事務所

「ここは……」


 わたしがアッシュロードさんに連れられて行きついた場所は……。

 冒険者の酒場にして冒険者の宿 ―― “獅子の泉亭”

 かつて迷宮探索者がまだ冒険者と呼ばれていた頃から、その拠点となっていた場所。

 一階が酒場で二階以上が宿屋という、この世界では平均的な作りの建物です。

 どっしりしとた石造りの古い大きな建物で、酒場の裏にはわたしたちのパーティが寝起きしていた “馬小屋” があります。

 わたしたちは今朝ここで粗末な朝食を終えたあと、迷宮へと向かったのです……。


「今朝ではなく昨日の朝だ」


「……え?」


「死んでいる間は時間の感覚がなくなる。昨日の朝潜ったあんたらが今朝になっても戻らないんで、あんたと保険契約を結んでいる俺にギルドから連絡があったんだ」


 わたしの考えを見透かしたように、アッシュロードさんが言いました。


「あんたを回収して寺院に放り込んだのが午前早く。今日は坊主どもが繁盛しているらしく順番待ちで今はもう昼を大分過ぎた頃だ」


 ……あれから一日以上。


「それじゃ、急がないと!」


 迷宮の中に放置された遺体がどうなるかなんて、駆け出しのわたしでもわかります!

 時間が経てば経つほど魔物の餌食になる危険が高まって、運が悪ければ今この時にも!


 アッシュロードさんはそれ以上なにもいわずに、酒場に入っていきました。

 “獅子の泉亭” は昼間だというのに思いのほか混雑していました。

 でも夜の喧噪には遠く及ばず、それどころかどこか虚ろで退廃的な空気さえ漂っています。


 探索者というのは死と隣り合わせの日常を送っているので、粗野ですがタガの外れたような陽気さも合わせ持っています。それが、あのまるで贔屓にしているプロ野球のチームが優勝したときのような、命のほとばしるような毎夜のどんちゃん騒ぎにつながっているのですが……。


「あいつらは “荷物番” だ」


「“荷物番” ……?」


「迷宮には潜らず、所属するパーティのアイテムを保管・管理する連中のことだ」


 ――死ぬ危険がない代わりに成長もしない。

 ただただ時間だけが過ぎていく日々。

 だから時間が毒になる。

 倦み疲れて心が干涸らびていく。

 ここにいるのは、そういう時間に毒された連中だ――。


 円卓でジョッキやタンブラーを傾ける探索者が、胡乱げな濁った視線を向けてきます。

 生臭い、絡みつくような視線。

 不意にわたしは外套の下に何も着ていないことを思い出して……。

 どうしようもない恐怖に駆られてしまって……。

 アッシュロードさんの陰に隠れました……。

 アッシュロードさんはそんなわたしの様子に気づくでもなく、階段を上っていきます。


 二階が、大部屋の “簡易寝台”。一週間 10 D.G.P.

 三階が、個室の “エコノミー”。一週間 50 D.G.P.

 四階が、かなり設備の整った “スィート”で一週間 200 D.G.P.

 そして五階が、一週間でなんと 500 D.G.P.! の “ロイヤルスイート”


 もちろん “迷宮童貞&処女……駆け出し” のわたしたちは無料の馬小屋専門で、二階にも上がったことがありません。

 だから、これが初めての体験です。


『『お風呂!』』

『『お肉!」』』

『『柔らかいベッド!』』


(……リンダ……)


 二階から三階へ、さらに三階から四階へ。

 アッシュロードさんが立ち止まったのは、四階の一番奥の部屋でした。

 ドアには402と彫り込まれた磨き上げられた真鍮製のプレート。

 ドアもやはり磨き上げられた、重量感のある高級そうな木材が使われています。


「ここが事務所だ。見てのとおり “スィート” を一室借り切ってる」


 首から提げていた小さな鍵を抜き取り、ドアを開けるアッシュロードさん。


「寝るだけなら馬小屋で事足りるが、書類やら装備やらでどうしてもこれぐらいの広さが必要になる」


「はぁ……」


 ……としか、答えようがありません。


「入れ」


「し、失礼します」


 高級な質感の見事な造りのドアを潜ると、そこは……。


 ぐちゃまら~~~~~。


 ……見事な汚部屋でした。


 い、いえ、なんとなく予想はつきましたが……ここまで予想通りというのも、どうなのでしょう……。


 足の踏み場もないというのは、まさにこのことです。

 脱ぎ散らかした衣服。

 散乱する空の酒瓶。

 あちらこちらにほっぽり投げられている部分鎧。

 それらの下から申しわけなさげに顔を出している剣の柄。

 そしてなにより部屋に充満する男臭さ……というかオジさん臭さ。

 いろいろな意味で意識が遠くなりそうです……。


「いま準備するから、とりあえずそこらに座ってろ」


 そこら……とは言われても、足の踏み場がないのに座る場所などあるはずもなく……。


「お、お気遣いなく。リハビリを兼ねて立っていますので……」


 アッシュロードさんは肩をすくめるでもなく、ポイポイと着ている短衣を脱ぎ捨て始めました。


 えっ!? えっ!? えっ!?


「ちょっ! なにしてるんですか!?」


 この人、まさか最初からそういうつもりでわたしをここに!?


