分かっていないのでは、と思う。

    これは私の程度が著しく低いからなのかもしれない。私自身としては、これまで多くの書籍(ライトノベルや漫画ではなく、いわゆる純文学と呼ばれるものや、詩集)を手に取って、感銘を受けてきた人種であるから、リテラシーが低いとは自認していない。
    一度読んだだけでは、作者が何を言いたいのか、十全までは分からない作品はある。そういった作品が名著であることも多い。しかし、それらは、全ては分からなくても、どこか上手く言語化できない共感があって、この気持ちは何なのだろう、と読者を前のめりにさせる、引力がある。

    が、この作品にそのような引力は感じられなかった。読者の方が、丁寧に作者の思想の痕跡を探して、パッチワークさせなければいけない。

    あとがきで書かれている、「自分の中で処理しきれない情報」、そのものがこの文章なのか。この文章に芯を見出すことはできなかった。
    ただ、作者の悶々さだけは伝わって来た。

  • 本文。への応援コメント

    酷評しあいましょう の企画から失礼します。

    企画趣旨に従い、酷評させていただきます!

    内省的な一人称が自己陶酔しているように感じられ、
    共感できない読者はことごとく置き去りにされます。
    さらには私小説風の体裁と相俟って、
    余計に距離を取ってしまうのではないかと思いました。


    ……と、酷評してみましたが、
    私はこの作品、とても好きです。

    無理矢理に挙げたのですが、
    このままでひとつの完成品だと感じました。
    私が挙げた点は、
    一人称が本来的に備えている性質だと思います。
    木田りも様の作品はむしろ、
    その一人称の難しさをうまく乗りこなしている。
    さまざまな道具立てで心情を肩代わりさせたりなど、
    暗喩によって読者の想像を掻き立てるのがとても巧い。

    なので私は、「共感できない読者」にならずに読めました。
    (結局褒めてしまった……。