4-5 危険な返事

「そうか、あの男が〝メイソン〟だったのか……」

 石角を指差して独り合点している直戸を見て、雁屋は目を細めた。

「メイソンって……あん盗聴マニアが言ってたパインの協力者け? まさか石角さんが……」

「石角はその昔、息子の高額な治療費を工面するためにパインの仕事を請け負い、報酬としてヴァイオリンを受け取ったんだ。パインからの報酬となると洗浄しなければ使えないからな」

「しかし、なんでいまだにパインの仕事を請け負ってるだに?」

「わからんな。だが多くの汚職もそうだが、一度足を踏み込むと、なかなか抜け出せないのが現状かもしれない」

「なるほど……今一度石角秀俊の身辺、洗ってみるで」

「ああ、頼む」

 眉をひそめる二人の前で、石角は子供たちと一緒になって天衣無縫に振舞っていた。


    †


 グラウンドの一方では、松田花菜が石角をじっと見つめていた。

(早くお返事しなくちゃ……)

 夫の泰造は相変わらずの暴力亭主で、昨晩もまた癇癪を起こして花菜に暴力を振るった。しかし花菜は不思議に痛みを感じなかった。

(身体はどれだけ痛めつけられても、私の心は秀俊さんに守られているの。この安らぎはあなたにだって奪えはしないわ)

 そう思うと花菜は自分を痛めつける夫がまるでキャンキャン吼えたてる子犬のように見えた。そして心の中で夫に宣告した。

(あなたには死んでいただきます)


 練習が終わると、花菜は自然な振る舞いを装いながら石角に近づいた。

「石角先生、お話したいことがあります」

「お話、ですか?」

「ええ、で。……私、やっと決心がつきました」

 花菜の真剣なまなざしに、石島は両腕に痺れを感じた。そして一瞬直戸と雁屋に目をやってから、小声でささやいた。

「わかりました。……後で電話していただけますか? 僕はいつでもいいです。花菜さんのご都合の良い時にかけて来て下さい」

「はい。それではまた」

 花菜は一礼し、祐也の手を引いて帰って行った。


      †


 その晩、石角の携帯に花菜から電話がかかってきた。

「花菜さん、ご決心されたとのことですが、……本当にいいのですね」

「はい、気持ちは決まりました。……事故に見せかけると秀俊さんはおっしゃいましたが、どのようにするのですか?」

「……まず、お宅で溺死させ、その後で佐鳴湖あたりにそれらしく浮かべようと思います」

「お風呂か何かで溺死させるのですか? でも、鑑識でお家の水だということがバレないかしら……」

「おっしゃる通り。だから湖水を利用しますが、湖から直接汲んできたものは使えません」

「どうして使えないんですか?」

「湖の水は器に移して運んでいる間に変化してしまうのです。採れたての魚を水槽に入れて運んだら鮮度が落ちるように、微生物にも変化が現れます。そのため新鮮な湖水との間に格差が出来るのです」

「じゃあ、どうするのですか?」

「生命体を除いた湖水と同成分の水を人工的に作り、そこに湖の生態系とソックリに微生物を誕生させるのです。それもちょうど犯行時刻に湖水と同成分になるよう調整するのです」

「まさか、そんなことが可能なんですか?」

「ええ。僕は大学で微生物の研究をしていましたし、以前の会社でも水の研究をしていました。だから僕にはそのように湖水そっくりな水を作り出すことが出来るのです」

「すごい……秀俊さん! ところで私の方はこれからどうしていけばいいですか」

「そうですね、……ご主人は帰ったら必ず手を洗う方ですか?」

「ええ。かなり潔癖症ですので、帰ったら手洗いとうがいは欠かしません」

「それは好都合です。ご主人が帰る前にあらかじめ洗面台に僕が成分調整した水を溜めておきます。そしてご主人が帰ってくるタイミングを見計らって僕は洗面所に待機し、手を洗おうとした瞬間、僕はご主人の頭部を水中に押さえつけ、溺死させます。そして事が切れたら死体をトランクに詰めて佐鳴湖まで運ぶという流れです」

「そうですか……」

 花菜はしばらく考え込んだ。「それで、決行はいつ頃にしましょうか?」

「僕は来週、諸用で海外に飛びます。それから帰ってきてからになりますが、よろしいでしょうか?」

 石島がそういうと花菜は立ち上がり、一礼した後、その場を後にした。

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