「なにって……鎧を着るんだが。まさか平服で迷宮には潜れんだろ」


「え……あ、そうですよね。それが普通ですよね……」


 わたしは顔を真っ赤にしてアッシュロードさんから目を逸らしました。

 ダメです……わたし。

 なんかもうペースが滅茶苦茶で、ありとあらゆるものがひっちゃかめっちゃかです……。


「あれ背当てバックプレートがねえな。さっきここらで外したはずだが……どこやった?」


 ……。

 この人も、なんかダメそうです……。


 それでもアッシュロードさんは、部屋中を引っかき回してした装備を身につけていきました。

 厚手の鎧下クロースの上に 鎖帷子チェインメイルの胸や肩を板金製の部分鎧で補強した板金鎧プレートメイルを着込みます。


 武器は街中で帯びていた短剣ショートソードの他に、より大振りで威力の高そうなロングソードを左の腰に吊るしました。

 さらに取り回しのよさげな短刀ダガーを右腰に手挟みます。

 刃物だけで三本も持っていくようです。


 盾はわたしが使っていた物と同じような、木製の大きめの盾ラージシールド

 使い込まれているらしく表面が傷だらけです。

 兜は発見できなかったのか、それとも元々被らない主義なのか見当たりません。


 他にも剣帯に通した雑嚢に緊急性の高い巻物スクロール水薬ポーションの類いを。背嚢には松明や角灯、ロープ、小型のハンマーや輪っかのついたくさびなどといった小道具を詰めていきます。


 装備を整え終えると、最後にアッシュロードさんは衣類の中に倒れていたサイドテーブルを起こしました。

 その上に何も書かれていない羊皮紙を広げ、立ったまま驚くほど速く流麗に、この世界の共用語である “アカシニア” 文字を書き込んでいきます。


 わたしの……新しい契約書です。


「この世界の契約について、どの程度まで知っている?」


「おおよそのことは。この世界に転移してきて初めて会った人が親切な方でいろいろと教えてくれたんです」


 その人は結婚を期に探索者ギルドを退職して故郷に帰る途中の元職員さんで、転移直後で混乱していたわたしたちに温かい食事や毛布を提供してくれたのでした。

 そしてこの “アカシニア” という世界の一般常識や決まり事などを教えてくれて、最後に生きるために迷宮探索者になるように勧めてくれたのです。

 その人からこの世界の契約についても教えてもらっています。


 アッシュロードさんは先を続けました。


「回収費用は一人頭、レベル×250 D.G.P.

 蘇生費用も同じで、レベル×250 D.G.P.

 ただし一度目の蘇生に失敗して “灰化” したら、布施は倍のレベル×500 D.G.P.になる」


 わたしは頷きます。


「あんたの仲間は全員レベル1だから蘇生が上手くいけば一人頭 500 D.G.P.―― “灰化” したら最初の蘇生費用の 250 を加えて 1,000 D.G.P.」


 この世界では “死” すらも状態ステータスのひとつに過ぎません。

 聖職者が神に祈祷し嘆願することで、復活――蘇生させることが出来るのです。

 でもそれは一〇〇パーセントというわけではなく、常に失敗の危険が付きまといます。

 蘇生対象者の耐久力バイタリティラック

 嘆願者の熟練度レベル信仰心パイエティによって成否は左右されるのです。

 そして運悪く蘇生に失敗すると “状態” は “死” から “灰” へとさらに変化します。


 “灰” は肉体が加護の強いエネルギーに耐え切れずに燃え尽きてしまった状態です。

 死体という形さえ崩れてしまった生命の燃えかす。残滓。

 この状態からの蘇生には最高位階である第七位階の加護、男神 “カドルトス” の名を冠する “魂還カドルトス” が必要となり、聖職者に支払う布施の額も倍に跳ね上がります。


 一人頭の回収費用が、250 D.G.P.

 蘇生に必要な布施が、250 or 750 D.G.P.

 これが5人分。


 運がよければ、2,500 D.G.P.

 最悪の状況で、5,000 D.G.P.


 これにわたしの回収・蘇生費用 500 D.G.P.

 新しい装備代の貸し付け金 1,000 D.G.P.が加わります。


「だから最低でも 4,000 D.G.P. 運が悪けりゃ 6,500 D.G.P. があんたが背負うことになる借金だ。返済期限は契約日から三十日後の深夜零時。返せなければあんたは俺の借金奴隷になる」


 ――本当にいいんだな?


 アッシュロードさんが言外に確認を取ります。


 借金奴隷は “返済できなかった残金を払い終わるまで奴隷になる” ……なんて生易しいものではありません。

 自らの意思で身を売った自由奴隷とは違い、神聖な契約を破った罰として元金に何倍何十倍という莫大な利子が加えられるのです。

 ですから罰則の利率も法律で細かく決まっていて、わたしの場合は元金×50。

 一ヶ月以内に返済できなければ、二〇万 D.G.P. の負債を背負った借金奴隷になるしかありません。


 でも、


「もちろんです」


 わたしは即答しました。


 絶対に助ける。

 友だちは絶対に助ける。

 絶対に見捨てたりしない。

 絶対に。


「じゃあ、ここに一滴血を垂らせ」


 この世界での契約はわたしたちの世界を遙かにしのぐ強制力を持ちます。

 なぜならこれは呪術を用いた決して背くことの出来ないギアス ――呪いの一種だからです。


 差し出された短刀の切っ先で指を少しだけ切り、血雫を羊皮紙に垂らします。

 すると紙上に輝く魔法紋が浮かび、書き込まれていた文字が青い炎となって燃え上がりました。

 そしてそれが奇麗に消えてなくなったとき、わたしとアッシュロードさんの間に新たな “契約” が結ばれたのです。


「よし。それじゃ、俺は潜る。あんたはここで待っていろ」


「……えっ?」



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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今読んだエピソードを、オーディオドラマで視聴してしませんか?

迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグ⑤

完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

https://youtu.be/AJbS6I8WITQ

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