アッシ流浪日常 ~底辺冒険者は人から人へ渡り歩く~

きばとり 紅

第1話

 王都レ・プリシィアより南西にあるナスル伯国はくこくの街道筋では今年、例年にも増しての大豊作を迎え、村という村では里人さとびとらの威勢のいい声とともに、蔵商人が、荷車一杯の小麦を買い付けていく。いきおい田舎の小作ども、農奴に辺境貴族に至るまで、大なり小なり、金袋を掴まぬ者はいない程であったという。



 さて、あぶく銭の湧くところに群がるのはなにも善人ばかりにあらず。これ、一攫千金の機会とばかりに山師たかり師、博徒の類が、それこそ畑をむさぼり食ういなごの如く、海千山千の魔都レ・プリシィアより流れ出て、ナスル伯国を蚕食さんしょくしていった。



 そんな折も折、ナスル街道の駅宿町えきしゅくまちの一つ、三つの支道を束ねるアンダルという町があった。



 この町では近頃の豊作につき、過去ない程に金が渦巻いており、その金に物を言わせ、この町の長者をして、支道を傘下に収める伯直属の代官に成り上がろうという野心が持ち上がっていた。



 支道沿いの村落を支配する代官ともなれば、指一つ動かす手間もかからぬ生活を得るのに等しく、アンダルの長者は更なる栄達を求めて、日夜あの家この家を回っては、ついに敵味方の分け目を築くに相至るのであった。



 さて、そのような町の冒険宿では連日連夜、王の法令を逸脱いつだつした放埓ほうらつなカード賭博が派手に行われていた。宿の主人、かつては腕一つで畑を荒らす一つ目鬼を打ち倒し、邪な黒坊主どもを打ち負かしたとうそぶくこの男も、毎日目の前に積み上げられる娑婆代しゃばだいを前に、鼻薬を効かせた番犬が如く、眼前の違法を無視することと決めていた。



 以前なら黒ずんだ銅貨さえ惜しみ、容易く使わなんだ小作人どもであるが、宿の机で行き来するは銀貨の山であり、中にはちらりと金貨が混じるほどであった。


 そしてここは、街道筋を行く旅人を泊める冒険宿であるから、賭博に参加する者の中には一夜の遊びと思った旅人も、それ、混じることもある。


 そのような旅人の中に、知るものからはアッシと呼ばれる流浪の冒険者がいた。


「さあ、次はあんたの番だぜ」


 隣でカードを捲っていた男に促され、アッシは動いた。途端にアッシの挙動にその場の視線がぐっと吸い寄せられていく。


 なぜか。それはというのはアッシの前に積み上げられた金子の量による。今宵のアッシは上々の腕前、既に小作どもから掠め取った銀貨の数は百を超えようかというところであった。


 アッシは懐の財布袋からむんず、と掴み出した銀貨を掌の上で転がしながら揃えると、自分の前の山に加えて机の真ん中へと押しやった。


「十枚足して、全部賭ける」


 おおっ、と賭けの参加者から驚嘆の声が上がった。


「さぁ、合わせて銀貨百と二十枚。お前ら全員でかかってきな」


 冷淡な声でアッシが言うと、博打の熱に浮かれた百姓どもの顔にすうっと血が上る。


 そしてアッシの山に対抗するかのように、その隣に同じだけの銀貨の山があれよあれよという間に出来上がった。


「さぁ流れの兄さん。もう後には引けねぇぜ」


 血走った幾対もの目がアッシを射貫いぬく。


「カードを配りな」


 アッシの手が動いた。








「銀貨合わせて二百四十枚。両替していくかい」


「お願いするぜ」


 アッシは宿の主人の前に積み上げた銀貨の山二つを前にそう言った。


 素寒貧すかんぴんに成り果てた百姓どもが頭を抱えてこうべを垂れながら、薄いエールの酸っぱい味で己の愚かさを忘れようとしていることなど、アッシの思いわずらうところではない。


「金貨二十枚だ。持って行け」


「おい親父。両替代が銀四十はぼったくりじゃあねえかい」


「余所者値段だ。惜しければ他を当たんな」


 アッシは暫し背中を見つめる連中の目を見返すと、黙って目の前に積まれた金貨二十枚を、晒し木綿に包み込んで懐へ押し込んだ。


「枕代は負けてやるよ」


「いや、いい。もう失礼する」


「おい正気か。もう町の門を閉める時間だぜ」


「今から出れば、隣の町のの門前で夜明けを待つことくらいは出来る」


 アッシは旅荷の括り具合を確かめながら答えると、冒険宿の潜り戸を出る。


 空は既に青黒く傾きはじめ、肌には秋風の冷気が当たる。アッシはマントの合わせを引き締めて町の門へ急いだ。


 たがの錆びた門扉が軋んで叫ぶ中を足早に通り抜け、アッシは街道筋を辿って歩き、一里二里とアンダルから遠ざかる。振り返るわけもなく、やがて陰る陽の光の中で、懐から火縄灯ひなわあかりを取り出して足元を照らした。


 誰が行き交うわけもなく、ただ、黄昏の風だけがアッシの足元を掬うように巻き上げる。


 そのような暗夜行路あんやこうろの狭間にありながら、アッシの耳に聞こえているのは、鉄張り脚絆きゃはんを履いているだろう足音だった。しかもそれは一人ならず、およそ両手で辛うじて足りるだろうほどの数が走っていた。


 アッシの勘働きが己の危険を告げる。マントの下に吊っている短剣の柄に手をかけ、制してゆっくりと歩きながら、近づく足音の群れとの距離を推し測った。


 瞑目してしばし、かっと見開いた目で振り返れば街道を走って近づくカンテラの光が見える。それもいくつも。


 アッシはマントの紐を引き締めなおし、街道から横に出て藪に飛び込んだ。


「逃げるぞ!」


「おおう!」


 藪を掻き分け、刈り取られた裸の畑に転がり込んだアッシを男たちが声と共に追いかける。アッシはうねって耕された畑をジグザグに走る。だが男たちの方が少しだけ足早であった。


 そこでアッシは一息に抜剣し、振り返り様に一撃を見舞って男の腕を切って落とした。


「ぎゃっ!」


「野郎!」


「殺せ!」



 怒号を上げた男たちも一斉に武器を構えた。それは鉈だの鎌だの、斧に棍棒。凡そ真っ当な冒険者ではあるまい得物である。



 アッシの短剣が翻った。アッシを真ん中に円を描くように得物を突き付ける男たちのあらぶった眼差しを、冷たく、鋭利なアッシの視線が受け止めた。



「いやぁ!」緊張に耐えきれぬ一人が鉈を振り回して飛び掛かった。



 アッシが地面に身体を沈め、肩で男の胸を打つ。よろめく男を盾にして、ぐいぐいぐいっと輪を割って立ち回る。



 うろたえた男どもの輪が崩れたその隙に、またアッシは駆ける。すると男たちは、また先ほどと同じように走って追いかけるのである。



 だがアッシにとってはそれこそが思う通りの運びであった。輪を乱し、ただの徒党の群れに崩れたその瞬間、アッシは跳ね返るように踵を返し、一番前に迫った男の内懐に飛び込みざまの一刺しを見舞う。



「ぎえっ!」



 蛙を轢き潰すが如き悲鳴を上げる男から素早く短剣を引き抜き、すぐさま離れては別の男に飛びついて切りかかった。



「いやぁ!」


「だぁっ!」



 男たちの憤激が、泥錆びた斧と鎌を血潮に染めるべくアッシを狙って振り回される。アッシはそれを時に地に伏せ、時に転がり、はたまた事切れた生暖かい骸の盾でいなしては、一つ斬り、一突き、また一つ斬りと男たちに見舞っていく。



 次第にアッシを追っていた男どもが櫛の歯を欠くように倒れ、裸畑の上に転がっていく。


「はぁ! はぁ!」


「……俺にはあんたらに襲われる義理はねぇはずだ」


 まだ両足で突っ立ち鉈を構えている男に、アッシはそう呼びかけた。


「どこの農奴か小作百姓か知らねぇが、まだ息のある奴を連れて家に帰んな」


「ぅぅ……いいやぁ!」


 男はぶるぶると震えていたが、アッシの言葉に耳を貸すこともなく、叫びをあげて大構えに構えた鉈で切りかかった。


 アッシはにじり踏み込むと、つま先に出来た土くれの山を蹴りあげて相手の鼻づらにぶっつける。


 怯んだ男の体が揺れたその隙を、アッシの短剣が目敏めざとくすり抜けた。


「うぅ……がぁ」


 鉈を取り落した男が首筋を抑えて悶えながら、棒を倒すように呆気なく転がり、果てた。


 辺りには屍ばかり、転がったカンテラの灯が寂しく消えていった。






「お見事」


 アッシが気慰みに骸を蹴り転がし、その懐具合を確かめていると背中にかかる声があった。


 とはいえ、アッシは驚かない。その足取りと声音こわねにはアッシを害そうという気配は感じられなかった。


「御見それしたぜ、冒険者の兄さんよ」


「こいつらを嗾けたのはあんたかい」


「まさか。どうして」


 アッシは振り向いた。既に日は没し、声を掛けた主はカンテラを掲げてアッシを照らし出した。


「こいつらは懐に一枚の金も持ってない。百姓のくせにあぶく銭に踊らされ、博打ですっかり身持ちを崩してる。大方、俺が宿で大枚稼いだから、追い剥ぎでもして懐を潤そうとしてたんだろうが」


「しかし大人数を向こうに回して見事な立ち回り。さぞ、腕のある冒険者とお見受けしますぜ」


「ただの流れ者だ」


「そうつれないこと仰らず、どうか私の話を聞いてくれんかね」


 カンテラの灯りの中で男の剽悍ひょうかんな面構えが浮かび上がった。



「その代わり、丸太の始末は万事、この黒銀のジョーに任せてくれな。伯爵さまの警邏兵からお縄の掛かるようなことはないぜ」



 アッシはジョーと名乗るその男を、じっと暫し見つめると、まだ片手に握っていた短剣を鞘に納めるのであった。

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